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13.結末、そして盛夏

 この反乱に関与した武官は述べ百十一人であったという。


 統率者の孝明こうめい含め全ての謀反人は、明け方、常のように登城し武殿に足を踏み入れた一人の官吏によって発見された。絶叫とともに、鍛錬場にて――息絶えた姿で。


 折り重なる死体の山の中に一人座っていたのは近衛軍将軍、てい古亥こがいである。


 謀反はまず武殿の占拠から始まったという。夕刻、居残る文官がある程度減った頃合いを見計らって、彼らは静かに狼煙をあげたのだ。


 枢密院に勤める文官は、その多くが武芸の経験者であったが――いかんせん真の武芸者である武官には敵わなかった。まず下の階で見せしめのために数人の官吏が犠牲となったのだが、この状態でさらに人質を取られれば――戦意を失くし降参するしかない。


 その勢いで同じやり方で各階が占拠されていき、遂には最上階にて副使の一人、楊玄徳が拘束された。玄徳が狙われたのは枢密院の上級官吏の中で唯一武に通じていなかったからで、謀反人が人質とするのに恰好の存在だったからだ。玄徳は引き立てられ、残る官吏は皆縛られ武殿に軟禁された。その後は先の回想のとおりである。


 猛将、鄭古亥によって事件は無事解決した形となった。しかし真相を問える者が不在であるということで、この楊武襲撃事変は闇に葬り去られるように終焉した。唯一、起こってしまった事変の責任をとると言い、古亥が宮城を去ったことを除いては。


 玄徳は宮城の片隅で気を失っているところを発見された。その玄徳は自宅で起こった惨劇にひるむことなく、痛む体で数日後には職務に復帰した。


 玄徳が手始めにした仕事は、各隊の再編と武官の教育法を見直すことだった。玄徳はこの事変をもって武官の地位をより低下させることもできたのに、それをするどころか、より強化する道を選んだ。武官の力が正義のためにこそ使われるように。これ以降、現在に至るまで、玄徳は武官の質の向上に努めることとなる。




 この事変に大きく関与した新人武官二人は、その後、異なる道を選択した。




 李侑生は古亥の後を追うように、誰に相談することもなく武官を辞した。枢密院の上級官吏となることを志したためである。侑生は科挙かきょの試験のための学問に励むため、実家のある山北州へと旅立った。




 対する袁仁威は、しばらく何も考えられず、登城もせず、侑生の不在を利用するかのように李家に通い詰めるようになる。


 そんな折、仁威は古亥の現況を耳にはさんだ。


 事変以来で楊家の屋敷に赴くと、その隣には古民家を利用して新しい道場が開かれていた。そこでは数人の少年を相手に古亥が剣を教えていた。


 仁威はしばらくの間、古亥のこの道場に通った。朝から晩まで無心に剣をふるうかつての部下を、古亥は何も言わず黙って受け入れた。それでも夜になれば李家へ足を向けることは続いていたが――。




 その日の夜は、星が美しく瞬いていた。


 無数の星が川のように闇空の端から端まで連なるさまは、月が見当たらなくとも盛夏の美そのものであった。


 仁威はその日も遅くまで剣をふるった。そして道場を出て歩き出し――刹那、その視界の片隅に一筋の細い光が通り過ぎるのを捉えたのである。その光は流れるようにゆっくりと、薄く開かれていた楊家の門へと吸い込まれるように入っていった。


 初めて楊家の前に立った時のように不用心に開かれた門は、仁威の胸を問答無用でざわめかせた。


 慎重に、用心しつつ門を開け屋敷に踏み入ると、先ほどの光の筋が向こう側の池のほとりのほうへと泳ぐように飛んでいくのが見えた。その光に導かれるかのように、仁威はゆっくりと歩を進めていった。


 ふわり、と、ほとりにたたずむ少女の肩に光が舞い降りた。

 それはあの日以来、初めて見る楊珪己の姿だった。


 ふわり、ふわりと、珪己の周囲にいくつもの光が舞い降りていく。蛍に囲まれた珪己の顔は、薄ぼんやりとした淡い光の中うつろな人形のようで、仁威にはひどく幻想的に見えた。


 その珪己が、ふと、そこに現れた見知らぬ少年――仁威に目をやった。


 夢うつつのような世界にひたりつつあった仁威は、向けられた珪己の無機質な瞳に射抜かれた。


 どくん、と心臓が強く鳴った。


 体が動かない――だが指先だけが何かに反射するかのようにぴくりと動いた。


 鳴り始めた鼓動はうるさく、息をすることすら難しい。

 口が渇く。


 ――目をそらせない。


「……あなたは誰?」


 そう珪己に問われると……仁威は己が何者であるのか即答できない自分に気づいた。


 胸を張って武官であると言い切れるのか? それともこの家に起こった惨劇を止めようともしなかった悪人か……?


「お、俺は」

「もしかしてあなた、鬼? 今度は私を殺しに来たの?」


 珪己が眉をひそめた。

 けれど何を考えているのか、その表情からは読み取れない。


 しばらくして、何も答えようとしない仁威から目をそらすと、暗闇の中、どろりと鈍くうごめくような池の水面にその視線をうつした。


 無意識でほっとし、仁威は視線を足元におろした。


「……いいよ。私を殺しても」


 はっとして顔をあげると、少女の横顔にはいまだ何の感情も見えなかった。


「私みたいな悪い子が生きていて母様やみんなが殺されるなんて、変だなって思ってたの。やっぱり私の名前も招獄榜しょうごくぼうに書いてあったのね」


 招獄榜とは、地獄へ招かれる人物の名前が記載されているという御伽草子の世界の巻物のことである。当時、子供の間で話題となっていたものだ。


「……そんなものは、ない」

「そうなの? じゃあ、あなたはどこから来たの? 何をしにここに来たの?」


 珪己が仁威にその顔を向けた。深く吸い込まれそうな瞳に仁威は迷いを見透かされたかのように感じた――絶対に認めたくない、己の内の迷いを。


「それは、たまたま蛍を追いかけてきただけで。……いや、俺は……俺は強くなるためにここに来ているんだ」

「強く? どうして? なんのために?」

「お前の言うその鬼を倒すために」


 無理やりさらけ出された真実の吐露に、ここにきて初めて、少女の顔に少しの感情が浮かんだ。


「何を言っているの? 人が鬼にかなうわけがないじゃない。馬鹿みたい」


 そう言い捨てると、少女はぷいっと池に顔を戻した。そして元の感情の見えない顔に戻ると、口をきゅっとつぐんだ。


 その横顔を見ているうちに仁威は無性に腹が立ってきた。自分がやっていることが中途半端だと否定されたような、自分の心の奥底にある怯えまでも見透かされたような……そんな気がしたのだ。


『また同じことが起こった時、俺は果たして逃げずに戦えるだろうか?』


 気がつくと仁威は腹の底から怒鳴っていた。


「……うるさい! お前みたいな何もせずにぼーっとしているやつにそんなことを言われたくないっ!」


 突然の怒声に珪己が振り向いたが、仁威はやめられなかった。


「いつまでそうやっているんだ? お前のほうこそ、これからどうしたいんだ?!」


 見開かれた珪己の瞳に、はっきりと何かの感情が生まれたことを仁威は察した。しかし、仁威は珪己に背を向けると、一度も振り返ることなく楊家を後にした。


 その夜は清照を一心不乱に抱いた。


 そしてそれ以降――仁威が楊家や李家、そして古亥の道場を訪れることはなかった。

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