86:来たときよりも美しく!
「ほう。余の妻となるよりも重要なことがある、と。天使よ、そなたはそう言いたいわけか」
王が、静まり返る人の中に言葉を落とす。
それはもう、決定的なとどめとして、人の意識をわたしに――求婚を拒絶した天使に――向けさせた。
いやもう自分が天使とか本当馬鹿馬鹿しいけど今はその認識をしておかないとまずい。下手すりゃ社会的に死ぬ。ついさっき、王様の方が天使より立場が高いと、王様自身によって周知徹底されたばかりだ。言葉一つでも間違えてみろ、これだけの人からいちどに罵倒でもされた日には、わたしのこころは砕け散る。断言してやるとも、絶対無理。耐えられない。
わたしは極めてゆっくりと、広場に溢れる人々の姿を見回す。それでいて、目線はもっと遠くを見つめるように。笑わず、口元はこわばらないように引き結ぶ。
背筋を伸ばし、手は胸元で軽く重ねた位置から腰のあたりの高さへとゆっくりと下げながら広げる。イメージするのはミケランジェロのピエタ像、磔に処された男のなきがらをその腕に抱える聖母の像。あれが、何も抱えていないような、空を抱えているかのような姿。今、わたしはその一挙一投足を、文字通りの衆人環視の元行っているのだと意識しろ。すなわち、取るべきは経済誌のろくろポーズ全身版!
その実態は、おもわせぶりな仕草をしながら考える時間を確保しているだけだったりする。
――どうか、威厳のある姿に見えてほしい。見えてくれ。
その試みは幸いにも成功したようで、人々は、かたずを飲んでわたしの次の言葉を待っている。
リーンも同じだ。この空気を壊しそうな、読めない要素である赤ん坊はその胸ですやすやと眠っている。ハリボテの威厳が壊れるかどうかは、わたしの言動、そしてこの子にかかっていると言っても過言ではない。泣き出さないことをそっと祈る。
視線が集まるのを感じる。
だけど、すぐに口を開くな、わたし。
充分に意識をひきつけろ。沈黙を破る、その一言が何よりもひとの意識に残ると知れ。
考えろ。考えろ。
最適解なんてものは、わたし程度の頭にはひねりだせやしない。
だから、次点でいい。何が問題だった。何が諸悪の根源だった。切り込め、すべてを切り崩せ。
今はわたしが来訪者だと皆が認識している。だから――そう、そうだ。
「するべきことが、あるのです」
もう一度、その言葉を繰り返す。
増幅器の杖を持つ人たちが、慌ててわたしの声を拡声する。
わたしはさも、そのまま言葉が続くような顔をし続ける。
これで、わたしは今や神の代行者だ。天使は天使でもペテン師だなってうるせえよ座布団全部持って帰られてしまえ。
地獄があるなら、死後は閻魔大王に会うまでもなく一直線に落とされるに違いない。
「この世界には、あまりにも穢れが増えすぎています」
そしてまた口を閉じ、居並ぶ人の顔を――今度は、意図的にその顔を――見回す。
沈黙は金、雄弁は銀。いや、それは黙ってりゃいいって意味ではないので、適切に喋る必要はあるのだが。あとまれによく観る「昔は銀の方が価値が高かったんだ!」とか言ってる人はなんでアルキメデスが我発見せりと言い出すことになったか考えてみればいいと思う。もし、かつて銀の方が高価だったのだとしたら、それを奉納する王様は細工職人が銀を混ぜた王冠を喜んだに違いない。中学の時ドヤ顔で銀の方が高いんだってと戯言たれながしたわたしには、塾講師のそのツッコミはすごく有益なものだった。
「この、王の妻を苦しめたのは、掃除職に紛れた異国の男の工作、その結果でした」
神殿で何かしらの騒動があったのはわかっていても詳しいことは知らされていなかったのだろう人々が、一斉にざわめき始めた。事実はそうじゃない。だけど、今はそういうことにする。ごめんねケイジ(仮)! あんたは確かに単独行動で逃げ切ってみせたくらいに有能っぽいけど、わたしがもっと有能だったことにしてあげるから、この国に共通のワルモノになってね!
