89:多分利害は一致してる
「たださ、これはちょっと残念なお知らせなんだけど。
わたしは本当に、天使なのかもしれないらしいわよ」
「は?」
あっけにとられたままの司教の前で、両手の人差し指を立てて左右に踊らせてみる。肘が掴まれているから、それ以上動かしにくかっただけの話でもあるのだけれど。
「わたしの事情は、この間説明した通り。本当は記憶もあるし、そもそもこの世界の人間じゃない。
だけど、理由はわからないけれど、王様はわたしのことを天使か、それに類する何かだと言ったわ。
それも確信を持ってね。……類する何かってのが、まあ、よくわからないんだけど」
後半は嘘をつく。天使と精霊人と魔女の関連性は、あまり口外してはならないものだということぐらい、わたしにだってわかる。
司教の顔は徐々に青くなっていった。まあ、わかるけどさ。
「ほんとに聖婚なんてことになったら、困るんでしょ。
だけど、天使だーなんて宣言したのは、見てた人伝にも広まりまくってる。
たぶんこの状況、まずいわよね。この世界は……女性は、若いほうが良いみたいだし」
「正確には、男性の独り立ちを認められるのが遅い、のだろうな。
女性は……仕事があるわけではない。出産ができるとなれば一人前とみなせばいい」
そちらの世界では違うのかもしれないが。と、司教は自分で付け足した。
わたしはその件に関しては黙っておくことにする。現代日本とこの世界じゃ、状況が違いすぎる。
常識が――正義が違うこの世界に対して、わたしはあくまでも異邦人だ。
「だから、提案。
あなたはわたしみたいなオバチャンが相手は困る。わたしは愛の無い結婚は願い下げ。
多分利害は一致してる。これが前提でいいわよね」
「あ、ああ」
ようやく、思い出したかのように腕を離してくれた司教は、慌てた様子で眼鏡をかけなおす。
……どうでもいいが、言い出したのは自分なのにさらっと肯定されるとちょっと腹立たしい。
ともかく。わたしは王様との会話を思い出しながら、ひっかかっていたことを口にする。
「天使って、今までに見つかってないわけじゃないんでしょ。
そんでもって、たぶん、すぐに聖婚に同意した天使は、いたとしても少ないんじゃないかしら」
「……その通りだが、どうしてわかるんだ」
「勘よ。勘」
適当にごまかす。
本当のことを言っても、たぶんさらに混乱するだけだ。
――そう、根拠こそないけど、わたしの中で思い浮かぶことがあるのだ。
王様はこういったはずだ。今までの精霊人が、『かつて精霊として過ごした別の世界の話』をした、と。
そしてわたし自身が、おそらくそれと同じ存在であるということ。このふたつ。
並べてみれば、難しい想像じゃない。つまり、精霊人ってのは、わたし同様、別の世界の人間だった可能性がある。もちろん、可能性だけの話だけれど。
そうであれば、いきなり結婚しろといわれて、はいそうですかなんて従った人の数は限られてくるんじゃないか。そういう、ただの推測。
「そのあたり、調べてみない? もしかしたら聖婚を回避した例もあるかもしれないし、わたしも、そういった過去の人の記録を調べておきたい。
わたしが天使だとしたら、そのひとたちは先達ってことになるでしょ。何かそのあたりで問題があった時に先例があるとないとじゃ、大違いなはずよ」
「わかった。今度、そのあたりの書物を――」
そう言いかけたところで言葉を切った司教が「シッ」と彼自身の唇に人差し指を当てる。
何かあったのか、と聞きかけて、すぐにわかった。
「本当にいた! おかえりノーマ!」
ばたばたと忙しい足音をたてて、廊下からワッと飛び出してきたのはエーリだ。
飛びつかんばかりの勢いだが、相手は小型犬ではなくこんな大きな子供を咄嗟に抱きかかえたりはできない。壁によろつきながら受け止めるのがせいいっぱいだ。
