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7.誤解

 枢密院にほど近い廊下で、近衛軍第一隊隊長・袁仁威の視界に鮮やかな色彩が入り込んだ。


 見ると、そこには華やかな衣装を身にまとう後宮の女官がいた。


 武を司る枢密院付近に後宮の女官がいるとは珍しく、年のころは十五、六か、とつい値踏みしていると、その女官は薄い青の扇子を取り出し、そっと顔を隠した。まるで仁威の視線を感じたかのように。そして、そのまま廊下を曲がって、その女官は視界から消えていった。


 仁威は扉を叩くこともなく、枢密副使、李侑生の執務室へと入った。


 侑生は視線を上げることもなく書物に目を通している。

 お互いの礼を欠いた態度はいつものことで、いちいち驚くようなことではない。


 侑生が向かう机の上に、仁威は雑作に巻紙を投げた。


「これがあさっての武挙を受けさせたい者の名だ」


 ここでようやく侑生が顔を上げた。無言で巻紙を広げると、ざっと目を通す。


 仁威は侑生に構わず話しかけた。


「さっき入口の守護に就く者から、お前のところに女官が訪ねてきたと聞いたぞ。まだそんなことをやっているのか」


 そんなこと、とは昨日玄徳に指摘された諜報活動の一環のことである。


 侑生は巻紙から目を離さず無表情で答えた。


「それがどうした」


 楊家の人間である玄徳や珪己に指摘されれば狼狽するが、その他大勢によって心を動かすことはない。


「いや? お前が武官を辞してまでやりたいことが女人漁りだったと知って、俺は心底ほっとしている」


 あからさまな嫌味に、侑生が少し視線を上げて睨めつけた。


 これに仁威は肩をすくめてみせた。


「おいおい、心外だな。俺は、お前が自分の人生を捨てたような顔をして生きているのが心配だっただけなんだがな」

「……お前まで玄徳様と同じようなことを言うのか」


 つい、ぽろりと本音が漏れた。


 仁威がにやりと笑った。


「だが今回は本気なんだろう? あの扇子を渡すほど入れ込んでいるのだからな。先ほど廊下で見かけたがえらく若い女だな。まだ女官になって日が浅いのか?」

「見たのか?」


 侑生の発した声の鋭さを、恋する男の慌てぶり程度のものだと、その時の仁威は解釈した。……そう解釈したかったから。


 なので発した自身の声音に思わず息を飲んだ、侑生のその小さな仕草にまでは気づかなかった。


「いや。扇子で顔を隠していたし、遠目だったから顔までは見ていない。残念なことをした。よほど美しい女なのだろうな」

「お前には絶対に見せない」

「まあいいじゃないか、減るものでもなし。それに俺はお前の女になど興味はない」

「ああ、分かっているよ。それが本心だってことは」


 侑生が机の脇に置いていた二つの文箱のうち、一つを仁威に差し出した。


「お前が相手にすべき女はこちらだろう?」


 侑生の声音に、仁威は文の相手を即座に理解した。


「……清照か」

「お前のために詩を作ったとか言っていたぞ。受け取れ」

「俺はもう清照とは関わらない。文は返してくれ」 

「いや、これだけは受け取ってもらわなくてはならない。こちらでもいろいろと理由があってな。上官命令だと思ってくれ」


 仁威があからさまに眉をひそめた。


 それでも不承不承といった様子で文箱を手にとるのは自分がこの元同僚の男よりも下位にあることを知っているからだ。


 だがそれに追い打ちをかけるように侑生が言った。


「ああそれと、武挙の受験者から楊珪信は除外してくれ」

「なぜだ?」

「彼はもうすぐ山北州に戻るからだ。こちらの空気が体に合わないらしく、彼の父上からも早々に自宅に戻すように懇願されていてな」


 侑生の人を食ったような物言いに、とうとう仁威は普段から鋭利に光るその目をつり上げた。


「いい加減適当なことを言ってちゃかすのはやめろ! 俺の部下のことは俺が決める。楊珪信が武芸を極めたいと思っていることは明らかだ。才能もある。それならば武官となるのが最もよいではないか。武官となっておきながらすぐさま辞めるとは……俺には理解できん!」


 そう言い捨てると、足音高らかに侑生の執務室から出て行った。

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