18:セクハラと顎クイ
しばらくはベル君の傍についていると、ロンゴイルさんは別の場所に向かった。
移動式ベッドはこの世界にはないようで、車椅子めいた物に乗せられたベル君も、メイド風の服を来た女の人に連れられていく。
……従者、って言ってたなあ。
騎士には徒弟制度みたいなものがあるって聞いたことがある。ベル君とロンゴイルさんは、そういう関係性なのだろう。幼いころから預かるかわりに、ほとんど親代わりになって様々なことを躾けるのだとか。
ここは西洋の中世じゃない(……と、思う)けれど、そういうところは大差ないのかも。
立ち上がり、ぼんやりと見送ったわたしと、この部屋の主である司教が、この部屋に取り残された。
って、おい。
これはなんだか危険な気がする。
実際、その、うわあ! 司教がずんずんとこっちに詰め寄ってきた!
「あなたの、お名前は?」
『爽香です』
相変わらず、質問されると勝手に答える喉が鬱陶しい。口元を隠すようにしたほうが良い気がするな、とか思っていたら、容赦も躊躇もない勢いで、クォセミ司教はわたしの顎に手をかける。
そして無理矢理目をあわせてきた。
ひぃ、顎クイとか、こんな美形にリアルでやられていい行動じゃない!
「サワカ。……この国ではあまり聞かない発音です」
「はぁ……」
あ、これされてるとめっちゃ喋りにくい。
なんとか相槌を打ちながら、まあ、そうだろうなあ、と思った。
そりゃあ、さわかとか、わたしの国でもそんなに聞かない名前だったよ。
すごい名前とかは段々増えてきてるし、わたしの同世代にも時々いるけれど。
わたしの名前はむしろ、推理小説家が同じ漢字で「さやか」と読む主人公の話を書いていることもあって、さやか、と呼ばれることが多かった。しかもそれはシリーズで長ーいこと続いている。
わたしもその呼び方をされたときにはいちいち訂正しない。さすがに多すぎて面倒くさいし、音がよく似ているから気が付かなかった振りで通している。
「今、何かを思い出しましたね」
ぎょっとして、司教の顔を見返した。
にこりと、綺麗な顔が微笑みを作る。
……怖い! 怖いよこれ! 美人が脅すために作ってる笑顔ってものすごく、怖い!
「かつて聞いたものを思い出そうとする時、人間は無意識に左に目を向けるものです。
あなたの名前が少々変わっているので助かりました。本名のようですね」
何、何このひと。
なんでわたしなんかにそんなわけのわかんない誘導尋問もどきしてるの。
しかもどうしてそれを即ネタばらしするの。
「本当にあなた、記憶がないんですか?」
しまった!
『いいえ、記憶はあります』
咄嗟に顔をそむける。
このひとに、わたしが隠し事ができないなんてことがバレたら、まずいことになる予感しかしない。
「ですが事情があるんです、どうか……! どうか、お見逃しください……」
「見逃して、ですか。こちらに何の得もないことを、簡単にお引き受けはできませんよ」
顎を掴んだまま、司教はわたしの首筋に顔を近づけてくる。
そして、すん、と……だからなんで臭い嗅ぐの!?
「やめてください!」
もう少なくとも24時間体を洗えていないのに!
突き放そうと突っ張った手をものともせず、司教は微動だにしない。
優男に見えたけれど、そこは結局男性の体力ということか。
「……今ので、確信しました。
その歳でとは、少々驚きましたけれど……あなた、男との経験がありませんね」
はァ!?
『せ、セクハラ!』
「? なんですかそれは。
ですが、そうなると……ふむ。私も、猫を被っている必要はなさそうです。
――貴様、何のためにロンゴイル様に近づいた」
勝手に出た悲鳴のような声に、司教は首を傾げるでもなく、冷たい目でこっちを見下ろしてきたかと思うと、まるで別人のような口調で詰問を始めた。
……隠し事ができなくなる毒。それが、疑問符をつけて聞かれたことでないと反応しないのだと気がついたのは、この時だ。
明らかに聞かれたことなのに、わたしの喉は動かなかったのだから。
なにそれ限定的。
でもこれって、断言系で聞いてくるタイプの問答には対処できる可能性があるってことよね。
まさに今、目の前に居る、司教のような。
「そのことを聞いて、どうされるつもりです?」
わたしは胸を張って、あえて強気に聞き返してみた。
この世界に来てからこっち、ずっと流されっぱなしだったんだから、そろそろ何か……そうね、自分の身の振り方くらい、自分で決めてみたいじゃない?




