1:電球と地下鉄と、馬車
お待たせしました、更新を再開します。
前半は今までの人間関係の(主人公から見た勝手な視点の)まとめ。
後半はこれからのイントロダクション。
明日からまた、一日一回2000~2500字のペースで更新していきます。
目が覚めると、そこは見慣れた部屋だった。
布団の中に籠もった自分の温度が愛おしいが、痛いくらいの空腹を訴えてくる胃を抱えていてはそうも言っていられない。
掛け布団を蹴飛ばして立ちあがると、とりあえず伸びをする。
背筋を伸ばせば、嫌でも少し眠気は消える。
寝汗をかいたのか髪の毛の中に湿気を感じて、わたしは両手を首の後ろから差し入れて後頭部の髪をかき乱す。ついでにあくびが出た。ダメだまだ眠い。顔でも洗ってくるべきだろう。
電灯の紐をひいた。だが、かち、かちと音がするばかりで灯りがつかない。
「……電球切れたかな」
わたしは時間が不規則な仕事をしているから、外が暗いのは別におかしなことでも何でもない。ただ、部屋の中が暗いのはちょっと不便だ。今日の帰りにでもコンビニか電気屋か寄って、替えの蛍光灯を買ってこよう。とりあえずお腹が減って気持ちが悪い。なんていうかこう、車酔いでもしたときみたいにぐるぐるする。なんでだろう。まあいいや、とっととご飯食べてしまおう。
冷蔵庫には昨日の焼き鮭が残っているはず。ちょっと塩辛かったし、お茶漬けにしても美味しそう。
うへへへへへ。
と、変な笑みが出た。
少しばかり、最近のわたしはどうかしている。とりあえず着替えよう。
しかし……異世界に行ったなんて、リアル中二の頃にもあまり見ない夢だった。
しかも逆ハーレム。どうかしてる。28にもなってそんな夢を見るなんて、ほんとどうかしてる。
ああ、でも、イケメンは良い。目の保養になる。たとえそれが自分の妄想の産物だとしても、イケメンに囲まれて逆ハーレムとか確かにニヤニヤできた。ああ、現実にあんなイケメンいないものかな。
いても、そんな人はわたしのことを見ないだろうけど。
「ふあーぁあああぁーあああー……」
あくびと一緒にため息が出た。
色々あって婚約破棄なんてされてからこっち、良い出会いに恵まれない。
焦ってないけど。
結婚相談所にも登録したけど、若いからまだ遊べるでしょ、なんて人にからかわれたりする始末。確かにまだ焦ってないけど、それを言ってくるのが40越えのオジサン、かつ「ボクと遊ぶ?」なところに闇を感じる。あんたいったい何しに登録したんだ結婚相談所。収入は確かにあったようだけど、結婚しようと思える相手にはやはり誠意が必要だ。その時点で論外だ。
まったく、夢で出会った40前後のオジサンとは大違いだ。いや、あれはオジサンじゃない、オジサマだ。
わたしにいきなりプロポーズしてくるという、死別バツイチのオジサマ。なんという逆ハーレムの構成員。中世ファンタジーめいた世界観の中で、ロンゴイルとかいうオジサマは騎士にして領主みたいな存在だった。
その夢の中で、わたしはなんか、天使とか精霊なんとかいう妙な存在で、そういう相手と結婚するともれなく栄光栄華がついてくるという特典付き。あ? 待てよ、つまりオジサマがいきなりプロポーズなんかしてきたのは、その栄光栄華名誉名声、そういった特典が欲しかったということか。そうなるとわたしはあれか、名義上は玩具付きのお菓子、しかしてその実態はガムが一個だけ申し訳なさそうに入っている玩具の箱の、まさにガムか。もしくは玩具を包むチョコの卵、その殻か。
……なんか微妙な気分になってきた。
なんで自分の夢の中でまで、わたしは自分に価値がないと設定してるんだろう。
