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80:箒チャンバラと解毒の術。そして

「――くそッ」


 震えたまま、青ざめたままではあるものの、すぐ横にいたおばちゃんを突き飛ばし、蹴り男は逃走する。

 いや、しようとした。

 かこんっ! と、いい音がして蹴り男は盛大にすっ転んだ。


「ぐおっ!?」


 脛を押さえて転がる蹴り男。彼の向こう脛に思いっきりホウキモドキをぶつけて転げさせたゼネガンが、その背に膝を乗せて動けないように取り押さえていた。


「ホウキモドキにはこういう使い方もある、ということですかね」


 そう言ったゼネガンに、わたしはなんとなく小学生男子のチャンバラを重ねてしまった。ちょっと男子ー、ちゃんと掃除しなさいよー。

 いくら隻腕せきわんが相手とは言え、がっちりと抑え込まれてしまってはさすがに観念したらしく、蹴り男もがくりとうなだれる。

 はあ、これでちょっとは安心だろうか。

 そう思った途端、膝からがくりと力が抜けた。


「おっと……」

「平気よ、たぶん」


 すぐ横にいた司教が慌てて支えてくれたものの、わたしは軽く断りを入れて地面に膝をつける。

 気が抜けた途端にふらつくのは、よくあることだ。とはいえ、今回のはたぶん、ケイジ(仮)が言っていた毒のせいもあるのだろう。いっときのことを思えば思考は随分とクリアになったが、視界は相変わらずぼやけたままなのだ。


「ゼネガンも怪我してたはずだから、それを治してあげられる?」

「それはさっき、軽く行っておきましたから。今は解毒を考えましょう」


 こちらの会話が聞こえたのか、ゼネガンが右腕――というかホウキモドキ――を振り上げてみせた。

 怪我をしたのは左腕のはずだが、その手は今、蹴り男の確保のために文字通り手が離せないせいだろう。それはとりもなおさず、怪我が残っていたとしても確保するのに支障がない状態だということでもある。

 無事、なわけか。良かった。あとは、ケイジ(仮)を追ったのだろうベル君とロンゴイルさんが無事かどうか。神殿に残ったとみえるアディナにも、怖い思いをさせたんじゃないだろうか。

 それに、エーリもだ。


「怪我してない?」

「オレは大丈夫、それよりノーマの怪我だ」


 子供なんだから、こういう場では怖がっていてもいいのに。気丈に振る舞うエーリの頭をわしわし撫でてやった。やめろよ、とか言うでもなく、それでも真剣にこっちの顔をのぞきこんでくる様子に違和感をおぼえ、わたしは手を止めた。


「どうしたの?」

「ノーマ、今あんまり見えてないだろ」


 見抜いてきた言葉に、ぎくりとする。それに司教も反応した。


「なんですって。こっちを向けますか。……こっちを見て。これは」


 顎をつかまれて、ぐりんぐりんと顔の向きを変えられる。光の入り具合を見ているのだろう。目の怪我の検査のために散瞳剤を入れた時、懐中電灯を顔に向けられたのを思い出した。普通、瞳孔は光をあてるときゅーっと小さくなる。猫の目が夜間は丸く、昼間は細くなるのとまったく同じ理由だ。これを強制的に開きっぱなしにする薬なのだから、薬が効いているかどうかはそれですぐにわかる。

 だから、じっと見ることさえできれば今のわたしの異常は、すぐに気がついてしまえるのだろう。


「何を使われたのかすぐにはわかりませんが、解毒はできるはずです。

 目を閉じて、気を楽にしてください」

「ううん……ちょっと楽にはできなさそうだけど、って、うわっ!」


 目を閉じると身体がかなりふらついてしまって、わたしは怖くなって目を開けてしまう。

 クォセミ司教は顔をしかめて、地面に躊躇なく座るとわたしの頭をひっつかんだ。

 汚れるわよ、と言うより先に無理矢理地面に横倒しにされた。やだー、髪がよごれるー! と、喚こうかと思ったが、わたしの頭は地面よりも柔らかいが、若干かたいものに押し付けられた。


「……ひざ?」

「少しでいいから、黙っててください」


 怒られた。

 わたしの顔を真上から覗き込んだ司教が、こっちの視界を覆い隠すように手をかぶせてくる。眼を閉じろということか、とおとなしく目を閉じていると、じわり、と真っ暗な視界の奥で温かいひかりのようなものが広がっていく。何も見えないはずなのに、それは確かにはっきり見えた。この光は――そうだ、この世界の文字が読めるようになった時に見た光も、こんな感じだった。もしかしたら、これは魔力というものなのかもしれない。その光が体を巡っていくのを感じる。重たく、だるかった体が楽になっていく。


「ねえ見たかい、天使サマと司教様の様子を」


 目を閉じていると、聞こえてくるものが増える。おばちゃんたちの会話は、ヒソヒソしていて明らかに隠し事だったが、こっちを見ながら喋っているのだと思う。今のわたしにはきっちり聞こえた。


「天使様がひざまずいてたよ」

「それに、子供に祝福を与えてらしたねえ」

「記憶がなくても天使サマだってわかったのは、きっとそういう自然な態度が天使そのものだったってことなんだろうさ」


 何を言っているんだろう。

 いや、本当に何を言っているんだろう。

 ものすごい勢いで誤解が広がっているような気がするんだけれど、今その誤解を解くのもたぶん悪手なのが明白で、もしわたしが漫画の登場人物なら巨大な冷や汗を浮かべていること間違いなしだ。


「じゃあ、次は司教様と天使サマが挙式なさるってことかしら」


 ……は?

 一瞬、それが自分のことを指していると理解できず、全身で硬直した。

 おもわず口を開こうとして、がちりと顎を掴まれた。

 舌噛んだ! 今の、舌噛んだ!!


「……黙ってろ。いいから、黙ってろ。あとでいくらでも怒られてやるから」


 司教にも、おばちゃんの会話は聞こえていたのだろう。

 見えないけど、わたしの傍まで、顔を寄せてきたんだと思う。それこそ、絶対他の誰にも聞こえていないだろうほどの小声で、司教の声が、ほのかに人肌の熱を感じるくらい耳のすぐそばをくすぐった。


「聖婚となったら、大変よね。王様のお子も、もうすぐ生まれるとかって話だし。

 その子が男の子だったら、挙式はきっと聖婚と一緒に執り行われるでしょ?」

「華やかになるだろうねえ、楽しみだねえ!」

「それまでは許嫁かしらね。それまでなら司教様狙いのチャンスだって、まだあるかも」


 きゃっきゃとはしゃぐおばちゃんたちの声。

 あはは、その生まれた子、女の子だったんで、たぶん同時挙式とかはないですよ?

 いや、そんな場合じゃねえ。これはいったいどういうことなんだ。

 20は離れた歳の子に求婚されたのは冗談だろうし、13歳の母に17とかの少年を婿にオススメされたのも笑って流せる。いや言葉にするとわけがわからんけど、まあわかることにしておく。

 だが、およそ40歳の唐突プロポーズだの、いきなり許嫁扱いだのは、本気でどういうことだ。

 わたしは確かに婚活中だったが、それは誰でも良いって意味では断じてない。ないったら、ない!

 せめて今は、わたしのことを嫁にすると騒ぐエーリには聞こえてないことを祈るばかりだった。

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