50:子供と膿
書き物さんはちょっと引きつった顔で、杖を支えに立ち上がると、わたしに向かって溶けたオブラートに怒りを包んだ笑顔を向けた。
「エクドバと申します。おぼえてくれとは言いませんが、さすがにその冠詞はやめてもらえますかね、サワカさん」
「あー、さわかって発音するの難しかったら別に無理に……ん?」
違和感。
なにが妙なのかと、少し考え込んでしまった。
このひと、わたしの名前、言えてる。
「そりゃあ、術使ですから。滑舌は人よりよいもので」
胸を張ってそう言ってくるあたり、だいぶこの世界の人たちにとってサワカという音は発音しにくいものらしい。いや日本人にも少々ツライ発音なのはわたしも認めるところだけれど。
「彼女は、今はノーマと名乗っている。
……急いで来てもらって、すまなかったな」
簡単に説明してくれたロンゴイルさんを先頭に、わたしたちは神殿の中に入る。
待合室兼雑談所のようだと、掃除の際にわたしがそう思った場所に、ひとだかりができていた。
どうやら揉めているようだ。
「なにあれ」
掃除職のひとたちだというのは、すぐにわかった。さすがにあの、襤褸を着た格好はよく目立つ。
例の一団が詰め寄っている先にいるのは、わたしたちが掃除して回った際に借りた男性用メイド服的な格好のゼネガンのようだ。
なにしてるんだろう。
思わず立ち止まり、そっちの方に目を向け――わたしは青ざめ、息を飲む。
こっちを睨んでいる掃除職の男と目があったのだ。
あれは、エーリを蹴り飛ばし、わたしを殴った男だ――。
「ほれ、行くぞ」
立ちすくむわたしの視線の先に気がついたているのかいないのか、ヒゲジジイが背中を押してきた。
じっとりした視線を感じながらも、そこから離れる。
ただそれだけのことなのに、背中がひんやりしていた。
ひどく、汗をかいたのだ。
「………………。」
階段に差し掛かる直前に、腕組みして無言で圧力をかけてくる美人が立っていた。
「し、司教?」
「何をする気か、ジャデル翁からお聞きしました」
うわあ突き放し感満載の発音。
音声でお伝えできないのが本気で残念です! ていうか司教これめっちゃ怒ってる!
美人が激怒しているさまは、きれいなんだけど、見ていると寿命が縮む。いや寿命の残量なんかわからないからそれはどこまでいっても比喩表現なんだけど、まあわかってほしい、それほど怖い。
「けどね、他の手があると思う?」
「すべてまるで見当違い。その可能性もあります」
そこをつかれると弱いのは確かで、ぐうの音も出せない。
おまえはリーンを使って人体実験をしようとしている。
そう叱責されても仕方ないのだ。
だけど、何もしないなんてこともできない。
『見当通り』の可能性だって、まだ捨てられないのだから。
「難産の子供をとりあげることはあるんでしょう?」
「……短時間、耐えていただいております。そもそも陣痛そのもので意識を失う産婦も多い」
うげ。
花岡青洲はどこにいるんだ!
いやいないんですよねわかってます、わかってますよ!
まさかのハラキリ。
どんだけ文化力低いの。文化包丁でも作ったら馬鹿売れしてみたりするんじゃないか? ああ、ざん切り頭でも流行させてみようか、大ヒット間違いなしよね、文明開化の音がするってなもんよ!
はあ……そもそも痛みで気を失うこともある、か。
まったく、そりゃそうでしょうよ。
リーンの歳は15だし、彼女らの母親の初産の歳は13と聞く。
そんなものは、子供だ。
悲しくなる。まだ遊びたい年頃の子供に、子供を産ませてなんになるというの。まだ大人が守らなきゃいけないような子供に、そんな痛みを与えてどうするというの。
子供の間は大人のことが信用できなくても、いつか成長した時、守られていたことに気がつけるから、大人もみんな子供だった時代があることに気がつけるから、大人は大人として振る舞えるんだ。自分が守られていたと知ることができるから、大人は大人のフリができるのに。
例え傷をすぐに治すことができたって、その傷を負った記憶は消えないのに。
わたしの思いは傲慢なのかもしれない。
子供が子供でいられる時間が短い時代が、日本にだってあったはずだ。だから、これは後出しの不快感なのかもしれない。だけど、やっぱり耐えられない。
深呼吸する。腹立たしさに、横隔膜が細かく震えている。それを殺すために、もう一度深呼吸する。
さあ切り替えろ。
この世界に順応する気はないけれど、この世界で生きるために知恵を絞れ、わたし。
「それでもやるわ。リーンをイヌヨラズで眠らせる。そして時遅の術で出血を抑えて、お腹を切って彼女の体内の、赤ん坊を育てる場所の中の膿を掻き出すのよ。
もしそれで痛みがなければ、この後の世界はいろいろ変わるかもしれないわね」
不敵に笑ってみせる。
何のために呼ばれたのかを今知ったらしい書き物さ……エクドバさんは口をぽかんと開けて「えええええ」とか何かがだだ漏れているようだが、そのあたりのことは気にしてあげない。
クォセミ司教は眼鏡を押し上げて、感情を全て隠した目でわたしを見た。
「では――お聞きします。
あなたは、人を切ったことが、ありますか?」
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたしますっ!




