57:謎方言と、そのカーチャン
「ここぃらは貴族さまのォ、土地だけんども。
はーあ、おめさん、ロンゴイルさまんとこのォ、お客さんだったかァ」
妙ななまりで喋るおじさんは、このあたりの土地を任されているらしい。まあそんあたりさァじいちゃんのじいちゃんのそのまたじいちゃんの頃からずーっと耕してるおれら農夫に頼むってのはァ、ハァ間違いねくてよかんべェ、とか言ってた。正直言って何言ってるのかの理解に時間がかかるけれど、小作人とかそういう考え方だろうか。土地の管理者が変わっても、実際に育てているのは同じような農家だ、みたいな話で。
背負っている網カゴの中にはいくつかの野菜らしきものが入っていて、ちょっとだけ収穫して帰ってきたところ、という感じなのだろうか。
わたしより頭がひくいところにあるオジサンの、なんか変に人懐っこい雰囲気に警戒感は持ちにくく、「ついてこ、ついてこ」と、ついてこいらしき言葉を繰り返すオジサンの後ろをついて歩く。
だだっ広い庭だと思っていたけれど、わたしはそれのどこかにあった切れ目をものの見事にすり抜けて、敷地をとうに抜けていたのだそうだ。道理で何もないと思ったというか道に迷ったりするわけだと、そういうところだけピンポイントを見つける自分の才能には畏怖さえおぼえなくもない。その才能いらない。もしかしたら異世界に来たのも、その才能の発露だったりするんだろうか。死にそうな目にあって、あわてて生きるための抜け道探したら異世界だった、みたいな感じで。まったく意味の分からない発想で、だけどだからこそ有り得そうで、わたしは思わずクスクスと笑う。
「なしたー?」
『ちょっと変なこと思いついちゃって』
「そうかー。おめさん、あれか。芸人とかいうやつか。都会だら流行ってるっつ聞いたこたあるで。
そったら、うちのカーチャンと十も変わんねェくらいのトシでそげな若いコむけの服着てるのもわからんでもネけ」
なんか失礼なこと言われた気がするけど、確信が持てない!
わしゃわしゃとした林につながっていて、オジサンはそっちに歩いて行く。
急に不安になって、わたしは足を止めた。
「なーしたァ?」
『怖くなって』
「あン? あー、そらそうか。説明もせんで来い来い言うちゃ、そら怖いわな」
失敗したなあ、みたいなニュアンスで頭をかりかりかきながら、オジサンは籠から引き抜いた大根とごぼうを足して割ったような形の根菜を引き抜き、指揮棒か勇者の剣かのような仕草で林の向こうを指し示した。
「こっちゃ、おらの家があるだら、馬ぁ乗ってこん野菜、ロンゴイルさまんとこォ売りに行くでな。
それに乗してやるよォ。おめさん、靴の踵んとっから血が出てるから」
え。あわてて体を捻り、足の後ろを見る。ほんとだ、靴ずれしてる。どうやら本当に善意で動いてくれているらしいオジサンに、ちょっとだけ頭を下げた。
「カーチャン、帰ったよォ。そんでなあ、いつもみてに野菜売ってくっけど、すぅぐ帰っからなァ」
オジサンが、小さな家――たぶん、家というより小屋という方が適切なのだろう、ちょっと気の利いたワンルームくらいの大きさしかない建物の中に向けて声をかけ、それだけで「んだらば行くべ」と言って来た。
「え、いやそのカーチャンさんは?」
「あー、ええってェ。おらの声聞こえたら、そぃで充分だらし」
えええ?
でも、挨拶だけでも――そう思って、簡素なドアを開けっ放しにしてあった中を覗き込む。
外から見て思った通りの、簡素な作りの部屋の中。
台所にあたるのだろう竈とかのあたりの質素さも、お皿が乗ったままの机も、オジサンの素朴さがそのまま滲み出ているかのような部屋の、その中に、ふたつ並んだ寝台の、片方は普通の、いっそ無愛想なくらいのつくりなのに奇妙にしっかりした寝台があるのが気にかかる。
しっかりした作りの寝台には、ひとが寝かされていた。
「ああ、奥さん、寝てらし……」
言葉が途中で途切れたのは、わたしの失敗だった。
ぎょっとしてしまったのだ。
「――だから、声聞こえたらえェて、言うたんに」
穏やかな顔のオジサンが、たはは、とか言いそうな空気でいるのも、いっそ不思議でさえあった。
だけど、現実にそういう立場になれば、そうとしか対応できないものなのだろう。
唐突だが、寝たきりのひとの顔を見たことがあるだろうか。会話ができるような状態ではなく、まったくの寝たきりで、全身麻痺とかの何らかの理由により植物状態のひとの顔である。
わたしは、ある。
ドラマとかではなく、生身の、リアルの話だ。
笑顔は筋肉、なんて言葉を聞いたことがあるだろうか。わたしはない。だって今わたしが作ったから。それは冗談としても、実際、人の顔の要素である表情を作るものは、筋肉なのだ。
当然、筋肉なので、使わなければ弱る。劣っていく。
そこで寝ているひとを最初の一瞬、女性だと思えなかったのは、筋肉が削げ落ちきった顔だったからだ。
「奥さん……何かあったんですか」
「んー? ああ、カーチャン、昔なァ。4人目の子ォ生む時に、熱出してェ、ずーっとそのまんまだァ。
起き上がることもできねし、話すこともできね。おらァたちはカーチャンが何考えてるかちぃとはわかっけどな。今いやがってんなとか、なんか楽しいことあったかな、とか」
オジサンがそのまま、そういやァ今、ベル坊の妹も熱出してんだって? なんて続けてきたものだから、わたしは目を丸くした。
「あの子らのこともよく知ってるよォ、あれの母親、クロちゃんってんだけども。
昼前、ウチ来て泣いてたさァ。娘が、娘がって。カーチャンと同じようなことになるかもしれんって。おらはァカーチャンのことだいじだから、ずっと一緒にいるけんど、ああいう貴族様がたはなァ、そうも言ってられんだろし。リーンちゃんだなぃ、ん、よく知ってるよォ」
神妙な顔で、今、うちの一番上がクロちゃんの孫さ預かってるよォ、とか続ける。
このひとのところのことだったのか。生まれた子を預けているのって。
ロンゴイルさんの管理している土地で実際に働いている人なら、確かに昔からよく知っているヒト、なのだろう。
ただ、クロちゃんて。さっきのあの、婚活マダムことクロシェアのことだろうか。
泣いていたのか。
さっきはベル君のことしか気にかけていないふりをしていた、だけなのだろうか。
仕方ない、を繰り返したロンゴイルさんの顔を思い出した。リーンの旦那が、リーンが死んだら男が産める娘をもらう、と言っていたと聞いたのを思い出した。伝聞オンリーって遠いなあ!
――それが、家名を守るということなのだろうか。
もやもやした気持ちが、わたしの中から晴れることはなかった。




