2.黄真珠の簪、そして文
自室に戻り女官の衣装に着替えた珪己は、すぐさま女官らが集う大部屋へと向かった。そこにはすでに数十人ほどが集まり、珪己の予想通り、壁に貼られた新聞に見入っていた。記事の内容は想像に難くない。
珪己の登場はその場をざわめかせた。しかし侑生との関係を噂した新聞が貼り出された時とは異なり、誰も珪己に直接声をかけようとはしない。
そこに一人の女官がさっそうと珪己の前に立ちはだかった。
新聞の製作者、果鈴である。
「珪己さん、昨夜はおめでとうございます。皇帝陛下の褥に呼ばれたんですって?」
歯に衣を着せぬ物言いは彼女らしい。
珪己は少し目を伏せた。
――昨夜の趙龍崇の言葉がよみがえる。
『君は後宮に戻り次第、速やかに女官達に陛下の寵愛を受けたという話を広めるんだ。できる限り大勢に、大げさなくらいでいい』
それで後宮の虎は牙を隠せなくなるはずだ、と言っていた。
その時――虎は退治される。
口元に手を当て、珪己は鷹揚にほほ笑んでみせた。
「ええ。とてもすばらしい一夜を過ごしてまいりました」
ざわめきが大きくなった。
「……本当に? あの女嫌いだと噂される皇帝陛下が……?」
「しかもなんであんな来たばかりのあの子が?」
「侑生様といい、皇帝陛下といい、なんであの子ばっかりが愛されるのよ……!」
珪己はそれらを口にする女達の顔を、そっと、けれどつぶさに観察した。
(この中に虎につながる女官がいるはず)
(私のことを最もよく思わない人が怪しいはず……!)
珪己は龍崇の指示どおり、この場にもう少しの刺激を与えた。
「今夜も東宮に招かれました。陛下は私に毎晩でもお会いしたいようです」
「ちょっと、それって本当ですの?」
食いついてきたのは果鈴である。
その手にはいつの間にか筆と紙が握られている。
「ええ。これから毎晩お伺いすることになっています。陛下は私を側妃にされるつもりのようです。光栄ですわ」
珪己はそこで、つ、と自身の髪に挿さる簪を指で示した。
「ほら、これがその約束の証です。素敵でしょう?」
皇帝の色である黄真珠の簪に、全ての女官に緊張が走った。
どの女官も驚きや妬みなどの何らかの強い感情をあらわにしている。それもそうだ。この国随一の至高の男性に愛されている証拠がこの簪なのだ。しかも珪己はそれを無遠慮に見せびらかしている。
だが、たった一人、静かにその感情を抑え、けれどもその瞳からは耐えがたく漏れ出る憎悪を隠せない女官がいた。そのことに珪己は気がついた。
(……この人が虎につながっているのね)
早くもこの大役を務め終えたようだ。
そう珪己は判断した。
*
大部屋を出ると、珪己はその足で菊花の部屋に出向いた。菊花は珪己の訪問に喜びの表情を隠すこともなく、それに珪己の心がほっとゆるんだ。
菊花は机の上から料紙の束を持ち上げると、にいっと笑ってみせた。
「どうだ。昨夜はこんなに分厚い文を書きあげたぞ」
「まあすごい! 遅くまでかかりましたでしょう?」
「うむ、まあな。だがちっとも眠くないぞ。また父上に渡してきてくれるか?」
「はい。喜んで承ります」
珪己は文を押し抱くと、代わりに胸元に入れていた文を取り出した。
「姫様、これを」
「ん? なんだそれは」
「皇帝陛下から姫様へのお文にございます」
「なんだと? さっそくお文をいただけるとは……!」
ぱっと顔を輝かせるや、菊花は機嫌よく文を受け取った。
だがざっと目を通したところで、顔を上げた菊花が無言で珪己を見つめた。
空いた片手をさっと動かし、無言で部屋にいた全ての女官を退出させたが――その間も幼さのあるつり上がり気味の瞳は真っ直ぐに珪己に向けられていた。
「……珪己、これはどういうことだ?」
「そのお文に書いてあるとおりです」
はた、と、二人の瞳が交錯した。菊花はしばらくの間、怒りを含むような探る目つきで珪己を見つめ続けた。珪己はその瞳から目をそらすことなく、黙したまま待った。
すると、ふうっ、と菊花がため息をついた。そして父からの初めての文を無言のまま蝋燭の火に近づけた。小さくまろやかに灯る炎は、その先端が紙片に食いついた瞬間、獰猛な生き物のように紙片を包み込んだ。
菊花が手を離した直後には全てが灰へと変貌していた。
「これでよいのか?」
「はい。そしてお文の内容はお母上様にも直接お伝えください」
「うむ、分かった」
菊花の大きな瞳が心配気に揺れた。
「珪己、すまない……わらわのために」
珪己は努めて明るく笑ってみせた。
「大丈夫です、こう見えて私は強いんですよ? ちゃんと姫様とのお約束はお守りします。それに私、うれしいんです」
「うれしい……?」
「ええ。小さいころに願ったことが……自分の力で守れるようになりたいと願ったことがかなっているのですから」
そして、どん、と自分の胸を叩いてみせた。