「王はそれを直前に見抜き、神殿の掃除職を解体しましたが、悪事とは行われてから初めて悪事とわかるもの。王の妻子ともども毒牙にかけんとした悪漢から、生まれたばかりのお子を護ることはできましたが、それを庇った彼女は倒れてしまったのです」
わたしが大げさに手振りで示したリーンの、口元が歪んだのが見えた。
怒りではない。あれは――間違いない、彼女は面白がっている。
念のためにも、軽く目配せする。リーンはごくわずかに、だけど確かに頷いてくれ、王様の肩にしどけなく身を寄せてくれた。さすがにあの芝居がかったお母さんの娘、アドリブにも対応してみせるとは演技派だわ。
調子に乗らないように気をつけながら、わたしはさらに即興の演説を続ける。
「掃除職のあり方を、変える日が来たのです。
捕虜を使い、奴隷を使い、その中に不審な者が入り込む隙があることは、これからの世界のために、決して良いことではないのです。
顔のわかる、信頼できる者を使い、少しでも――そう、少しでも!
おのれの身辺を、あなたの大切な存在のまわりを、整えるのです!」
王を下げるような話をすることはできない。わたしは王のことを何も知らないから。
神を敬えなんて話をすることもできない。わたしは神のことも、何も知らないから。
だから、もっと身近な話でまとめにかかる。多少の違和感を持つ人もいるかもしれないが、そこは勢いでごまかす。そうだ、勢いだ。この流れで、大切なのは――そう、この話を統括できる、この場にいなかった人に説明するときにもわかりやすい、そして覚えやすい一言。
キャッチコピー、スローガン、そういったものをぶちあげろ。
何かないか。何か。……そうだ!
「来たときよりも美しく!」
ボーイスカウトか何かの合言葉みたいなやつ! これなら直観的で、わかりやすいはずだ!
「わたしは神に、この地上を神に相応しいまでに美しくしてから帰還すると、そう約束したのです」
人の顔から、王様へと視線をうつし、そしてわたしはこの話はここで終わったのだと言わんばかりに全身で一礼する。王様は、おそらくはリーンとわたしのアイコンタクトからも色々と察しているのだろう。一瞬だけ、にやりと顔を崩してみせると舞台の中央で誰の目からもわかりやすいように落胆した様子を見せる。
「ああ、残念だ。神の御使いを妻にするという栄光を、逃してしまうことになるとは。
――では、天使よ。
そなたがこの世を美しくし、天に帰られるその日まで、どうかわたしの娘を導いてもらえないものか」
こ、このやろう。こっちが本題だったな!
ここまで大々的に断ってしまって、さらに断りを重ねたとなれば、駄々こねてるような印象になる。そこまで狭量なことを言うなら、なぜリーンたちを助けた、とまでなりかねない。
最初は無茶な要求から始め、譲歩したふりして二択に持ち込む、交渉事の常套手段。
顔がひきつらないようにするのに、わたしは多大な努力を要したが、効果があったとは言いづらい。
「――わかりました、その子を、援けましょう」
重々しく、そう頷いてから壇上を辞した。むしろ誰か、わたしを助けてくれ。
「お疲れ様でした、と言っていいのでしょうか」
舞台の下では、ロンゴイルさんがなんともいい難い顔で迎えてくれたが、その横ではいつからいたのかゼネガンとクォセミ司教がお腹を抱えて蹲っている。
「な、何してるの?」
「胃が……きりきりします……」
「腹筋が壊れるかと……」
血を吐きそうに真っ青な司教と、顔がもう全力で笑顔作って真っ赤なゼネガンとでは、同じ蹲っているのでも理由が大幅に違ったようだ。
ふたりとも、ひどい!
遂に此処まで来ました。




