66:剣、そしてぱーどぅん?
神殿に急ぐ。奇妙にひりついた空気があった。
待合室的な場所を通るにも、視線がちくちくとして、わたしを見ていることがわかる。
「な、なに?」
空気にのまれて怖気づくわけにも行かず、じろりと向けられた視線に睨みを返す。
慌てて数人、目をそらしたのがわかった。
「なーんか……やな空気ね」
「アディナもそう思います」
不穏さは勘違いではないようで、アディナもそう言って肯定してきた。
これが、「今からあいつの首が切られるんだぜ」な意味じゃなきゃいいんだけど。二重の意味で。
そんな事態だとしたら、リーンは助からなかったということになる。
……首、きっちり洗ってきたほうが良かったかもしれない。いろんな意味で。
なんとなく首を手で覆うようにさすった。
「どうしました?」
『首がむず痒くって』
「赤くなっていますから。ひっかきすぎたのでしょう」
ああ、引っ掻いたところとか、治りかけの傷が痒くなるあの現象ね。
いやそもそもそういう意味じゃないんだけど、首を洗って待っていろなんて慣用句染みた脅し文句はきっとこの世界にないのだろう。
階段の手前で、わたしは足を止める。
昨日のように壁にぶつかるのは嫌だったのもあるにはあったけれど、それよりも、だ。
――見計らっていたのだろう。ちょうど、階段を降りてくる足音を耳にしたのだ。
それは、鎧を着込んでいるのだろう、がちゃがちゃとした金属質な音だった。
「ベル君」
「…………」
姿を合わしたのは、予想通りの人だった。
すう、と無理矢理に息を吸い、呼吸をする。意識していないと、止めてしまいそうになるのだ。
もう一度、首をさすりながらわたしは前に出る。
「逃げずに来ましたか」
「ここは神殿です」
そう言いながら、ベル君は剣を引き抜いた。
アディナが顔をしかめて注意を呼びかけるが、ベル君はそちらに顔すら向けない。
「クォセミ司教には、許可を頂いている」
「――失礼いたしました」
そう言われれば、アディナにはもう何も言えることがないのだろう。一礼し、わたしの後ろに下がった。
ベル君は引き抜ききった剣をこちらへと向ける。
わたしはといえば、随分非現実感に溢れた心持ちでそれを見ていた。
どうせ、元はあの地下鉄で死んでいたのだろう身だ。
できるなら石にしがみついて泣きわめいてでも長生きしてやりたいところだが、一息にズッパリというのも、なんというのか、死の魅力とでも呼びたい感じがあって、悪くない。
「もったいぶらずに、やるなら一息にやってくれる? ――騎士なんでしょう?」
言いながら、しまったな。もし今ベル君が、絶対に許さんぞ虫けらどもー、じわじわとなぶり殺しにしてくれるー。な心境だったとしたら逆に苦しむ方法を選ばれてしまうかもしれない。なんてことを考えてしまい、内心で焦って、一言付け足した。
何が引っかかったのか、はっきりと動揺したベル君の前で、わたしはわざとらしく髪をかきあげてみせる。首ならここにあるし、逃げも隠れもしないわよ。
それに――ベル君がこうしてわたしに剣を突きつけてくる事態ということは。三途の川がこの世界にもあるのだとしたら、リーンのことだ。待っていてくれそうな気がする。
ベル君は剣を振りかぶると、それを天井スレスレまで掲げた。
チャキリ、と音がした。彼が剣を持ち変えたのだ。
ああ。数日とはいえ、なかなか楽しいロスタイムだったなあ。
わたしはゆっくりと目を閉じる。
だから、すぐに気が付かなかった。
「ノーマ、どうか、この剣を」
ベル君は、先程まで掲げていた剣を、確かに持ち替えていた。
だけど、その彼の持っている位置は。
「……何してるの? 指、切れちゃわない?」
剣の、腹とでも言おうか。そんな場所。
そんな場所を持って、わたしに持つ方――柄だったっけ。そっちを差し出していた。
「この剣を、受け取って欲しい。いや、どうか受け取っていただきたい!」
「はァ?」
意味がわからない。
これで、どうしろと言うのか。
「まさか、これでわたしに、自分で腹を切れとか言うつもり?」
自分にできる限界まで疑いに満ちた目と声で、わたしはベル君にそう問いただす。
彼はなぜだか、片膝をついて頭を垂れ、変わらずわたしに剣を差し出している。
「……受け取ってあげてください」
アディナが、どうしてか、真剣な声でわたしに囁く。
何がなんだかわからないけれど、とりあえず話が進まないのも困るので、それに従った。
「その剣で、彼の首を叩いてください」
ぎょっとして、わたしはアディナの顔を振り返った。
彼女の顔は珍しく、感極まったかのように紅潮し、目が潤んでいる。
「軽く、二回。そして、ゆっくりと置くように一回です」
なんで。
とりあえず、言われたままに軽く二回、ベル君の首――というか、肩と首の境目というか。首を叩くには、頭が邪魔すぎる。そのあたりを叩く。それから、言われたようにゆっくりと一度。
その後、ベル君はさっきのようにその剣の腹をつかんでわたしからやんわりと取り返すと、何をしようとしているのか、剣の先に口をつけた。
どうでもいいけど剣って、重たいのねえ。
「手がぷるぷるする……」
唸るように呟いた。
その声が誰かに聞こえることはなかったと思う。
後ろから一気に、どよめくような声が上がったからだ。
さっきまでじっと黙って妙な空気だった、待合室の人たちだった。
「見たか、あの騎士が誓いをたてたぞ!」
「あいつは敗残卿のところの……」
「この間の騒ぎの時の女だぞあれ」
「いったいあの女、何者なんだ?」
なんだ?
何を騒いでいるんだ?
ていうか誓いって?
頭の中思いっきり疑問符が飛び交うわたしの前で、相変わらず片膝をついたままのベル君が、剣を彼の前に、横向きに置いて更に深く頭を下げてきた。
「妹の恩人に対しあのような疑いをかけ、申し訳ありませんでした!
この恩と、罪にかけて、このベルデネモ、あなたに忠誠と、敬愛を誓います」
……ぱーどぅん?




