65:タライと、下着
お風呂!
たとえタライであったとしても!
この喜びがわかってもらえるだろうか!!!
「ああ……おふろ……!」
なんたる幸せ。やはり体を拭くだけとかあるまじき罪だわ。
とかテンション上げたところで、所詮腰までの湯量なんですけどね。
「それでもつかれるだけ儲けものよね」
お湯を手ですくって、肩にかける。
めったに入浴する人はいないのだそうで、多分バスタブなんかは超贅沢な存在なのだろう。身分の高い人なら持っていないこともないのだとか。
この宿はご主人が精霊術を使えるので、水と火には困らないのだそうだ。
その代わり精霊のゴキゲンを取るのが大変なんですけどね、とか笑って教えてくれた。何がどう大変なのかは、精霊が見えないわたしにはよくわからないが、お供えのようなことでもするのだろうか。。ちょっと知りたい気がする。
ともかく、術で水を集め、火で沸かし、熱すぎない温度にしたものを大きなタライに集める。こうすれば、即席のお風呂の完成である。
入浴の習慣がないとは聞いていたので、木の板で囲んだ、湯船のための水場があることに驚いたけれど、たまーに旅をしてきたとかで汚れが酷いお客さんなどが来た時に使ってもらうことがあるのだそうだ。その代わり浴槽にしたタライは洗って返さなきゃいけない。前に使った人はそのあたり、あまり丁寧な人ではなかったようで、タライの外側に土が残っていた。洗って返すにも洗剤がないので、これは頑張ってこすり落とすしかない。少し面倒そうだなあと思ったが、それでもやっぱり体を湯に浸からせる欲求には勝てなかったよ。
正直、布で拭くだけだった体は少し、気持ちが悪い。石鹸が欲しいが、「何を洗濯するんだい?」とか言いながらすごい臭い泥のようなものを出されたので、遠慮することにした。そういや、石鹸の語源は羊って説があるんだっけか。羊を焼いた脂が灰に落ち、それが雨によって石鹸の成分になったとかなんとか。
その後にも諦めきれず、体の汚れを落としたいのだと説明してようやく出てきたものも、刃のない鎌のような代物。これで体をこすれと。そして垢を落とせと。そういうことか。おのれなんたる物理的。
ちなみに、それでがんばった。なのでちょっと身体がひりひりする。
髪の毛は頑張ってお湯で揉んだ。
せっかくのお風呂回だというのに泡あわしてキャッキャウフフとかしないなんて、わたしのいる世界は潤いが足りない。いや我ながら何言ってるのかほんとよくわからないけれど。
「ノーマ。あまり長々とやっていると、身体が冷えます」
「それもそ……ぶしゅっ」
板の向こう側からアディナが声をかけてきた。そんなに長くつかっていたつもりはないが、お湯が少なすぎるせいもあるのだろう。冷えを自覚した瞬間、くしゃみが出た。
急いで身体を拭き、タライを洗い流す。身体を拭いた布も、当然のようにタオルみたいな柔らかいものではない。とはいえ少々ゴワゴワしているのが赤く、軽い擦り傷めいた状態の肌だとちょっと痛い程度で、普通だったらそれほど気にならなかったと思う。
下着は、少し困っている。……その、目が覚めたときには、上下ともによく知らないものに交換されていた。下はこれ、多分、ズロースとかドロワーズとか、そういうあれだと思う。上は……下側が多少きつめになっている帯、としか言いようがない。実は、未だにこれがうまくつけられないでいる。
「アディナ……いる?」
「はい。失礼します」
水場に入ってきたアディナが、少し目を見開いて、それから眉をしかめた。
「……真っ赤ですね」
「ああ、まあ、仕方ないかなぁ」
何のことを言っているのかと少し周囲を見回したが、すぐに擦り傷状態の肌のことを言っているらしいと気がついた。言われるほど赤いだろうかと思って自分の身体を見回したが、確かに、ちょっと赤い。塩水とか塗られたら泣くけど、因幡の白兎じゃあるまいし。まあこれくらいならすぐ治るだろう。
「やはり、拭くだけでも良かったのではないでしょうか」
「そう? わたしはお湯につかれて嬉しかったけど」
随分と険しい顔をしたアディナが、わたしの背中をさわる。
「あ痛っ」
「少しですが、血が出ています」
うわあ。見えてないところだから、やりすぎたか。
失敗したなあとか思っていると、アディナがぼそりと呟いたのが耳に入った。
「せっかく、きれいな肌をしていらしたのに……」
へ?
――ああ、そうか。
「寝てる間、わたしの服を着せたりしてくれたのは、アディナだったのね。
そっかー。ちょっと安心したー」
「ええ、そうですが……安心、ですか」
「そりゃそうよ。わたしだって、万が一、ヒゲジジイとかに着せ替えられて下着まで変えられてたとかだったら、なんて思うと背中ぞわぞわぞわっ! ってするわよ。
いやあ、アディナがいてくれてよかった」
なんだか複雑そうな顔をしたアディナに、わたしは本気でそう言って返す。
いや、さすがにないだろうとは思ってたけどさ。万が一ってことも、否定しきれなかったわけで。
「……確かに、ちょっとぞわっとします」
想像してみたのだろうか。なんとも言えない顔で言うアディナ。
わたしはうんうんと頷いた。
「あと、ええっと……これ、どうやって着たらいいのかな」
この流れなら聞ける、質問するなら今のうち!
とばかり、そっと下着を差し出してみた。わたしはだいぶ、情けない顔をしていたと思う。
軽くため息をついたアディナが、後ろを向いてください、と指示する。
そのまま服まで着せてくれたけれど、またもおもいっきり締められて、わたしはぐえええ、となった。
「着る時には、何度でも呼んでください。何度でもお着せしますから。
あと、今後はできれば、身体を流す時はアディナも同行させてもらえますか。
そんな怪我をされるようでは、見ているこちらも困りますから」
「へ? まあ……かまわないけど……」
タライを宿の主人に返して、荷物を取りに部屋へ戻ったら、アディナになんか変なお願いをされた。
首を傾げながらも、わたしは軽く了承する。
ほんと、なんでだろ?




