59:死の宣告と、精霊人ワンスモア
連れられて、ご飯を食べたときと同じ部屋に向かう。
あれから結構な時間が経っているので、とうぜん、食器はない。
そのかわり、というのも変な話だが、前髪怪しい書き物氏ことエクドバさんがいた。
「あれ? 神殿にいたんじゃなかったの?」
「あの手順、あなたが考えたと聞きましたよ。妙なことを考えたものですよねえ」
肉食の獣に齧られても目を覚ませない薬で眠らせ、時遅を使い体を流れる血の速度を落とす。わたしだって自分だけで思いついた方法というわけではなく、大怪我をしたベル君に彼らがしていた対処を大げさにしただけにすぎない。それなのにそんなに不思議がられているのも、なんだか落ち着かない。
エクドバはさて、と言いながら腰を掛けていた椅子から立ちあがると、準備体操のように肩と首を回し始めた。
「術使に用があるのは術をかける、最初のその一瞬だけですから。
あまり長々と立ち会っていても邪魔になるだけのことでして――ま、そんなことはどうでもよろしいですな。
で、ロンゴイル様。なんでもちょいと確かめたいことがあるとのことで」
「ああ、頼めるだろうか」
何を、との合意はもう取れているらしい。わたしには特に説明することなく、ロンゴイルさんが頷いた。
エクドバは懐から取り出した紙を、わたしに向けて広げた。
「これは、読めますか?」
『読めない』
何を書いてあるのか、さっぱりわからない。
首を左右に振ったわたしの前で、エクドバはもう一度、「読めますか?」と確認してきた。
『読めないって』
「本当に?」
『本当に』
なんの問答なのかもわからないし、わたし自身は勝手に答える喉に任せてぼーっとしているだけである。
だというのにそれを見ているロンゴイルさんがみるみる目を丸くしていく。
いったいなんだっていうの。
「……エクドバ、これはいったい」
「いや、間違いありませんね」
慌てて何かを話し合う様に、こっちとしては首を傾げるしかない。
やがてロンゴイルさんがわたしの前に椅子を持ってきて腰を掛ける。どうでもいいことながら、むちゃくちゃ姿勢がいいなあこの人。そして、神妙な顔で口を開いた。
「結婚していただきたい」
はぁ!?
「待ってなにこの流れえ、ちょっとわけかわん、わけわかんないんですけど!?」
慌てた。噛んだ。立ち上がった。後ずさった。
いやもう本当にわけがわからない。超唐突なプロポーズのわりに、言っているロンゴイルさんはめちゃくちゃ沈痛な顔してるしそれを見ているエクドバも痛々しい顔してるしなにこれ本当にどういうことなの。
「ノーマさんご自身に自覚は――ないんでしょうね、やっぱり」
なんでか妙に悟った顔で、エクドバがそう言った。じかく?
「じかくって、何の」
「あなたはさっき、こっちが使った言語すべてに、的確に返事を返したのです」
……ええと?
「ごめん意味分からない」
「そうでしょうね。自分の妻も、そう言っていました」
もっと意味がわからないことをロンゴイルさんが補足する。
エクドバが「よく耳を澄ましてくださいね」と前置きして、何かを言い始めた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。――これの意味を説明できますか?」
ええと……どこかで聞いたような。そうか、国語……古典の、方丈記だ。
そう考える間にも、わたしの喉は勝手に返答する。
『川の水はずっと流れているけど、それは同じ水が流れているわけではない』
なんで方丈記が。そこにも疑問はなくもなかったけれど、この一文の内容はわりと普遍的なものだと思う。たまたま言葉が似通っただけの可能性も、捨てきれない。
そう思っていたのに、エクドバは更に追撃を――そう、それはまさに追撃だった――してきた。
「では、今のと同じ説明をこの地の言葉でお願いできますか?」
『川の水はずっと流れているけど、それは同じ水が流れているわけではない』
その質問の意味を理解するのに、わたしはかなりの時間を要した。
「どういうこと……?」
「サワカ、いや、今はノーマでしたか。
あなたは自分で、何をどう答えているか、わかっていないようですね」
エクドバが確信めいたものを表情に浮かべて、わたしにそう告げる。
迷っていた時に聞こえたオジサンの声が天啓なら、その時のエクドバの声は死の宣告だった。
まあ受けた衝撃はってだけの話なんで、イメージとしてはそのままカウント10から進まないうちに戦闘おわるような感じだったけれど。
「こっちは、複数の言語で聞いていたんですよ。あなたは、聞かれた言語で返事をしていた。
あの古語で喋る農夫とも抵抗なく会話していたようですし、多分、何を聞いても同じように聞こえていたのでしょうね」
いやあのオジサンはなかなか訛りまくっていたけれど。
ん? ちょっとまって、古語?
何か言いがかりがあるのではとか、喉が勝手に返答している、あの団子の副作用の応用なのかとか思っていたけれど、わたしは確かにあのオジサンと会話をしていた。
何を言ってるのかわかりにくいなあと思うことはいっぱいたくさんものすごくあったけれど、間違いなく会話は成立していた。
「時間が経てば、おそらく文字も読めるようになるでしょう」
ロンゴイルさんの、沈みきった声は淀んでいても、はっきり聞こえる。
気の利いた娘さんなら慰めのひとつも思いついたりできるのだろうけれど、わたしが思ったのは、美声ってそんなところで損することがあるのか、なんてどうでも良い感想だけだ。
「その、あらゆる言葉を解する才能。それは、精霊人の多くが持っていたといいます」
また出てきた、精霊人という単語。
だけどどう考えても、確かにわたしは悪い子だけど、屋敷しもべ妖精ではない。
そう反論しようとして、
「自分の妻も、そうでしたから」
ロンゴイルさんの言葉に、自分の言葉を飲み込んだ。




