68:ゼネガンと、身震い
ほっとしたのは良いとして、司教はいつまでわたしの口を押さえているつもりなのか。もごもごと抵抗を続けていると、やっと気がついたといった体でクォセミ司教はわたしの顎から手を離した。
「落ち着かれましたか」
まるで錯乱したわたしを取り押さえて騒ぐのをやめるまでじっと待っていたかのように振る舞う。というか傍目から見ればそうとしか見えないだろうあたりで、多分そういう設定に違いない。ええいすました顔しやがって、噛み付いてやれば良かった。
司教は、被害妄想じみた発想で睨むわたしの視線をスルーし離れようとしたところで「ああ」と声を上げた。それは明らかに、わたしに向けられたものではない。
なんだ?
振り返ると、待合ギャラリーを押しのけるようにして現れた人がいた。
ゼネガンだった。
またあのヒゲジジイに貸してもらった服を着ている、と思ったが、どうやらその服の右袖はゼネガンの腕にあわせて短く切られているようで、その先端は皮か何かで覆われていた。
「では、お願いできますか」
慣れた風に、司教がゼネガンにそう声をかける。ゼネガンの方も、「はい」と、毎日繰り返しているやり取りのような自然さで返すと右腕の先を触りだした。その途中で、司教と話していたのがわたしだと気がついたらしい。
「何日か寝込んでいたようですが、もう大丈夫なのですか?」
「あれ? エーリから聞いてなかった?」
確かあの子、昨日別れ際にゼネガンたちが揉めてるのが気になるからとか言ってたはずなんだけど。
そう言うと、ゼネガンも眉をしかめる。
「揉めごと……あの時のですかね。すれ違いでもしたのでしょうか」
そう言いながら、右腕の皮製品をいじる、ゼネガン。よく見るとそれは肩から縁取るかのように続いていて、その数カ所に革紐がついている。ぱっと階段下のポッター部屋――ていうかわたしが寝てたあの場所だが、あそこに入ると何本かのホウキモドキと、美容師さんとかが腰につけるバッグのような形状のものを持って戻ってきた。……もしかして、あそこ、倉庫に戻ってる? わたし、昨日起きた時に何があの場所にあるかなんて確認していない。思わず司教を見たが、目をそらされた。そらした辺りでわたしの用件はわかっているはずだ。むしろそれがアンサーか。
「ファイナルアンサー?」
「……は?」
ちっ。さすがに伝わらなかったか。なのできちんと言い直してやった。
「倉庫? 人が寝てた横で?」
「場所の有効活用と呼んでいただきたいですね」
おもいっきり顔を歪ませて、鼻で笑ってやった。
「……たまに思うんですが、あなた本当に女性ですか」
「こっちじゃわたしの歳はもうお婆ちゃんスレスレなんでしょーが」
「老婆とて人間には違いないのですから、せめて可愛らしいお婆ちゃんになってみようという心遣いを持って振る舞ったところで、誰からも責められることはないかと思いますね」
ほっとけ。
「で、ゼネガンは何してるの?」
皮紐でホウキモドキをくくりつけている、のは見たらわかる。片手で縛るのは多少難儀しているようで、おもわず手を貸そうとした。だけど、わたしが知ってるのはよくある蝶結びとかそういうのばかりで、あまりしっかり固定できない。見兼ねたのだろうアディナに「やります」と割って入られてしまった。
「ありがとうございます。
いえ、この数日で決まったばかりですが、掃除職を解体することになったんですよ」
「ん? どういうこと?」
掃除職と言えば、服とも呼び難い襤褸を引きずって、徘徊することで掃除と称するあの汚らしい一団のはずだ。昨日見かけたゼネガンが揉めていたのも、その連中だったはずで。というかそも、ゼネガン自身が、掃除職に属していたはずだが。
「司教様ですよ」
そう言って、ゼネガンがクォセミ司教を指し示す。司教本人は、あくびを噛み殺して部屋に戻ろうとしているところだった。
「あの方は、決断が早い。ホウキモドキやエムイボウの方が合理的だと考えた以上、少なくとも神殿で掃除職を歩かせる必要はないと、そう判断されたようです」
腰に巻いたバッグからM居棒を取り出して、ゼネガンは笑う。
どうでもいいが、彼の発音だとまるで新種の弓な何かのようだ。エムイ・ボウ。
「もしかして……昨日の揉め事って、それで?」
「ええ。突然の解体に、不満があるものも少なくありません。
……情けない話ですが、掃除職であれば歩いているだけで食事がもらえると考えているものは、多い」
希望があればホウキモドキなどの作り方を覚える補助をするとも伝えたのですが、と、少し残念そうな顔のゼネガンは呟いた。そうすれば、多少裕福な家に雇ってもらうことも、無理な道筋ではないだろうに、と。
「資産のある家だと、掃除職も盗賊も変わらないと考える者もおりますから。
……今の掃除職にはこの身のように、傷を負って退役した武官も数人おります。
確かに、雇われるとなれば身元が多少なりともしっかりしている者が優先されるでしょうから、自分たちはどうなるのだという彼らの言い分も、まったくわからないわけではないのですが……」
「少なくとも神殿ではこれから、彼らをつかうことはない。そういうことになります」
どうしても、元は同じ立場の身であるゼネガンには少し口にし辛かったのだろう。言葉を引き継いだのは、ベル君だった。ロンゴイルさんの部下同士として当然というかやはりというか、彼らは以前からの知り合いだったようだ。すぐにわたしのことを忘れたかのように、ふたりが話を始める。右腕に固定したホウキモドキで廊下を掃き、掃除を始めたゼネガンに対し、どうやら多少かしこまって萎縮しているらしいベル君が何かを、誰かの近況などを話し、それにまたゼネガンが快活に笑って返す――。
掃除職が悪習であるとは、この世界で立場ある身なのだろうロンゴイルさんもが言っていたことだ。おそらく、それが今でなくても、いつかはこういう日が来たのだろう。その慣習が否定される、変化の日が。
わたしが、その引き金をひいたのだ。
出過ぎた真似をしたのではないかと、少しだけ、身震いした。




