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6.菊花の願い

 後宮に戻り一息つく間もなく、珪己の室に菊花の言付けを持った女官が訪れた。姫の部屋に参るようにとのことである。


 珪己が赴くと、姫は自ら扉を開け、にこにこと珪己を迎え入れた。初めて入る菊花の部屋は、姫らしからぬやけに落ち着きのある雰囲気だった。だが机に置かれている御伽草子がこの部屋の主のかわいらしさを物語っている。それは珪己が今朝贈ったばかりのものだ。


 二人でその机に向かい合って座り、茶や菓子をいただきながら歓談を始めた。


「この本は面白かったですか?」

「うむ、非常に面白くて気に入った。このような本は後宮にはない」

「それはよかったです。良さそうな本を見つけましたら、またお持ちしますね」

「うむ……ありがとう」


 菊花の返答に、付き従う女官達が目を見開いた。


 あの姫が、礼を言った?


 それはそうと、と、珪己は気になっていた本題に入る。


「お花は喜んでいただけましたか?」

「うむ! 母上があのようにほほ笑んだのを見たのは初めてかもしれない。非常に機嫌もよく、わらわと四半刻ほど話をしてくれた。ずいぶん楽しい時を過ごせた」

「お母上は本当にあのお庭の野の花がお好きなのですね」

「うむ、『思いやる』というのは本当に大事なことなのだな」


 またも女官達が驚いた顔をする。あの天衣無縫な姫の口からそのような言葉が出てくるとは……と。


 姫は周囲の変化にも構わず、しばらく母・胡淑妃こしゅくひとの思い出に花を咲かせた。誰かにこの喜びを聞いてほしくてたまらないというように。その様子は実に微笑ましく、珪己はこの姫に対してあらためて愛おしさを感じた。


「そうそう。母上に虫のことを訊いたら少し眉をひそめられた。やはり虫は苦手であったらしい。申し訳ありませんでしたと謝ったら、わらわのことを抱きしめてくれた。母上のぬくもりをあんなにも近くに感じることができて、今日は本当に夢のような時を過ごせた……」


 しんと静まる部屋の隅で、しくしくとすすり泣く声が聞こえた。珪己が声のほうを見ると、それは江春だった。


「そうだ、皆の者もすまなかったな。嫌いなものを渡されて困っておったのだろう? 許せ」

「……姫様!」

「なんともったいないお言葉……!」


 江春に続くように、全ての女官の頬に涙が伝わっていく。部屋中に漂う優しい空気に、珪己の目にも自然と涙がにじんだ。すると菊花が慌て出した。


「こらこら、お前達。どうして泣く? ほれ、江春も珪己も、どうしたのだ? わらわが言ったことは『思いやり』がなかったか?」

「いえ、姫様。違います。姫様のお言葉がうれしかったのです」

「……うれしい? ではどうして泣くのだ?」

「本当にうれしい時、人は涙を流すことがあるのですよ」


 それに菊花がほっとしたように、うれしそうに、少し頬を染めた。

 だがそれは束の間のことだった。


「……でも母上は少しさみしそうだった」


 ふいに、うつむいた菊花がつぶやいた。


「やはり父上にお会いしたいのだろうな……。野の花なんかでは母上のお心を安らかにはできないのかもしれない」

「そんなことはありません。喜んでいただけたのでしょう?」

「うむ……。だがわらわは母上にもっと喜んでもらいたい。いつもにこやかにほほ笑んでいてほしい。どうしたものだろうかのう……」

「姫……」


 思わず菊花の手をとると、菊花は珪己の心配げな表情に気づいて薄く笑ってみせた。その顔には先ほどまでの無邪気さは見当たらず、珪己はかける言葉を見つけることができなかった。だから――ただその手を握る力を少し強くすることしかできなかった。

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