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結局、あの旅は何だったのかと時々考える。
夏休みを終え、後期を迎えた俺たちは、前と同じようにキャンパスに通い、前と同じように「夏を滅ぼす会」で気温に対する怨嗟の声を上げる。あと一カ月もすれば、残暑も抜け、会の一同は快哉と共に夏の滅びを祝い、また一年後の集結を約束しつつ、キャンパスの各地へと散っていくだろう。
つまり、結果的に、俺たちは夏から逃げきれなかった。そいつは当然のように、七月の小旅行から帰還した俺たちを飲み込み、今もキャンパス内に居座り、やがてゆうゆうと泳ぐクジラのようにどこぞへと去っていく。俺たちの小さな攻撃も、反抗も、呪いの言葉も意に介さず、あくまで悠然と。大自然の驚異と向き合うことで、相対的に自分のちっぽけさを知るばかりの一か月だったような気もする。
いや、結果だけ見れば、それ以上に悪い。はっきりとした額は知らないが、夏江があのひと夏に溶かした金額を思うと、ぞっとする。毎日のようにホテル暮らしだった。それも二人分の金額を出していた。ATMの口座にいくら貯めこんでいたか知らないが、彼女の目指す全身脱毛の夢が、使用した諭吉の分だけ遠のいたのは確かなことだろう。
……。否、俺は結ぶべき像を間違えているのかしもれない。
いくつかわからないことがある。あの家族風呂の件だ。あの後、ネットで調べたのだが、普通ああいう個室タイプの温泉で、当日の予約はNGなのだそうだ。いや、予約が空いていれば融通は利くのかもしれないが、大抵は空かない。それだけ家族風呂には需要があるのだ。とすれば、夏江はいつからあの風呂を予約していたのだろう。そもそもは、誰と入るつもりだったのだろう。
もっといえば、夏江があの夏に溶かした資金は、全身脱毛のためではなかったのではないか? 彼女の口座に用意された資金は、最初からこの夏を過ごすためのものだったのではないか? ただ、過ごす相手がすり替わっただけで。
俺は当て馬にされたのかもしれない。
そのこと自体は別にいい。おおむね納得できるし、当て馬としてさえ役立つ機会なんて今までなかったわけで、むしろ光栄なくらいだ。でも、だとしたら、何故あの最後の夜、彼女は誠司たちと会って動揺したのだろう。それは当然想定しうる光景だったはずなのに。
……。信じてみても、いいだろうか。つまり、彼女も、俺同様、あの旅を単なる旅として以上に楽しんでいたのではないかということを。一瞬、自分の計画を忘れてしまうくらいに。予期していたはずの、かつての恋人との遭遇に、不意を突かれるくらいに。
真相はわからない。が、実は、俺は、あのひと夏の間に得難い教訓を得ていた。
それは人は慣れるということだ。ドリアンやくさやを人類が開拓してきた歴史に通じる。あの夜、俺は湯気の向こうで霞む彼女の毛深い素肌を美しいと思った。その剛毛の谷間を温泉の湯が滑り、巻かれたタオルに縁どられて、湯船の内側へと消えていくその様を目で追った。まったく、どうかしている。でも、その時感じたむずむずとした気配がまだ俺の中に残っている。それがひと夏の気の迷いだというなら、俺は夏の存在に感謝したい。今まで滅びろと念じるばかりだった夏に、今、はじめて賛美の声を送る。
同時に、急がなければならない。ひと夏の気の迷いは、ひと夏の過ぎ去りと共に消えるだろう。この旅で学んだばかりだ。雄大な自然は、俺の思惑など知ることなく、滅びないし、かと思えば、簡単に過ぎ去ってしまうだろう。俺たちは結局無力で、だからこそ今日も明日も明後日も無様に足掻くのだ。
キャンバスで彼女の姿を探す必要がある。
なにしろ「夏を滅ぼす会」は秘密主義だ。俺は会以外での彼女を知る必要がある。あいつがそうした以上、俺だって一度くらいあいつの家に押しかけたところで罰は当たるまい。
そうして、二度目の旅に出かけるのだ。




