52:葱粥と、空腹
そしてわたしは途方に暮れる。
いや見慣れない服を着た誰かが出ていったわけでもないし、そもそもあれは初出がわたしの生まれた年よりずっと前なのでちゃんと歌詞も覚えていないのだけれど。
机の上には、温かい料理が並んでいて、お腹は痛いくらいに空腹を訴えている。
しかも、前に食べたのとは違ってちょっと豪勢だ。
食べていいのかな、とまわりの様子を伺い見ているわたしに、ロンゴイルさんが笑って「どうそ、お食べください」と掌で指し示した。
もう何がどうなってるのか、自分でもよくわからなくなりつつある。
思い返せば、神殿で自分にはもう何もできることがないと悟ったわたしは、ふらりと外に出ようとしたところでふと思いたち、手にした実を見ていたのだ。
そのときにはもう、司教とベル君は奥に引っ込んだ後だったけれど。
「ねえ、ヒゲジジイ。イヌヨラズを採ってきたんだけど、これどうしよう」
「どうしよう、とな?」
わたしが何を考えているのかよくわからなかったんだと思う。ヒゲジジイは随分困った顔をしていた。
曖昧な話でも今は話したほうが良いだろうと、わたしはええと、と言葉を探す。
「熱が出てるなら、食べるのもしんどいんじゃないかと思って。
わたし、それをクマラ芋、だったっけ。あれみたいに扱って魚とか肉とか煮込んで出汁を作って、それで伸ばして見たらどうかと思って、冷やしたら食べやすいんじゃないかなって」
「んん? どういうことだ?」
きょとんとされた。
この世界の料理はいったい、わたしたちの世界におけるどの時代程度なのかわからない。それこそ、とりあえず焼いてしまえばいいやって時代じゃないことくらいはわかっているのだけれど、わたしは料理史なんて雑学程度でしか知らないし。
一瞬あきらめそうになったけれど、薬の扱いがどうのって言っていたヒゲジジイならある程度説明したら、方法をわかってくれるかもしれないと思い直す。
わたしの説明が下手なだけかもしれないんだし!
「ポタージュっていうか、シチューっていうか。
あー……わたし、何度か粥を食べたけれど、穀物を煮込んだだけって印象が強くてあまり味がないと思ったのよ。塩で焼いた魚で味を足して食べたりとか、そんな感じだった。
でもさ、穀物じゃなくて肉の塩漬けとかを煮込むと、汁に塩の味だけじゃない深みが出るでしょ」
薬膳粥のようなものを作っていたヒゲジジイなのだからそのあたりはすぐわかってくれるはずだと思いながらも、変な齟齬が出ないためにも細かく話してみる。さいわい、頷いてくれているからには問題なく伝わっているようだ。
「キノコとか、魚でも同じような深みが出たりするよね。その汁をペースト状にしたクマラ芋に混ぜて、匙ですくいやすいような、飲みやすいようなとろみに調節するの。わかってくれる?」
「大丈夫だ。たしかに手間もあってあまり使われない調理法だが、そうしたら病人でも口にしやすいかもしれんな。クマラ芋とイヌヨラズの味には似たところがあるから、そこに混ぜるのはありかもしれん」
なるほど、と唸るヒゲジジイ。
わたしの横ではエーリがふぅん、と軽く頷きながら首を傾げている。
「ノーマってそういうこと知ってるんだな。さすがは」
咄嗟にしゃがんで視線を合わせると、わたしはエーリに向けて「しー!」と人差し指を立てた。
エーリは「へ」と口をぽかんと開けて、戸惑っている。
小声で耳打ちする。
「精霊人がどうのっていうのは、たぶん、隠しておいたほうがいいと思うの」
「それもそうか、そんなのバレたら、ノーマに5年待ってもらえないかもしれないよな」
立派な大人の男になるよ、と言って頷くエーリ。
この子はまだそれを言うか。いつか諦めがついてくれる日を待つしかないのか。
「干したイヌヨラズを煮出した汁はもう準備してあるのだが、あれはどうしても、青臭くてうまいとは言い難いからの。だがそうやって味を整えれば楽に飲めるかもしれん。……ロンゴイル様」
「わかっている。うちの厨房を使うといい」
司教にはわしから話してこよう、とヒゲジジイが司教の部屋へと向かう。
わたしと、ロンゴイルさんと、エーリだけがその場に残っていた。
そのタイミングで、わたしは自分の中の、緊張の糸とかそういうものが切れたことを自覚した。
具体的には空腹すぎて目が回ってきた。
グウウウウ、ともういっそ酷い音をたてて、お腹が主張する。
上からと下から、両方からの視線を感じつつも、膝からがくっと力が抜ける。
「おっと」
「どうしたんだノーマ!?」
『おなかすいた……』
倒れ込みそうになったわたしの腕を掴んで支えてくれたロンゴイルさんと、正面に立って受け止めようとしたエーリの前で、わたしの体は情けないことを平気でのたまう。
武士は食わねど高楊枝、なんて言い出すつもりはないけど、ナイスミドルと子供の前なんだよ? せめてもうちょっと格好つけさせて欲しいよねえ、わたしこれでも大人の女なんだから。
結局、それを見兼ねたからとロンゴイルさんの御自宅につれてこられて、こうして食堂で座っているという現在に至っている。
エーリはどういうわけかロンゴイルさんの家に行くのはイヤなようで、神殿に残った。さっきの掃除職たちの揉め事がまだ収まっていないようなのが気になるから、と言っていたけれど。
こんな美味しいものをいただけると知っていたら、無理矢理にでも連行したのになあ。
ロンゴイルさんに振る舞われた、温かい料理――それはやっぱり粥だったのだけれど、神殿で食べたものとはまったくの別物に見えた。ちゃんと粥だと主張できるくらいにしっかり入った麦のほかに、名前も正体もわからないけれど、緑色の葉が浮いているのだ。おそるおそる齧ると、ネギのような風味がした。
わたしが、何か会話をしたりするような余裕もなく一気にそれを平らげたのは、言うまでもない。




