2.後宮に入り、武官にもなる
珪己はいまだぼんやりとしている浩托や弟子である子供達に早めの退出を告げて道場を後にすると、侑生に付き添われて楊家の屋敷へと向かった。侑生はごく自然に、上級官吏らしい優雅な身のこなしで珪己の少し前を歩いていく。珪己の警戒するような探る視線を背後から受けても、この青年は何ら気にすることなく、悠々と歩を進めていく。
道づたい、八分咲きの桜がほろほろと花びらを落としている。
柔らかな陽射しが心地いい。
珪己は侑生と別れると、いったん自室に戻り稽古着から平服に着替え、それから父と侑生の待つ客室に赴いた。
「父様。ただいま戻りました」
「やあ。お帰り」
珪己の父・楊玄徳は、侑生同様に官服――紫の袍衣に身を包んでいたが、目を細め見るからにくつろいだ様子で茶を楽しんでいた。まだ昼間のこの時間帯に屋敷に父がいるというのは、それだけで不思議な光景だ。今朝いつものように宮城に出仕した父がなぜ屋敷に戻っているのか。ほんわかとした雰囲気はいつも通りだが、常ならぬ行動は珪己の中にまた一つの謎を生んだ。
「ここに座りなさい」
促され、珪己は玄徳の正面の椅子に座った。家人が珪己の前にも茶を出すと、玄徳は全ての家人を客室から退出させた。珪己は、前に座る玄徳とその隣の侑生に、いつもとは違う何かが起こることをはっきりと予感した。そのため、「実は珪己に頼みたいことがあってね」と玄徳が切り出しても、珪己はさして驚かなかった。それよりも早くその先を知りたかった。
「どのようなことでしょうか?」
「ああ、李副使がいるからといってかしこまらなくてもいいよ」
珪己はちらりと侑生を眺め、それから肩の力を抜いた。
「どうしたのよ、父様。急に頼み事だなんて」
「うん、実は珪己に後宮に入ってもらいたくてね」
「そう……って、どういうことっ?」
全力で机を叩きつけながら、珪己は無意識に立ち上がっていた。
「後宮って、あの後宮よね?!」
茶の入った椀が跳ね、そこら中に熱いしぶきが飛んだ。だがそのことに気がつきもせずに睨みつけてくる娘とは対照的に、玄徳の方は鷹揚とした態度を保っている。
「そう、あの後宮だよ。皇帝陛下の妃が住まう宮のことだね」
「き、妃って」
後宮とは、皇帝にはべる女人達の住まう宮……そんなわかりきったことを実の父から明瞭に説明され、珪己は狼狽を隠せなかった。しかしそんな珪己に構うことなく玄徳の話は続いた。
「そして、珪己には武官にもなってもらいたい」
「ぶ、武官……?」
武官とは、その名のとおり武によって国に尽くす官吏である。また、この時代、いや湖国が成る以前から、この地では武官とは男のみが就く職である。
「……どういうことよ!」
この世で最も対極に位置する二つに同時になれという父に、珪己の思考は完全に止まってしまった。これまで見たこともないような奇妙な表情を浮かべる少女に、黙って話を聞いていた侑生がくすりと笑った。
「珪己殿、私から説明させていただきます」