たとえプロポーズされたとしても、それはわたしを求めてのものじゃなくて、わたしについてくる特典を求めてのもの。わたしは握手会応募のためのCDだ。なんか切なくなってきたので考えるのをやめる。
「うっし、切り替え切り替え!」
服を着ようとして、あれ、と思う。
わたしはもう服を着ているじゃないか。
ボタンシャツと、紺色のカーディガンにベージュのスラックス。
スラックスはちょっと情けなく膝が出てきているけれど、その分体に馴染んでいて気が楽だ。どうせ出勤したら全部着替えるから、通勤の格好は自由。就活スーツで行こうが婚活アンサンブルで行こうが、何も問題ない。とはいえホントに婚活パーティーで着ていったようなスカートのアンサンブルってわけにはいかないが。そういやあのアンサンブルは、夢の中ではどうなってたっけ。確か、ヒゲが印象的なお爺ちゃんの、ジャデリクとかいうひとが持っていった気がする。
あのヒゲジジイめ、ファスナーの形が気になるとか言ってたけど、壊したりしてないだろうな。いや、そもそも夢の中の話だ、壊すも何もないのだけれど。だいたい、どれだけ都合の良い人物なんだあのヒゲジジイ。かつては神殿で偉い人にまで上り詰めたけれども失脚して、今はロンゴイルのオジサマの付き人みたいな立場、挙句には割と柔軟な発想ができるみたいでわたしが異世界から来たとか言うのを受け入れたり。ああでも、天使だのなんだのがいるんだから、そういうのもアリ得るとか思ってるということなんだろうか。だとしたらなんていい加減な世界。
「カバン、どこにやったんだろ」
服と一緒に置いていたはずのカバンが見つからない。うっかりして別の場所に置いたかな。夢のことばかり考えて、ちょっと注意力散漫になっているみたいだ。三次元には見つけにくいイケメンいっぱいだったからね。仕方ないね。
そういや他にもいたっけ、イケメン。クォセミとかいう、蝉みたいな名前の。中性的なくらいの美形で、若いのに神殿の偉い人って立場がもう、病院の若院長みたいな存在感だったように思う。世間様の前では物腰柔らかく振る舞うくせに実は裏表があるって、どこの乙女ゲーの登場人物だお前はってヤツだった。これも逆ハーレム要員で、天使――つまりわたしと結婚するとかどうとかみたいな話になっていたっけ。
おい、待て待て、これもやっぱりわたしを求めてないぞ。天使を見つけたら保護のために結婚するとかそういうルールだったはずだ。これも肩書! 逆ハーレムの夢を見るならそういう綺麗どころにぐらい「お前の美しさに惹かれた」とか言わせようよ自分! 言われるだけの美しさがわたしにありませんねはい終了!
なんだか考えるだけでイライラしてきたので、顔を洗おうとしてあっれ、と思う。わたしはもう化粧も済ませているじゃないか。
なんか変だな、と思い始めたけれど深く気にしないことにする。どうせ世の中は変なことでいっぱいだ。冷蔵庫の中を覗き込んでも、昨日の鮭は見当たらない。養父さんが食べたのかな。
ああ……あの夢、食事事情は微妙だった。例えば王様の食事くらい、豪勢な料理が出てきたって良かったはずだ。そう、夢の中のわたしはなんともご都合にまみれ、王様の側室と仲良くなったりしたのだ。それはリーンという女の子で、15の身空で女の子を出産したものの、ちょっと死にかけたので華麗にわたしが助けたのである。嘘です。ただ助ける手伝いをちょっとしただけ。でもそれを恩義に感じたお兄さんが、わたしに仕えるみたいなことを言い出した。はいきたこれ逆ハーレムメンバーその3! でも妹さんがプッシュしてきてるだけの話で本人は全然そんな乗り気じゃないとかそれ逆ハー愛情不足問題の根本的な解決にはなりませんよね?
