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31:ベルデネモと、リーン

 入院棟とでも言うべきその階で、数部屋を覗き込む。

 多くの部屋は、寝台と机、そして水差しがある程度で。たまに、見舞いなのか付き添いなのか、椅子に腰掛けた人がいたりする程度、騒がしくしないように、とだけ司教に短く釘を差され、わたしとエーリはそそくさと掃除をしてまわった。

 やがて、見覚えのある人が寝ている部屋に出くわした。


「彼は血を流しすぎて、足りていませんからね。その間は安静にさせるように」


 わたしはなんとも言えない顔で、しれっとそう言ってのけた司教を見た。

 あきらかに怪我をしているだけの人も、咳き込んでいる人も、同じ階、近い部屋に配してしまう感覚はわたしにはどうにも理解できないけれど――そんなことは、今言っても仕方がないのだろうけれど。

 ところで、理解できないという顔はわたしだけがしたものではなかった。


「……どうしてあなたがここにいるんですか」


 不満そうというよりもあからさまにものすごく嫌そうな顔で、ベル君はそんなことを言った。


「え、誰のこと?」

「あなたですよ。……本当に魔女じゃないんですよね?」


 鼻の頭に皺を寄せて、それでも後半はわたしにだけ聞こえるように気をつけて、ベル君はそんなことを言う。そのあたりはヒゲジジイに聞いてくれる? とだけ言って、適当に流しておいた。


「ベル君も大変だったわね。すごい大怪我したみたいで」

「……べるくん……」


 苦々しい顔をしたベル君の部屋の入り口で、くすくす笑う声がした。

 誰か、来客があったのか。


「すいません、すぐに出ますから」

「いえ、おかまいなく。兄もあたしの顔ばかりじゃ、飽きるでしょうから」

「あに?」


 部屋に入ってきたのは、可愛らしい少女だ。中学生くらいに見える。中学校ないだろうけど。ベル君と同じような水色の髪が、ウェーブがかって揺れている。細長い木の器に花を入れていて、それが水を滴らせている。その様子だけ見れば、学級委員か美化委員か、なんてことを考えただろうけれど、だけど――彼女の腹部は、張り出すかのように飛び出ていた。


「妊娠……?」

「ふふ、もうすぐ予定日なんです」

「それは……おめでとう、ございます」


 ぎょっとしたのを、顔に出すのは堪えられたと思う。

 この子が、ベル君の、妹?

 そういえば、言ってたっけ……15で、もうすぐ子供がどうのって。


「リーン。その人に挨拶なんて必要ないよ」

「お兄ちゃん、何すねてるの? かっこ悪い」


 文字通りすねた言い方のベル君に、リーンとかいう妹さんもそこは笑うところだと伝わっているらしい。机の上に花を飾りながら、軽くあしらっていた。とはいえかっこ悪いとまで言われてしまっては、お兄ちゃんも形無しね。


「ごめんね、お兄さんの名前、うまく発音できなくって」

「わかります。子供の頃はお兄ちゃん、近所の人にベル坊とかベルベルって呼ばれてましたよ」

「それは今言う必要があることじゃないだろ」


 確かベルデネモだったと思うけど、妹さんの前で間違ってたら微妙な気分になること請け合いなので、正直に謝ることにした。仲の良い兄妹のようで、なによりです。


「リーンちゃんは、お見舞いに来てたの?」

「いいえ、最初は兄があたしを見舞いに来たのかって思いましたけど」

「……出産を控えた女性は、外にある小屋で過ごす事になっています」

「はぁい、すいません司教。でも、これだけ終わったら戻りますから」


 質問したのはわたしなのに。司教に向けて唇を尖らせてみたものの、当の司教は何やら物思いにふけっているようだった。なんなんだろう。

 外の小屋って? と聞いたわたしに、リーンが窓の向こうを示す。ここも、跳ね上げ窓のような形の窓だけれど、やっぱりガラスがないから蓋のようになっている木の板を持ち上げる形だ。

 覗き込むと、どこからつながっていたのか、小さな川が流れている。といってもドブ川サイズではなく、渓谷とか渓流とか、そういう名で呼びたくなるような存在感なのだけれど。その川の中に柱が立ててあり、それを支えに木組みの小屋が川の真上へと突き出ている。小屋、とは言ったけどこの世界に来て最初に見た建物である詰め所よりも大きい。ペンションくらいの大きさだと思う。


「あそこ?」

「景色が素敵でしょ」


 思わず、くすくす笑うリーンの足元を見る。臨月のお腹で隠れて、よく見えないのではないだろうか。敷地内、という意味で考えれば、すぐ近くなのは違いないのだろうけれど……。


「結構、足元危なくない?」

「ゆっくり歩けば、大したことはないですよー」


 のんきに笑うリーンに、司教がため息を吐いた。


「この兄妹には、出来る限り、安静という言葉の意味をきちんと確認していただきたいものなのですけれどね……」


 その時わたしは、なんとなく、司教がこの兄妹を過剰に気にかけているような気がした。

 ――それが勘違いではないと知るのは、数日後のはなしである。


「おいノーマ! もうこの階のゴミは集めたぞ!」

「ああ、ここにいましたか。ノーマ、このエムイボウは素晴らしいものですね……このフロアでもこれを使って、構いませんよね?」

『いいんでないかなー』


 この時のわたしは、ただ、こうやって掃除をすることを掃除職の皆に教えていけば、もっと効率的になるのではないか、なんてことを考えていただけで。

 その他には難しいことも、怖いことも、何も予想できていなかったのだ。

連続投稿一ヶ月。最初の山、突破です。これからもがんばる。

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