25:アラサーのカルテ
「治療の魔法、確かにすごいと思うわ。だけど、そうね……これはただの推測。
あなたたち、魔法で全部治せると思って、他のことなんにもしてないんじゃない?」
エーリの頭はちょっと皮脂かなにかでべとべとしていたし、エーリもそれを嫌がってかわたしの手を振り払おうとしたりはしたけど、とりあえず無理やり撫でてやってからそう言い放ったわたしに、司教はぴくりと眉を動かした。
それそのものは、昨日考えたことをぶつけたに過ぎなかったんだけれど。
毒をつかったりするヒゲジジイ以外の人に、消毒って言葉さえあんまり知られていないってことは、やっぱりそうだとしか考えられない。
悪い言い方をすれば、治療技術の独占ってのも考えられる。
他の治療方法が普及していないのなら、それはものすごく強いことのはず。
……治療に限界があるのはわかる。でなきゃ、あのとき見かけた片腕が極端に短かった人は、生まれつきってことになるし、多分そういう状態の人がロンゴイルさんに『久しぶり』と挨拶する状況が発生しない。
それでも、だ。
「神は万能。『記憶がない』とはいえ、それを否定することは許されることではありませんよ」
他の人がいるからそういう設定だと押し通せるってのは、ちょっと便利だと思う。
腰に手を当てて、にやりと笑って見せた。
「万能のカミサマが、人間にしれっと課してる宿題の可能性は考えたことある?」
自分の美貌に自覚があるんだろう司教の、弾かれたような、鳩が豆鉄砲食らったような、そんな顔はちょっと見ものだった。
「わたしには『記憶はない』けれど、想像することはできるもの。
考えても見なさいよ。たとえば……そうね。怪我の治療をする、その魔法。それが世界中で、あなたの他に誰にも使えなかった場合を考えてくれる?」
「……現実的だとは思えませんが、いいでしょう。それで」
非現実的なのはどっちだ、と言いたくなったがそれはわたしのいた世界との常識の違いでしかない。
「あなたの目の前に、怪我をした人がいます。治療しますか?」
「あたりまえです」
何を言っているんだ、という顔で首を振られた。うるさい、前提がどこまで通用するかわからないんだから仕方ないでしょ、と心のなかで言ってやった。
「舌を出してはいけません。はしたないですよ」
アディナに怒られた。
しまった。発音は我慢できても行動は我慢できていなかった。
軽く咳払いして、続ける。
「その人の治療をする前に、もっと酷い怪我をした人がいます。どちらを先に治療しますか?」
「……怪我の程度にもよりますが、ひどい怪我が命に関わるようなら、そちらを優先しますね」
少し考えてから、慎重に言葉を選ぶ司教。
命に別状はないとかだったら、順に治療するってことかな。
「その横から、怪我をしたお金持ちが自分を先に治療したらいくらでも払う、と言ってきたら?」
「怪我の酷い方を優先しますよ」
「じゃあ、そのお金持ちの怪我も、同じくらいにひどかったら?」
何かに気がついたのか、さっと青ざめた顔をして司教がわたしを見た。
――日本では、多分、どちらの優先順位も同じだとして扱うだろう。でも、ここは異世界だ。綺麗事を綺麗事と切って捨てるような極端な話も、許して欲しい。
畳み掛けるように、言い募った。
「怪我の程度がまったく同じで、どちらも命に関わる状態で、いますぐに治療しなくちゃいけなくて、それでも治療できる人があなたしかいなかったら。後から来たお金持ちに、先に治療してくれたらお金を払うと言われたら。今あなたがお金に困っているとしたら……どうする?」
わたしは、意地悪だと思う。
「……その条件がすべて並ぶなら、お金をいただくかもしれませんね」
「その結果、治療を後回しにした人が死んで、治療をした人のサイコロの出目が悪くても?」
「それは結果論でしょう」
侮辱だ、と言い出さないだけ、この司教は冷静だと思った。
もしかしたら神殿で似たようなことが起きた――可能性もなくはない。
「お金がない人が、あなたの大事な人だとしても?」
「治療を行えるのは私一人ではない以上、現実的だとは思わない、とだけは」
「……答えて、司教。それでも、誰かを選ばないといけないとしたら?」
「いい加減にしてください。何が言いたいのですか」
低められた声にとうとう怒りが滲み始めたのを見て、わたしは口を閉じた。
それから、ゆっくりと部屋の中を見回す。
――べつに、黙った方が次の一言に重みが増すから、とか思ってはいなかった。
ただ、どう言えばいいか、言葉を探していただけ。
どこか責め立てるようになっていたからか、司教だけでなく、アディナも、エーリもこっちを見ていた。
「優先順位を洗い治せる方法の提示をしたいの。
神様の賽子の出目を、少しだけでも弄れるようになれば、さっきの質問も答えが変わってくるかもしれないでしょう?」
「……それはジャデル翁の差し金ですか?」
「まさか。あのヒゲジジイには昨日、出会い頭に毒を盛られたばっかりよ」
なんでそんなことを聞かれるのかもわからないけど、わたしはただ事実だけを述べた。




