14:誰何とバンダナと、QTE
ぎくりとして、飛び跳ねるようにドアに向き直る。
「誰?」
「あたしだけど」
「イノリ?」
囁くような声で誰何に答えるイノリの声に、どこか言い知れぬ不安を感じながら、わたしはドアノブに手をかけた。
「何かあった?」
「たいしたことじゃないんだけどね、ちょいと、聞きたいことがあってさ」
細く開けたドアの隙間から見えたのは、確かにイノリの姿だ。
ほう、と肩の力を抜く。
「聞きたい事って?」
「ああ、今日の夕食のことなんだけど。ヤグヤグの筋が気になってたって聞いてね」
確かに気になっている。わたしは頷いて「ヤグヤグって何?」と尋ねた。
「そういう疑問がある時は、一度現物を見てみるべきだと思うんだがねェ」
気がついた瞬間に、ドアを力強く引こうとしたが、ワンテンポ遅かった。
ドアの隙間に、手を、つま先を挟み込んで、その男はわたしを見ている。
「ケイジ……」
「誰だそりゃ」
わたしからは死角になっている場所でイノリにナイフを突きつけていた男は、素早く部屋に入り込んで鍵を閉めると眉間にしわを寄せ、妙な顔をした。
「……あんた、人質取るの好きね」
「手っ取り早いんだ、この方が」
どこにでもいそうな軽薄な兄ちゃんにしか見えない男だけれど、その手にしたナイフは、前に教えてもらったソードブレイカーとか言うやつだと思う。背中というか峰というか、そんな場所がギザギザしている。
「ごめんよ……ごめんよ、ノーマ。あたし、怖くて、怖くて……!」
震えながら、泣きながら、イノリがわたしに許しを請う。
そりゃそうだろうなあと思ったので、わたしはゆっくりと後ろに下がりながら小さな声で呟く。
「死んだはずの人が、幽霊でもないのにナイフ突きつけてきたら、そりゃ怖いわよね」
「もうちょい、確実に俺が死んだって思えるように細工しとくべきだったかねェ」
下にあるはずの傷が痒いのだろうか、かりかりと、ナイフを持っていない方の手で額を覆うバンダナの上をひっかくケイジ(仮)。その隙にわたしは、手近にあったものを後ろ手に探る。はっきりと背中を向けた日には、あのナイフがどこに向かうかわからない恐怖があった。
「おっと、変な動きはするんじゃねえぞ。この女将さんの首は案外細いからな」
「変な動きって、たとえばどんな?」
「そうさなぁ、今からあんたが手足を勝手に動かすたびに、女将さんの指が一本ずつ切り落とされる、ってのはどうだ。手足じゃないからって大声を上げた日には、手首から始まって首と名の付く場所を順にって話になるが」
嫌な脅し方。わたしは両手のひらを上に向けて肩をすくめた。
「それじゃ、その女将さんの悲鳴で他の人に気づかれるんじゃないの?」
「そうだねえ、そんときゃ、あのおっさんみたいに声を出せなくしておくさ」
確かに、あの木賃宿の殺人事件ではどうやって悲鳴をあげさせずに生きたまま首を切ったのか、わかっていない。その方法があるのだと言われてしまっては今のところ、わたしに思いつく対抗策はなにもない。
「お手上げだわ。あんた、一体何が目的なの」
「そりゃああの騎士のオヤジに一泡吹かせてやりたいからさ、って言ったらどうする」
本音ではないことぐらい一目瞭然だった。
ケイジ(仮)はバンダナを外すと、それでササッとイノリの手を後ろ手に縛って床に転がす。外したバンダナの下には、なおりかけの十字傷があった。
「わたしがそういう冗談に付き合ってくれるほど、優しい女にみえる?」
ケイジ(仮)はゆったりと左右に首を振り、静かに近づいてくる。
「どっちかってぇと、気の短いヒステリー女に見えるね。
今あんたがこんだけ落ち着いてるのが、俺にとっちゃ不思議でなんねえ。
何か隠し玉でもあるってのかね」
その返答に、わたしは不敵に笑って見せた。
ちなみに、ぶっちゃけ何の案もない。
とりあえずこの場でわーきゃー騒いで悲鳴を上げてもろくなことにならないことが確信できているからなるべく大物感溢れるように振る舞っているだけで、むしろ脳内には時折△とか□とかが浮かんできている始末だったりする。ああほら、QTEとか言ったっけ。ムービー中に突然指定されたボタンを押すってやつ、あんな感じで。
奇妙なくらい、現実感がない。
――やっぱりわたしは一度、死んだのだろう。あの地下鉄で。
ふと、目線下がっていたことに気がついて、顔をあげる。
手を伸ばせば届きそうな位置にまで、ケイジ(仮)が近寄っていた。
ふう、とため息を吐く。
「……あんた、名前はなんていうの」
「名前か。知ったところで何の意味もないと思うんだが」
「じゃあ、勝手にケイジって呼ばせてもらうわ」
どことなく眠そうにも見える目、その片方の上瞼を無理に引き上げて、ケイジ――許可を取った以上、もうカッコカリはいらないだろう――は「どうぞご自由に」と応える。
「狙いは、わたしね」
「どうしてそう思う?」
『他に思いつかないからよ』
出来る限り、冷たい目をするように心がける。できるなら養豚場の豚を見るような目でもしてやりたいところだが、牧場はともかく養豚場に行ったことがないのでどういう目なのかわからない。
だけど、何かしら勝手に深読みはしてくれたようで、ケイジの顔が少し引きつった。
漫画表現だったら冷や汗でも流してくれているかもしれない、そんな顔。
「さすが……人間が何をしようが興味は薄いってことか。やっぱ女神は一味ちがうね」
ケイジが呟いたその一言に、さすがにわたしも目を細める。
ちょっと聞きました奥さん、女神ですってよ女神。
わたしの存在、天使からさらにグレードアップですってよ!
「さて、長話はもういいだろ。ノーマだったか。俺はあんたを連れて行く。
拒否権は――なくはないけど、女将さんの命が代償な」
「ひっ」
ケイジは後ろに軽く目をやったかと思うと、にじりながらドアに近づいていたイノリの鼻先にナイフを投げつけ、床に突き立てた。イノリの鼻先が、少し切れて赤い筋を作っている。
さすがに、ちょっと見過ごせない。
「そんなことしなくても付いていくから、その人を開放して」
「それじゃいつ助けを呼ばれるかわからねぇからな。この女将さんにゃ悪いけど――」
袖を一振りすると、隠していたのだろう新たなナイフが手に握られている。それをケイジはわたしに見せつけるかのような――いや、見せつけるための、だろう大振りのモーションで、イノリに向かって投げつけた。




