4:苔と打ち身と、お姫様抱っこ(上級)
どういった争いが行われていたのかが解れば、どうしてそんな争いが起きたのかが気にかかる。それは興味深いことではあったけれど、たぶん、それは本題ではない。
どうしてこの町にわたしを呼びつけたのか、わたしはそれをまだ聞いていない。
だけど、馬車から降りてすぐに聞いた時、その質問は答えられずそのまま受け流されていた。
網柵を片付けながら槍の代わりの棒を構え、ベル君に何やら指導を始めてしまったロンゴイルさんを見ながら、少しの間ぼーっとしていた。たぶん、どうして呼びつけたのか、あまり聞かれたくないのだと思う。
――この訓練場には、他に人がいない。たぶん、それもあってここに移動したのだ。
頃合いを見て、階段を降りる。が。
足元に、ずるり、という感触があった。
「おお!?」
苔だ!
気がついた時にはもう遅い。
踏んだ場所が悪かったようで、剥がれた苔ごとわたしは階段を滑り落ちる。
ずざざざあ、みたいな少し濡れた音がして、わたしはあっという間に尻もち状態で一番下に転がっていた。
「大丈夫ですか!」
「……いっ、たあああ……」
お尻から背中から! なんなら頭もどこかぶつけた!
かといってそのあたりの言語化ができるような状況でもなく、ただただ呻く。見ていたのが中二階って感じの高さだったことがまだ救いかもしれない。
足首がかなり痛むので、裾をめくってみる。うわ。
「かなり腫れてますね」
覗き込んだベル君が、引き気味の声をあげる。
「ご婦人の足を凝視するものではない、ベルデネモ。
いつもの宿に部屋を借りている。先に行って、冷やすものを用意してほしいと伝えてくれ」
「はい!」
ロンゴイルさんの指示を受けて駆け出すベル君。わたしは立ち上がろうと腕を突っ張った。
「あつつ……」
「無理をなさらぬように。お手を」
座った状態で力を入れると、足よりも背中が痛い。多分これ、だいぶ真っ青になってるはずだ。ロンゴイルさんが肩を貸してくれたので、腕を回して無理矢理立ち上がるが、そうするとやはり足首がかなりズキズキする。ついでに言うなら身長差がありすぎて、ロンゴイルさんがむちゃくちゃ中腰になってしまう。
「ええと……ゆっくり行けば大丈夫だと思うんで」
「それでは痛みが酷くなるでしょう。とはいえ、少し――そうですね、失礼」
眉間に一度皺を寄せて困った顔をしたロンゴイルさんが、おもむろにわたしの手を外すと――急に、とかぐいっと、とかでなくて、本来の使い方の方で。つまりはゆっくりと――さらにかがみ込んで、わたしの膝裏に手を、ってちょっとお!?
「この方が早いし、安全ですからね」
だから! なんで! お姫様抱っこになるの!!
いや確かにこれなら無駄にぶらぶらさせない限り足首痛くないけれど!
だけど今は、声も出ない。
「……ノーマ、どうかしましたか?」
『背中が痛いです』
支えるために腕を回された箇所が、打ち身のある場所なのだと思う。
わたしが顔を歪めているのが痛みのせいだとわかったロンゴイルさんは目を丸くして、それから真剣な顔をした。
「失礼、もう少しだけ我慢していただきたい」
抱え直した、のだと思う。揺らされたその瞬間、ぶつけたところすべてが痺れたような感覚がして、歯を食いしばる。だけど、すぐ、楽になった。
「腕をどうぞ。自分の首に、しっかりしがみついてください」
ああ……なるほど。
抱きつくような姿勢にすることで、一箇所ごとの体重を分散させるってわけねってオイ。
お姫様抱っこにもパターンがいくつかあるとは思う。
ぐったりしたお姫様をかっさらうようなお姫様抱っこを初級とするなら、これはあれだ、『ゆうべはおたのしみでしたね』って言われそうなくらいのお姫様抱っこ、つまり上級だ。
これは……これは、くっそ恥ずかしい!
ロンゴイルさんはそのまままっすぐに町の方へと歩き始める。
顔から火が出そうなのをこらえて、むしろ痛みの方に意識を集中してみる。
「痛っ……」
「もう少しの辛抱です」
平気そうなら自分で歩くと主張しようかとも思ったが、足首は確かにどうしようもなく痛い。動かさなくても熱を持っているのがわかるほどで、これはこのまま甘えた方が良さそうだ。
だけど。
――聞くなら今だ、と。そう思った。
「その……ロンゴイルさん、わたしは、なんで……」
「――小ノーマのお披露目の日、この町で、強盗が起きたことは耳にしているかと思います」
顔が近いから許される、その限界まで声を潜めた。
ロンゴイルさんも、同じくらいに声を小さくしている。やはり、あまり聞かれたくない話なのだろう。
強盗の話は、ちらりとは聞いたことがあった。小ノーマ、つまり王の娘にしてベル君の姪っ子がその名前に決まった日にどこかの町でそんなことがあった、というくらいだ。
でも、それを思い出すのに少し時間がかかったくらい、これと言った特徴のある話でもない。
残念ながらそれがこの世界ではなく現代日本だったとしても、泥棒も強盗もよく聞く話なのだから。
わたしの顔に疑問符がしっかり浮かんでいるのを見てとったのだろう。ロンゴイルさんはそのまま、まっすぐ前を向き――物理的なものではなく、おそらく何か思い出しているのだろうものを見据えた。
「その被害者があの時の間者ではないかと、そう報告がありました」
「あの時の、って。……あの時の!?」
「どうかお静かに」
思わず大きな声を出しかけたわたしを、ロンゴイルさんが制する。
ロンゴイルさんが、わたしが知っていると決め打ちで話せる『間者』なんて、ひとりしかいないのだ。
――ケイジ(仮)。神殿で、わたしを人質に取った、隣国の男。




