74:ナイトキャップと、守護の魔法
「うぎゃあ!?」
「黙れ」
腕力は相当あるのだろう。片手で担ぎ上げられたものの、喚いたわたしの首にナイフはそのまま押し付けられている。
ターバン男は、一人だけ廊下の、階段を挟んで向こう側にいたアディナに「退け」と命じる。さすがにアディナがひとりそれに抗ったところで、何ができるわけでもない。ゆっくりと、後退するように下がっていく、アディナ。その先で、扉が開いた。
「うるさいです……何事ですか」
目をこすりながら出てきたのは、クォセミ司教だ。徹夜だと言っていたから、仮眠を取ろうとしていたのだろう、ナイトキャップのようなのをかぶって、床スレスレまでのワンピース型パジャマだ。なんか子供っぽい格好だが、とりあえずでかした司教!
突然挟み撃ちの形になったことで、じり、とベル君たちが距離を詰めようとした。だけど、ターバン男は動じる様子がない。むしろ、その勢いのままわたしの身体を振り回し――うわまずいこれは、ぶん投げられる!
「うわわわわッ!」
慌ててジタバタともがく。とにかく抵抗しようとしてがむしゃらに何かを引っ掴む。だけどひっつかんだものは頼りない感触で、そのままずるりと動いた。藁をも掴むというわけじゃないが、もうその手を開いて何か別のものを掴み直すだけの時間も、余裕もない。
ぶん投げられた。
「――守護!」
咄嗟に聞こえた声は、書き物さんことエクドバのそれだ。相変わらず影が薄い。よくよく見ればロンゴイルさんの後ろにいたようだが、気が付かなかった。
そんなことを考えたのは、後からのことだ。
ガゴンという派手な音。
廊下の窓は、木の蓋を跳ね上げるタイプだとは何度か見てわかっていた。ターバン男は跳ね上げた後の板を支える棒を、その向こうの板を、わたしの体でぶち破ったのだ。
そのままわたしの体は為す術なく地面を転がる。多少整備された場所ではあるが、土などがない、石で舗装された庭の一部。
下手をしなくても大怪我をしていそうな状態だけれど、地面にぶつけた左肩が痛いくらいですんだ。すごく痛いけれど、左手の指は動く。しびれるような感覚があって、手を握るとかはうまくいかないけれど、全く動かないわけじゃない。だから多分、折れたりしているわけじゃないと思う。
言うほど長く考え事をしていたわけではないけれど、すぐにわたしの体はまたひっつかまれた。
ターバン男が、わたしの後に続いて窓を飛び出してきたのだ。
窓は、随分と吹っ飛んでいる。――少し、ぞっとする。どんな勢いで投げれば、木枠ごと窓をぶちぬけるというのか。むしろよく無事だったなわたし!? たぶん、さっきの、エクドバが唱えた呪文のおかげだろう。体の周りを、うっすらと青く光る、幕のようなものが包んでいる。守護、と聞こえた気がするから防御魔法か何かか。
「あんた……隣国の、スパイとかなの」
「ご名答」
ひっつかんだのは、盾代わりなのだろう。また担ぎ上げられて、いい気はしない。抵抗をしようにも、また首にナイフを押し付けられては暴れるのも得策ではなさそうなのが困ったところだ。
まったく、首ナイフ論争とかもう何十年前の話だってのよ。かといって明らかにモブとかエキストラでしかなさげなわたしは首にナイフを突き立てました、終了! で死んでしまいそうだ。ナイフの期待値が低いから生命力を貫通しないとかじゃない、死なないかどうかは、主人公補正がそこに存在しているかどうかだ!
とりあえず、このままわけもわからず肉の盾にされるのも癪に障るので、何か聞き出してやろうと思った。
さっき頭のなかでぶつかったものではあるけれど、ゼネガンが腕を失ったのは、隣国との争いの結果だったという。だから、このターバン男が隣国に属している、のは、すぐにわかる。
そういえば、ターバン男はもうターバンをしていない。さっきわたしがひっつかんだせいで、そのまま廊下に転がっているはずだ。今は特にこれといった印象のない顔で、なんだか腹が立つ。
「ほくろに、ターバン。あんだけ目立つものがあれば、そこにばっかり目が行くってことか」
わたしを担ぎ上げたまま走る元ターバン男は答えない。答える必要性を感じていないのだろう。
それよりも、後ろから何やら声が聞こえてくることのほうが、気になっているようだ。
そりゃそうだろう。人質としての有効性があるかないかは別問題として、女ひとり担いで走って、速度が落ちないはずもない。
すぐに取りかこまれた。
「――仇敵の顔でも、すぐにはわからないものですね」
まっさきに追いついたゼネガンが、低く、抑えたような声で、そう言った。
だけど右手にホウキモドキ、左手にM居棒の彼は戦力としてカウントするわけにもいかないだろう。
その後にはベル君、エーリ、ロンゴイルさんの順で追いついた。
だいぶ距離をあけて、司教が来た。あのやろ、着替えてきやがった。ずるずるパジャマで来たら指差して笑ってやろうかと思ったのに。
「近頃、隣国から間諜が出たと噂があったのだが……」
ロンゴイルさんはそう言って、ちらりとわたしを見た。
そうね、司教もそんなこと言ってわたしを疑ってたはずで。むしろわたしっていうかなり怪しいのがいたから、この元ターバン男は自由に動けていたのかもしれない。
「王族を狙っていると、そういう話でしたか」
ベル君が、上司の言葉を聞き返す形で確認している。ロンゴイルさんがゆっくりと頷いた。
えーと。つまり、どういうことなの?
「王の子が生まれそうだから、ちょっと見てくるーってこと?」
「……間違ってるとは言わないが、おまえ、頭の中平和だな」
元ターバン男に呆れた様子で吐き捨てられた。
「だってわたし、記憶が無いんだもの。わかんないわよ」
思いっきりぶすくれてみせる。
はァ? と。元ターバン男は随分怪訝そうな顔をしながら、首にナイフをすこし強く押し付けてきた。
「だから何が問題なのか、さーっぱりわかんないよ!」
「もし生まれたのが男児だったら、リーンが王妃になる予定だったんです。
王妃か王子が死んだら、王はしばらくの間喪に服す決まりがあって」
わめいたわたしに、ベル君が困ったように説明してくれたけれど……ごめんよ、わたしこの世界の人間じゃないからよくわからない。
「……すぐに王の世継ぎが生まれたら困る、そういう事情が隣国にはあるらしい、ということです」
「最初からそう言ってよ!」
ロンゴイルさんの説明で、ようやくそれなりに納得ができた。
呆れ切ったのか、走り疲れたのかはわからないが、元ターバン男はわたしを地面に落とすように下ろすと、今度はまた腕を背中に向けて捻り上げた。
状況はそう変わらず、わたしはあいかわらず人質、ということである。




