表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

3

 深夜の珍客を迎えてから、二十分後。


 とりあえず風呂場にぶちこんだ夏江は、仏頂面は変わらないものの、幾分の湯気を付帯させて、洗濯したばかりの俺のティーシャツをひっかぶり、大人しくカーペットに腰かけていた。


「で、どうした」


 足の短い小机に二人分のコーヒーを置きながら、俺はあらためて訊く。


 持ち手が熱いらしく、夏江は服の袖ごしに両手でカップを押さえ、ふうふうと息を吹きかける。頬と鼻周辺がほんのり赤いのは、風呂上りのせいか、酒を飲んできたのか、年甲斐もなくぼろぼろ泣かなければならない何かがあったのか――多分その全てだろうという気がした。


 俺は経験則的に黙っていた。こういう時、回答を急がせてうまくいったためしがない。


 どれだけ沈黙が続いたろう、やがて、拗ねたように口を尖らせ、夏江はぼそりと言った。


「ふられた」


「マジか」


「別れようって言われた」


「マジか」


 素直に驚く。おもとして、こいつに恋人に相当する存在がいたことについて。一方で、その結末については、何ら意外性を感じない。むしろ、我々に訪れる結末としては、至ってありきたりな部類だろう。


「理由は、やっぱり?」


「うん」


 相変わらず服の袖で指を守りながら、夏江はコーヒーをずぞぞとすする。


「原畑のシャツ、おっきいよね。でも、彼のシャツはそこまでおっきくなかったんだ。腕見られちゃって。なんだそれはって言われて。で、全部ぱあ」


「……。や、そこで俺を引き合いに出すなよ」


「なに、その反応。傷ついている女相手に、なぐさめの言葉くらい出ないの?」


「や、だから、自分が傷つくのに、俺を巻き添えにしないでくれって話。とばっちりで、こっちも傷つくんですけど」


「デブ」


「うっせ、剛毛女」


「あ?」


「あ?」


 深夜の六畳間で、しばしお互いにメンチを切り合った。なんてむなしい喧嘩だろう。


 先に視線をそらしたのは、夏江の方だった。


「やめよ。こんな無意味な言い合い」


 賛成だった。何が悲しくて、お互いに傷口を掘り返すような捨て身のチキンレースに興じる必要があろうか。


 はあ、と夏江はため息をつく。シャツの胸元をつまんで、自分で中をのぞき込む。


 彼女に貸し与えたシャツは、男女の差を考慮した上でも大きすぎた。縦も横もだるだるで、裾はすっかり床についている。女性もののワンピースよりも丈がありそうだった。けれど、俺にとっては標準サイズなのだ。


 つまんだシャツの襟から、夏江の胸元がちらりと垣間見えた。その肌はきめ細かく色白であるのに、びっしりと背の長い毛におおわれている。胸の谷間が体毛に縁どられているという光景は、なかなか刺激的だ。平均的女性と比べるに、あるまじき胸毛。けれど、夏江はれっきとした女であり、ついでにいえば、あるまじき剛毛におおわれているのは、何も胸元だけではない。


 別に、何ら特別なことはない。少なくとも、あのサークルに所属する人間は、皆、こういう特異性を抱えて生きている。


「夏なんて、大っ嫌い」


 折りたたんだ膝に顔をうずめ、無理矢理笑いを含ませたような声で、夏江が言った。


 同感だ。だから、あのサークルに所属している。


 秘密サークル『夏を滅ぼす会』。


 ああ、早く夏を滅ぼしたい。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