78:嫌な予感と、フライパン
「この、ガキ……!」
蹴り男がエーリを捕まえようとする。だけど子供の方もそれは予想済みだったようで、飛び退くようにしてそれを避けた。
距離が開く。
殺したい女と、邪魔な子供と。どちらを狙うか、ほんの一瞬だけ考えたようだけれど、蹴り男にとって本命は女なのだろう。結局はこっちに向かって突進してきた。
慌てて逃げようとしたが、少しふらつく。意識こそしっかりしてきたが、毒が抜けたわけではないということか。
「エクドバ、なんかばばーっと相手を吹っ飛ばせるような攻撃魔法とか、ないの!?」
「はあ!? ないわけではありませんが、街中でそんなもの使ったら!」
街中。
そうか、いくらか朦朧としていたから、よくわかっていなかったけれど。ここは――ちょっとかわいらしいくらいの、小さな家に囲まれている、石と土の地面でできた、広場。隅の方にはいくつかの手桶が転がっていて、少し離れた場所には井戸がある。
通路になるのか、家の切れ目にのぞく道からは、何人か、おばちゃんとかが半身を隠しながらも様子をうかがっているのが見えた。
まわりの家が長屋ならば、まさに時代劇の長屋の真ん中にある、井戸端会議が開かれてそうな、絵に描いたような井戸端。長々と考えこんでいたわけではなく、ただぱっと見でそうと判断しただけの話だけれど、その印象は正しかった。
蹴り男が、逃げ切れなかったわたしの胸ぐらをつかむと、滅多やたらに殴り掛かる。顔をかばった腕が、殴られるそのたびにわずかに青い光を放つ。そのおかげだろう、無茶苦茶痛いというわけではない。たださっきと同様、ドッジボールがびしばしされてるようなくらいで。いやそれだってじゅうぶん痛いんだけどさ。
そんな防戦一方のわたしにはまわりを見るような余裕はない。時々蹴り男手が緩んだりするし、そのたびにエーリやエクドバの騒ぐ声がするので、助けようと何かしてくれているのだろうというのはわかるけれど。
ただそのたびに、二人共、殴られたり、蹴飛ばされたりしている。わたしには防御魔法がかかっているけど、ふたりにはその余裕はないはずだ。だけどわたしに何かできることも思いつかない。どうしたらいいのよ、このジリ貧状況。
「あんたねえ、おんな子供相手になにやってんのよ!」
がん! という音がして、顔を上げる。フライパンに似た何かでもってがこんがこん蹴り男の肩を叩く、見知らぬおばちゃんがいた。確か、さっき遠巻きに見ていたひとではなかったか。
「こんな子供を蹴り飛ばして、見てらんないよ!」
「ほら司教様もなんか言ってやりな!」
見兼ねたのだ、と。他にも数人のおばちゃんたちが、エーリを抱えてくれていたり、司教をひっつかんでいたりしている。
むしろ動きづらそうなので、司教の首は離してあげてほしい。とっ捕まったクォセミ司教は、額から血を流しているエクドバに何か呪文をかけているようだ。たぶんさっきまでも同じように、騎士ふたりの後方からああやって回復呪文でもつかっていたに違いない。なんだかRPGの後衛職って感じだ。
……その騎士ふたりはどこにいるのだろう。探そうとしたが、この井戸端にはケイジ(仮)ともども見当たらない。ケイジ(仮)がまた逃げたのを追いかけていった、とかだろうか。
蹴り男がおばちゃんたちに囲まれて詰め寄られている、その間にわたしも半分倒れるように後ろに逃げる。そのわたしの背中を支えるひとの手があった。
「もう大丈夫だよお、なにがあったか知らないけど、ひどいことするやつがいたもんだ!」
こちらも、見知らぬおばちゃんで――といっても、たぶんわたしとほぼ同じくらいの歳だ。だが、そのあり方はまごうことなきおばちゃんだった――、わたしの怪我を見て顔を思いっきりしかめて、怒ってくれている。
ありがとう、と言いかけた時だ。
「この、ババアどもが! そいつはなあ、魔女なんだぞ!」
蹴り男が、絶叫した。
わたしを支えてくれていた手が、離れる。
「ま……魔女だって……あんたが?」
『違います!』
おばちゃんたちがそれぞれに、口元を抑えたり青褪めたりしながらも、さあっと離れていく。
さっきわたしに声をかけてくれたおばちゃんも、「ひぃ!」と息を吸いながら出る声を出して後ずさった。
「魔女が、じぶんのことを魔女だなんてみとめるもんか。そいつは、魔女だ!」
蹴り男が喚く。
おばちゃんたちの視線が、恐怖と警戒、ちょっとの好奇心にそめられていく。
違う。
そう言いたかったけれど、思わず口ごもって、俯く。
わたしが精霊人だとの疑いは、(妄言に近いエーリのあれはノーカウントとして)ロンゴイルさんから出たものだ。そして、精霊人が魔女になるケースがあると、わたしは知らされている。
だったら、魔女じゃないって、言ったところで信じてもらえないんじゃないのか?
切られたままの胸元を、ぐいとひっつかむ。異世界の人間であるわたしには、この世界には足を付ける地面がない。心もとない。不安に押しつぶされそうになる。
後ろから、わたしの肩をつかむ手があった。
「ぃや、離して!」
何をされるかわからない恐怖に、顔も向けずその手を振り払おうとしたが、その手は離れようとしない。
「彼女は魔女ではありませんよ」
後ろから聞こえたそれは、クォセミ司教の声だった。
「おれは、見たぞ! 神殿で、サイコロの目をかえてみせるといったこの魔女を!
魔女でもなきゃ、サイコロの目をかえれるものか!
そもそもなんで、その男みたいなえらいヤツと、このへんな女がはなしてるんだ?
きっとその男も、魔女があやつってるんだ!」
蹴り男はさらにそうと喚いて疑心暗鬼の種を蒔く。
おばちゃんたちは顔を見合わせたようだ。
見るからに掃除職の蹴り男と司教と、どちらの言葉を信じたらいいのかなんて普段ならおそらく悩みもしないのだろうけれど、蹴り男の発言があまりに突拍子もなさすぎて、判断に迷ってしまったのだろう。
司教は、おそらく困った顔をしたのだと思う。変な唸り声が聞こえたから。
それからわたしの耳元で、ぼそりと囁いた。
「……今から、ハッタリをかまします。
何を思っても変なことを口走らないように」
強烈に嫌な予感がした。