「エーリ、あまり走り回るなと……ああ、おかえりなさい、ノーマ。王はなんと?」
『娘の家庭教師をしてくれってさ』
「ははは……なんとも気の早い話ですな」
追いかけてきたのだろうゼネガンが、わたしに気がついて声をかけてくれる。もともと一緒に掃除職をしていたということもあってだろうか、彼がエーリのことをちょこちょこと気にかけているのは明らかだった。
一方のエーリは、司教の顔を見るなり「べっ」と下瞼を指でひっくり返して舌を出す。
悪ガキの頭を、わたしは軽くはたいた。
「そういうことはやめなさい」
「だってー!」
「嫌われてしまったものですねぇ……」
天使宣言以来、エーリの態度はだいたいいつもこうだ。わたしには一層甘えようとして、かつ司教には悪態をつく。いつもはこれを挨拶代わりのように一通りやって、それで終わりなのだが。
「エーリ?」
「……」
今日は、というかまさに今、エーリはわたしの足元にまとわりついてそのまましがみついてきて、なんだかいつもよりも甘え方が、なんというか……うん、はっきり言えば鬱陶しい。
「どうしたのよ」
「あの王様のところに、嫁に行くのか?」
『いかないわよ』
きっぱりと答えたからには、「そうか! じゃあオレの嫁になってくれ!」といつものように前向きに目を輝かせるかと思ったのだが、それもしない。さらにしがみついてくるのは、なんだか妙だ。ゼネガンもそれに気がついたのか、わたしと目を合わせて首を傾げている。
「ねえってば。エーリ?」
「……」
答えないで、顔を左右にふるばかりだ。仕方ないので、好きにさせておくことにする。
「ゼネガン、これ何かあったの?」
「さあ、心当たりはありませんが……ああ、そうだ。
ノーマ、今度またあのM居棒の作り方を教示してもらえませんか」
ゼネガンが、そう言って話をすっぱり切り替えた。
おや、と首を軽くかしげたのは司教だ。
「あれとホウキモドキの作り方なら、アディナがよくわかっているのでは?」
「ええ、そうなのですが、今日のノーマの演説があったでしょう」
演説いうな。渋い顔をしたわたしのことは無視して、男どもが話を続けている。
「あれで掃除職の連中の方が危機感を覚えましてね。前から言っていた、掃除は技術というのにも少し、耳を傾けてくれそうなのですよ」
「ああ、それで」
「なんで司教が納得してるのかわからないんだけど。どういうことなのよ」
意味がわからないことは突っ込んで聞くに限る。
満面の笑みを浮かべたゼネガンが、にこやかにこたえてくれた。
「つまり、エムイボウは素晴らしいということですよ」
だめだ、全然わからん。
司教に解説を求める。
「掃除職の解体をすすめるにあたって、今までの裾だけをつかって払うやり方は非効率だと、ゼネガンから説明してもらっていただけのことです。そんな細かく面倒なことは疲れるから嫌だという声も、少なくなかったのですが」
疲れるから……って。少しだけ、絶句してしまった。
人間、楽を覚えてしまうとぬるま湯から出るのが嫌になるということなのだろうなあ……。
頭の中によぎったのは、フランス革命を題材にした男装の麗人の漫画だった。もっと正確には、あれを使って当時のフランスは汚れが酷かったんだよっていうのを表現した、トリビア。
つまりは、ゴミ……というか汚物を家の外にぶちまけていたという、あれである。
その結果ヒールを履くようになったとかも、よく言われているけれど――あの捨て方だって、当時、法で禁止されたりしたこともあるのである。面倒だからと従わなかったものが多かっただけの話で。
掃除を専門の仕事にするひとが出てくれば、だんだん綺麗にしようって衛生観念というものの発達に直結するんじゃないかと、わたしはちょっと希望を持つ。
いや、だって、ねえ。
そしたら、最終的には各家庭レベルでお風呂が作られるようになるんじゃないかって、そう思うのよね、わたし。




