46:炎症と、偽妊娠
しかし、膿が出ているということ、怪我であればすぐに治せたのだろうということ。
そのあたりを合わせると、リーンの体の中で何が起きているのか、わかってきたような気がした。
「……何を考えているんですか」
「いや、まあ、特には」
考え込んでいる時、人差し指を口に押し当てる癖がある人は、わたしの他にも結構いるんじゃないかと思う。実際、今もこうして見抜かれてしまっているわけで。
ただ、今この場所で答えるのはちょっとばかり面倒な気がして、言葉を濁す。
だというのに、水にひたした布を絞ってリーンの額に当てていたベル君が、こちらの話題に気がついたらしく顔を上げた。
「妹のことで、何か思うことがあったんですか?」
あああ、濁した意味が一瞬で泡と消えた!
『炎症を起こしてるんだろうなーって』
ちくしょう!
「えんしょう?」
「――かぶれる、などの意味だと考えていただければ。ですが……何故、御存知なのか」
ベル君がわたしにではなく、司教にたずねてくれたのでそのあたりの難は逃れた。
どう考えたって、わたしと、彼らで知識の前提が違う。下手な説明をしてしまって質問攻めにあったとして、わたしはそれを回避できない。意味の分からないことを繰り返して、それこそ魔女扱いでもされようものならひたすら面倒なことにる未来予想図しか浮かばない。5回点滅するのがハザードランプになってしまう。
だが、続きを求めるように、椅子に座ったままわたしの顔を見上げてくるベル君がいる。そんな単語が出てきたことを不審に思っているらしく、険しい顔を向ける司教がいる。
口を開かれて、質問されてしまうより、こっちから話せる形で話してしまったほうが早い。
そう考えて、ふたりに向け「待って」と言いながら手を広げた。
「昔、犬を飼ってたわ。あるとき、その犬のお腹が大きくなってきて、部屋の隅で巣作りを始めたの。妊娠したって思うでしょう? でもそんなはずなかったのよ、その犬に、雄を近寄らせたことはなかったから」
一気に畳み掛ける。
「その話と妹と、なんの関係があるというんだ?」
『おおありよ』
人にはその病状は起きないと聞いた。だけど、それは特別な理由がなければ、だろう。
今、その犬に起きたのと似た状態がリーンに起きている可能性は、たぶん、低くない。
「驚いて、病い……詳しい人に診てもらったわ。そうしたら、犬はもちろん妊娠していなかった。
そのかわり、妊娠したときに子供が育つ場所に、膿が溜まっていたのよ」
偽妊娠で病院にかかった結果、子宮蓄膿症だったことがわかった、という話。
すごく大雑把で申し訳ないけれど、本当は偽妊娠をしてしまうことで子宮蓄膿症になりやすく、という順番なので今の説明と事実は逆の話、になるらしい。だけど今はそのあたり、気にしないことにする。
幸いなことに、わたしの話とこの状況になんの関連性も感じない人はとりあえず居なかったようだ。
もっとも本来、女性のそんなところから膿が出て、なんて話になったらまず疑うべきなのは性病の類なのだけれど、出産直前まで特に問題なかったのだろうから、今回は関係ないだろう。
「本来、人間にはそう簡単に起こる症状ではないそうよ。
そりゃそうよね。健康な、若い女性の体は毎月一度、一週間かけて掃除をしてるようなものだから。
犬の場合、その掃除の間隔が人間よりもずっと長く間をあける。だから起きてしまうことがあるの」
「人間にはそう起きない、だと……妹は犬ではない。馬鹿にしているのか!」
ベル君はそう言うとゆっくりと立ち上がり、色が濃くなった瞳でわたしを睨みつけてきた。
……いままで、小説とかでそんな表現を読んだことがあったけど、こういうことなのね。本当に、色が変わるんだ。魔力が走って赤目になって、みたいな話ではなく、瞳孔のまわりの虹彩の密度が変わるということなんだ。わたしたち自身が、目の黒いうちは。なんて慣用句があるくらい元から濃い色の目だから、実感を持てなかっただけのことで。
そんなことを思ってしまうくらい、顔と顔の距離が近い。
とにかく、わたしはベル君を怒らせてしまったようだ。その気持ちはわかる。
「絶対に関係ない話だって思う?」
「……間違いないと思って言っているのか?」
『自信はないわ』
この流れでこの返答はまずいよなあ。
今度は絞める勢いで首を掴まれた。ていうか絞まってる! 痛い! 息!
もがくわたしに気がついたのか、慌てて間に入ってくれたのはヒゲジジイだ。
開放されたところで、喉の痛みに少しのあいだ、咳き込むことしかできなかった。
「これ以上リーンを馬鹿にするのは許さないからな。
それだけでは済まさない。
もし妹がこのまま命を落とした日には、その場でお前の首を切り落としてやる!」
切り落とす――?
ははは、切り落とすときたか。
つまりそのときは、わたしを殺すと、そう言ったのか。
思い出すのは突き飛ばされた感触と、落下感。ほんの一瞬状況が理解できなかったせいであとは絶望しかないと気がついたときの恐怖。
誰が、どうして、あんな目にもう一度あいたいものか。
死んだらどうする!
咳き込みながら、わたしはそんなことばかり考えていた。
「ベルデネモ。そんなに感情的になってはいけません。
病人にも悪影響を及ぼします。……一度、頭を冷やしてきなさい」
「――はっ」
こんな場所で揉め事を起こされたからか、司教の言葉は穏やかだが、その口調は厳しい。
ベル君はぴしりと姿勢を正して一礼すると、まっすぐに部屋を出ていった。
「あなたも、あなたです。どういうおつもりだったのですか」
「どうもこうも、全部が全部、ただの本音よ」
こっちにも、非難がましい目を向けられる。
当然ね。どう見たって挑発したのはわたしなんだから。
まったく――嘘がつけないって、なんて面倒なことなんだろう。




