15:スローモーションと野球選手と、ソードブレイカー
世界がひどくスローモーションに見える。
あの勢いで投げられたナイフは人間の体など簡単に切り裂くことだろう。
ああ、イノリが死ぬのか。
わたしはまるで無感情な目でその様子をただ見届けようとして、
馬ッ鹿じゃないの!?
――考えるより早く足が動く。
全身がバネになったようだ。
踏み込んだ足、捻った足首に激痛が走る。
これまでの人生で、こんなに早く動いたことなんてなかったってくらい早い動きに自分の体がついて行かない、だけど思考はもっと速くめぐりめぐる。
――驚いたケイジの顔がちらりと視界に入り込む。無視。
――走るだけでは間に合わないと悟る。
確かに私は異世界人だ。
意識の中ではずっと薄い幕がかかって、目の前のすべてのことが文字通り、別の世界の話として見えていた。何が起きても自分に関わりのないことだと、そう感じていた。それこそゲームのコントローラーを握りながら、画面の中の自分に壺を割らせたり非道をさせるのと同じくらいに。うわあひどいことするなあとゲラゲラ笑って見ているときのように。それは自分であって自分でない感覚。
――怯えたイノリが目を強く閉じたのが見える。
――手を伸ばす。
薄膜一枚通したような目で、舞台の上の芝居を見ているかのように現実感を喪失していた。
だけどそれは、わたしの事情だ。
イノリはこの世界の人間だし、わたしも今生きているのは、足をつけているこの大地は、この世界なのだ。
たとえわたしが死んだとしても、別の世界だからってリセットができるわけじゃない。たったそれだけのことに、思いが及んでいなかった。
馬鹿じゃないの、わたし!
――飛びつく。ボールをキャッチする野球選手のように。
今にもイノリの顔に刺さろうとする刃先、あと少しで届きそうな、わたしの指先に、ナイフが、
「いったーーーーい!!」
わたしはもう渾身の悲鳴をあげる。足が痛い、手が痛い。
「え……え?」
きょとんとした顔のイノリが、無傷の彼女が目を開けた。
「何だ……今の」
ケイジが絶句したのがわかった。そりゃそうだろう。わたしは「あはははは、ははは」とねじの外れたような空笑いをしてやる。
前のときと同じだ。
青い光がわたしの指先を包み、ナイフを弾き飛ばしたのだ。
「あんた、随分勝手じゃない?
わたしが抵抗しようとしまいと、このひと殺すつもりだったんじゃないのよ」
防御の魔法が、あの人質事件からこっちずっとかかりっぱなしだったなんて、そりゃケイジには知りようがない。それでも、人を殺せそうな勢いで投げられたナイフの一撃は、わたしの指先を浅く切っている。流れた血をぺろりと舐めてみた。――頭をぶつけようが階段から転がり落ちようが、わたしが打ち身と捻挫だけで済んでいるのもこの魔法のせいだ。まあ、捻挫は「自分の体をひねってしまった」ものなので、防護はまったくされないらしくちょっと別カウントなのだけれど。
「おとなしくついていくって言ったのに、反故にしたのはそっちだからね!」
足元――イノリの顔の前に刺さっていたソードブレイカーを引き抜くと、わたしはそれを握りしめて、自分の首に押し当てる。
わたしが自分を自分で人質にしてもケイジにはどうってことはないはずだ――狙いがわたしでない限り。
だが、思惑通りにケイジは動揺している。
そう――間違いなく、あいつの狙いはわたし。
さっきは「他に思いつかない」と答えたが、それは自惚れた自動応答であり、同時に本心だった。
最初に変だと思ったのは、ロンゴイルさんの態度だ。
何度聞いても微妙にはぐらかされる、呼び出した理由。ケイジが死んだのだと思えば安心できるかも、なんて妙な理由でわたしが納得させられるとも思っていなかっただろうけれど、ちゃんと言ってくれればこっちも考え込まずにすんだのに。
ひとつの仮定を建てると、全部すっきりするのだ。
この町で事件が起きたのに、どうして無力なわたしを呼びつける必要があったのか。
それも馬車駅を使用するような辻馬車でなく、わざわざ馬車を自前で用立てて呼びつける必要性が、なぜあったのか。
騎士としてはベル君の師匠に当たるロンゴイルさんなら、わたしを呼びつけたら護衛としてベル君がついてくることも、当然予想できるだろう。
全部、わたしを護るためだとしたら、あまりにも綺麗に理屈が通るのだ。
つまり、この町で事件を起こしたケイジが、次に狙うのが神殿に住むわたしだとしたら。護衛を付けた上で、自分の目の届く場所かつ別の街に移動させれば良い。よほどの理由がない限り、いるはずの場所にいなかった標的を探す時、とんぼ返りして直前にいた場所を探すよりも手近な他の場所を探すはずだ。
ロンゴイルさんが何故、ケイジの標的がわたしなのかを知り得たのか、それはさっぱりわからないけれど。
ふたつめに変だと思ったこと。それはハゴムの証言。
もちろん、死体の入れ替えについてだ。
旅の商人が殺されたってだけの事件にしておけば、それこそケイジがこの町で事件を起こしたことにも気が付かれなかった可能性が高い。わざわざ十字傷を入れたのは何故なのかを考える必要がある。
――つまり、そこに傷がある者が重要人物であると知っている者を、呼びつけるため。
そうなるとベル君、ロンゴイルさんという傷をつけた当事者が呼ばれる可能性が高く、更にベル君は17と若すぎる。ほぼ一択になると踏んだのだろう。
ロンゴイルさんを呼びつけると何が起きるか。
――この町に、足止めができる。
本来は地方領主として、詰め所だの他の町だのとあまり一箇所に安定しない人物の居場所をこの宿場町に固定できれば、その間、神殿の街に彼の目は向かない。本当なら、その間に神殿に潜り込むなりなんなりして、わたしの身柄をかっさらう予定だったのだろう。
もちろん、ぜんぶただの推測だ。
何でケイジがわたしを狙うのかもわからないし、なんでそれをロンゴイルさんが察知したのかもわからないし、なんだったらどうしてさらにそれを把握してケイジがとんぼ返りしたのかさえもわからない。
だけど、
「……クソッ」
小さく吐き捨てると、ケイジは鍵を壊す勢いで開けて部屋を飛び出す。
わたしの喚き声は結構大きかったから、そろそろ誰か覗きに来る可能性もある。
窮地を切り抜けたと悟って、わたしはへなへな、と床に座り込んだ。




