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10:包帯と人相書きと、不確定名猫

「ん……?」


 その枝の中に、何か毛玉のようなものが見えた。

 なんだろうかと少しの間、痛みも忘れて呆けたように見上げ続ける。なにあれ。ちょっともふもふして丸まっていて、サッカーボールくらいの大きさの毛玉。何かの巣……にしては毛並みがあるような。そんなことを思っていたら、毛玉からぎょろりと光る目が覗いた。


「ほぎゃあ!」


 びっくりして悲鳴を上げると、びしり、と牙の生えそろった口を開けた毛玉がわたしの顔めがけてぼとりと落ちてきた!


「ぬああおおあ!? とり殺されるー!!!」


 唐突なゲームオーバーとか受け入れてたまるかあ! とばかり腕を振り回す。毛玉はわたしの腕を踏みつけてぽーん、と地面に降り立った。


「どうした……なんだ、猫か」

「ね、ねこ?」


 あれが。妙に縦長い耳らしきものが生えてて、ちょっと胴長気味の体の毛は短めなのに長い毛がぶわっと拡がった犬っぽい尻尾の、あれが、猫。いや確かに尻尾が二股でも驚くものかって思ってたけど! ――ああ、だけど確かに、目の形というか、顔の作りは確かに猫っぽい。だけど日本じゃ足が6本ある獣を猫とは呼ばな――まて、ネコバスの足って何本だ?

 思わず首をひねったわたしの前で、地面を踏みしめる前足の肩の辺りからリスの様な手を生やした不確定名猫が、その肩足で顔を洗っている。それからわたしに目を向けると、「にぃ」とまるで猫のように鳴いた。……あれ?


「このねこ? 尻尾に血が付いてる」

「ん? 確かにそうだな。怪我でもしてるのか」


 ハゴムがのっそりと近寄ろうとするが、猫はそれを嫌がったのかぴょん、と飛び退いて木に登る。波打った尻尾に怪我をしているようには見えないが、茶色く乾いた血がこびりついて、そこだけ汚れてしまっている。見ていると、やがて猫は枝の上で丸くなってしまった。


「……なんだったんだろ」

「騒いだからな、昼寝の邪魔をするなと怒ったんだろうよ」

「あー」


 ごめん、不確定名猫。そこがあんたの縄張りだったか。って、おや。


「あの横の枝、折れてる」

「おおかた猫が踏んだんだろう」


 ……あの猫、さっきわたしの腕を踏み台にしたけれど、そんなに重たいとは思わなかった。折れた枝は、わたしの腕より太いくらいに見える。そんな簡単に折れるだろうか。


「何かあったのか、ハゴム。

 ――おや、ノーマではありませんか。そんなところで何をしているのですか」


 開きっぱなしの窓から、ロンゴイルさんが顔をだして白々しくそんなことを言う。わざとわたしに尾行させた人なのだから、ここにいるのも聞こえたりして気がついていただろうになあ、とは思うのだが、とりあえずそのあたりは黙っておくことにする。

 そのかわり、わたしはロンゴイルさんに少し頼み事をした。


「そこの木に猫がいるの、わかります?」

「ん? ……ああ、白い猫ですね」


 すぐに見えたらしい。なんとなく、思いつきがつながっていく。


「その真横に、枝の折れている場所があるんです。そのあたり、何か見えませんか」

「何か、とは……いや、これは」


 ロンゴイルさんは眉間に皺を寄せる。猫がうるさそうに「みゃあ」と鳴いた。

 折れた枝の先は、近くの草の中から見つかった。

 枝には血で出来た靴跡があった。


「つまり下手人は窓から、木を伝って降りた、と」

「……妙な話だ。殺しがあったことにも誰も気が付かなかったのに」


 ハゴムが首を左右に振る。宿泊していたのは他にもいるのだが、誰も物盗り騒ぎがあったとは気が付かなかったのだそうだ。酒を飲んで騒ぐ輩はいたが、喧嘩のような音は聞こえなかった、と。


「生きたまま首を切られたのに、騒がなかった……?」

「少なくとも、悲鳴を聞いたものは誰一人おりませんでした」


 ロンゴイルさんがそう答えて頷く。結局事件のあった部屋には入らせてもらえなかったけれど、その真下の、木賃宿のフロントに今は座らせてもらっている。いい加減、足がかなり痛くなっていたのだ。フロントはかつての小洒落た宿の名残を残していて、それこそイノリの宿でわたしが借りることになった部屋のようにちょっとした細工の施された机や椅子が置かれていた。手荒く扱われたのだろう結果、傷が多かったり埃っぽくなっているのは仕方がないが、本当にもったいないなあ……。

 ふわりと天井付近を漂う灯りの球体は、今までにも何度か見かけた魔法の灯りだ。おかげで明り取りもないフロントながら、真っ暗にはなっておらず物を見るのには不自由しない。

 机の上に置かれた、殺された商人の人相書きを見るのも問題ない。

 苦悶の形相で倒れている人の、額にはやはり斜め十字の傷が記されている……ただ、その顔は正直に言って、目がふたつあって鼻がひとつあって口がひとつ、くらいしか描けておらず、それがあのケイジ(仮)かどうかまではわからない。


「あまり絵がうまくない人に頼んじゃったのね」

「ほっとけ、オレは絵が下手なんだ」


 鼻を鳴らしてハゴムが唸る。ご、ごめん……。


「しかしやはり、額に傷があったことは間違いないわけですね」


 絵を見て、顎に手を当てたのはベル君だ。ちなみに鎧はフロントのすみっこに置かれている。ハゴムは「ああ」と頷いた。


「間違いなく、真新しい傷が交差していた」

「にゃああ」


 ハゴムの声を遮るように鳴き声がした。

 足元を見ると、尻尾の汚れた猫がいる。さっきの猫だった。


「……この猫、この宿の子なの?」

「しらん。客が餌をやっていたのは見たことがあるが」


 宿の管理に関して完全にネグレクト状態のハゴムは、動物にもあまり興味が無いらしい。猫はハゴムに無視されたと察すると、尻尾をぱたんと動かして今度はベル君の足元にまとわりつきだす。


「にゃああ、にゃあ」

「うわ、なんだこの汚れ……血? でも古そうだな」


 しゃがみこんで猫の腰を撫でだしたベル君に気をよくしたのか、猫はゴキゲンでぷるる、と声を出す。そこは同じなのか。

 血の汚れって、落とすの大変なんだよなあ。ちょっと前に切られた時の服を思い出す。一応何度か水洗いしてみたけれど、石鹸もろくにないこの世界ではどうしても染みが残っていた。


「そういえば、包帯はなかったんだ?」


 人相書きの額をしめして、わたしは尋ねる。


「見かけた人から、包帯に血が滲んでたって聞いたけど」

「お前は何を言っているんだ?」

『包帯の話だけど』


 ハゴムが怪訝そうに言った。


「どうして死人が包帯を巻くんだ。

 血の量からして、あの傷は死んだ後のものだったが」


 わたしはロンゴイルさんと顔を見合わせる。

 ベル君は一心不乱に猫をなでていた。

そういえば、昨日で100話でした。

我ながらちょっとびっくりしてしまいました。

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