逆ハーは、あともう一人で全構成員となるが……8歳って、小学校2年、いいとこ3年だよね。さすがにそんな歳頃の子を本気で逆ハーレムとかカウントするようになったらわたしは人間として何か考え直さなければならない。それに、とうの8歳、エーリはわたしが見る限り女の子に見えた。あれで男の子だとしたらちょっと信じられない美貌の持ち主ということになる。いや子供の頃には絶世の美男美女でも成長過程で崩れるなんてケース確かにちょいちょいあるものだけれど。
「コンビニでパンでも買ってくかー」
人間という生き物は無線である。食物という名の電池を必要とし、お腹減ったままでは直に活動限界がくるのである。人はパンのみにて生きるにあらずとは言うが、その言葉にしたって生きるにはパン――つまり、食べ物が不要だとは微塵も言っていないのである。何が言いたいかってつまりお腹減った。
だけどコンビニに辿り着く前に、わたしは駅のホームにいた。
「……は?」
この期に及んでまだおかしくないと思っていたらそれはいっそ異常者である。わたしは改札を通った記憶もなければ歩いてきた記憶もないしなんなら家から出た記憶もない。
地下鉄のホームは、見覚えのない顔でいっぱいだ。
毎日のように、時間は違っていても同じ駅同じ路線を使うなら、多少なりとも顔をおぼえていくものだ。だけど、誰の顔もわからない。不安にかられて辺りを見回した先で、ようやく見覚えのある顔を見かけて安心した。
「良かった、変なところに紛れ込んじゃったかと思ったよ」
「どうかしましたか?」
赤い髪の、綺麗な横顔の少女。アディナだ。
――あれ? アディナに出会ったのは、夢の中の話の、はずじゃ。
『いや、変な夢を見ちゃって』
わたしの喉は、勝手に、自動的に返事をする。
ヒゲジジイに飲まされた薬のせいで、質問には答えずにいられない体になった。
ねえ、待って、だからヒゲジジイは。
「夢、ですか。
それは今、あなたが見ているものですね。さあ起きてください、ノーマ」
わたしは、わたしの名前は、爽香で、だけど。
それ以上を考える前に、わたしの背中をどん、と押す感触がした。
抗う間もなく線路に転がり落ちるわたしの体を思いっきり引っ張る重力、近付く電車の音――。
「うわあああ!」
わたしは飛び起きた。
「……驚かさないでください」
目を丸くしてこっちを見ているのは、ひとりの騎士だった。
少し異様なその姿に、わたしはしばらく言葉を失う。なんで水色なの、その髪。
ああ、いや……そうか、そうだった。
「ごめん、ベル君。変な夢を見ちゃって」
夢の――そうだ、あの、日本の見慣れた部屋から地下鉄に続くあの一連こそが夢だ――中で言ったのと同じ言葉でごまかした。いや、事実なんだけどさ。
わたしがベル君と呼んだ彼の奇妙な色の髪も、この世界ではなにひとつおかしくない。緑色の髪の人も見かけたし、ショッキングピンクの人もいた。染めているのではなく、生まれつきで、だ。
「夢、ですか」
「そう。異世界で地下鉄に向かって突き飛ばされて、死んじゃう夢」
「……いせちか?」
「気にしない気にしない」
鸚鵡返しは質問ではないと判断したか、わたしの喉は勝手に動き出さない。
いせちかって、なんだかそういう略語もありそうだ。百貨店の地下食品売場とか。
だけどこの世界でそれをクチにしても、多分誰からも同意を得られることはない。
まったく、異世界転移が自分の身に起きるとかアラサーのわたしには想像もつかなかった。こういうのはクラスの人気者がチートを片手に大暴れしたり、もしくは根暗な影キャラが一念発起して立ちあがるとか、どっちにしろ明るい未来が待っているティーンエイジャーの仕事だろうに。
嫌な気分じゃないけどね。
なんせわたし、地下鉄で突き飛ばされて、どう考えても死ぬはずだったんだし。
ロスタイムをもらってしまった以上、じゃあ生き続けるかと思っているだけの話なのだ。
「はァ……なんにしろもうすぐ着く頃合いですから、起きられた方が良いかと」
納得の行かない顔をしているベル君が、座席に腰掛けたまま、毛布を拾い上げる。わたしのつま先に引っかかっていたあたり、たぶん寝ている間にかけてくれたのだろう。
彼もまだ産後間もない妹のそばに付いていてやりたいだろうに、大変よねえ。
「そっか。なんだっけ、宿屋?」
「ええ、旅人相手の宿場町です」
寝起きにイケメンの顔を見るのはやはり目の保養的な意味で悪くはないが、しかしちょっぴり心臓に悪い。
小さな窓を塞ぐ板を跳ね上げる。
外からは馬の蹄が地面をえぐる音がしている。
異世界だというのに、馬とか犬とかは変わらずいることに、何となく変なの、と思う。
「ところで……」
「吐くのは勘弁してください」
ははは、随分と察しが良いなあ!
乗り物にはめちゃくちゃ酔いやすいわたしは、以前にも彼の操る馬で吐いたことがあった。いや、あのときはアルコールのせいもあったと思うんだけどさ。
即座に馬を止めさせ、降りようとするわたしに手を貸してくれるベル君の手は、剣ダコのようなものこそあれどもまだ若い。
「ベル君は優しいねえ」
「馬車の中を汚されたくないだけです」
多分本音の少年騎士はしれっとそう返してきた。事実宣告なその言い方は突き放し気味に冷たく、ツンデレとか思い込むにも程遠い。
そこそこ立派な、でも実用重視な感じの二人乗り馬車は、観覧車のゴンドラのような外観をしている。進行方向に作られた御者席で、手綱を握っている男の人がわたしに軽く会釈してくれた。
すぐ近くに水の流れる音がする。多分、近くの土手のような、少しなだらかな斜面を上がれば川があるのだろう。目線を上げれば、どこまでも青い空が広がっている。
――それは、四角い建物で切り取られた道なりの空ではなく、いっそ果ての見えないドームの天井。
「……やっぱすごいわ、異世界」
「は?」
「いや、草原広いなーって」
目の前をひらひらと、蝶――らしきもの――が飛ぶ。いや、わりと初めて見た時はぎょっとしたんだけどね? ただ、花に止まった時の畳み方が、ぱたぱたと折りたたまれるような形だったり、複眼がひとつだったりするだけの話で。頭のところに、道路写真の撮影車についてるカメラボールみたいなのがあるの。それがたぶん、目。翅や体全体の大まかな形は、わたしの持ってる蝶のイメージと大差はないのだけれど。
他の生き物も、大なり小なりわたしの知っているものと違う部分があったりなかったりするのだ。
猫は今のところ見かけていないけれど、尻尾が二股になっていたって驚くものか。
「このあたりは緩衝地ですから、確かに広めですね」
「緩衝?」
聞き返したわたしの前で、ベル君はずっと向こうを指差した。緑色のしっかりと揃った線の上に、茶色い輪郭線が入っているように見える。
「悪いけど、よく見えないのよ」
素直に答えたわたしの前で、ベル君は「はぁー……」とため息を吐いた。ひどい。こう見えてわたしも視力は両目ともに1.0、裸眼で運転免許更新できるのに。
「あれが隣国、ウィルデオルドの門です。今は漆喰で塗り固められていますけれど」
言われて、頑張って目を凝らした。しばらくずーっと遠くの方を見ていたら、なんとなく見えたような気がしなくもない。たぶんあの、茶色い輪郭線は、壁なのだ。拒絶の象徴のような壁が、生い茂る木を前に立ちはだかっているのだ。
あれの上から覗き込む顔があったら、『その日、人類は思い出した……』とかナレーションしても似合うかもしれない。いや、木の大きさと比較して見る限りあそこまで馬鹿でかいものではなさそうだけれど。
ついでに、ベル君が指差したのがどこなのかもわかった。緑色に一箇所、はっきりとした切れ目がある。そこがたぶん、門だ。
「昔はこのあたりにも大きな街道があったとは聞きます。ですが国同士の仲が悪くなるにつれ、通る者が減り、旅行者を相手取った店が消え、やがて誰もいなくなった」
「ふうん……てことは、この辺は国境近くってことであってる?」
点在する廃屋は、その時の名残なのだろう。
遠くを見るのに集中しすぎてすこしくらくらする目頭を押さえながらわたしは、簡単な結論を求めた。
ベル君は頷いたようだ。
「概ね間違っていません。ウィルデオルドが鎖国する直前まで、このあたりで争っていました」
直前まで。それは、もしかすると。
「ええと、3年前だっけ?」
ベル君はこくりとまたひとつ、頷いた。
「まだその戦いに名前はありません。いつか、歴史家がつけるのでしょうね」
敗残卿。
このあたりの領主がそう呼ばれるようになったきっかけの、負け戦。その戦場になったのが、このあたりということか。
わたしは寒さが入らないようマフラー代わりに首に巻いた布を、ぎゅっと握りしめた。
「……もう大丈夫そうですね。馬車に戻りましょう」
そう言ってわたしを馬車に乗るよう促して、ベル君は御者さんに合図を送る。
この馬車を用立てたのは、敗残卿その人であり、ベル君の上司的な存在でもあるロンゴイルさんだ。
ベル君の妹であるリーンが王の娘をお披露目したのは、もう半月ほど前のこと。
異世界での生活に慣れていかなきゃなあと思っていた矢先、わたしは何故か、今はあまり通る人もいないという宿場町へ向かうようにと要請されたのだ。
なんなんだろうと首を傾げながらもおとなしく、それならと同行を申し出てくれたベル君とともにこうして馬車に乗っているわけである。
馬車酔いがきついので、こうして休憩挟みながらだけどね!




