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3.姫の好きなもの

 珪己は身をひそめるように庭園へと向かった。昨日の夕暮れ時、菊花を見つけたつつじの木に行くと、しかしそこには誰もいなかった。


 先ほどの攻防による倦怠感がふいに押し寄せてきた。すると珪己は突如一人になりたくなった。半ば無意識に膝を地面につけ、にじり進み、木々の隙間、菊花が隠れていた小さな空間に身を入れていく。緑のつやのある若葉に囲まれたことでようやく安堵し、珪己はふうっとため息をついた。


(なんだか大変なことになったわ……。侑生様は自分が女官に人気があるのを知らないのかしら?)


(知っていてあのような言動をする方なのだとしたら、侑生様って相当にひどい人なのか女たらしね)


 まったくもって掴みどころのない人だ。

 他にいくつの顔を持っているのだろうか。


 腰帯にさした扇子を取り出し開いてみると、白檀の香りがほのかに周囲に漂った。しばらくその薄い青の生地をじっと見ていたら、あの日、石橋の上で侑生が言っていたことが思い出された。


『宿題です』


(もう、宿題ってなんなのよ)

(でも……侑生様が私を好きだという答えは絶対にないと思うのよね。出会ったばかりの女性を好きになるような人には思えないもの)

(となると、わざとああいうふるまいをしたってことかしら? 誰かにしつこくつきまとわれているとか?)


 そこまで考えて、脳裏に江春の顔が思い浮かんだ。ひゅっと背中に冷たい風を感じる。


(……そうだ、江春様! 今朝はいたって普通だったけど、このことを知ったらどうなるのかしら? こ、怖い……)


 思わず両手で自分を抱きしめると、今自分がいる場所がひどく狭いことにあらためて気がついた。


 とたんに周囲に闇が生じ、その闇がわが身を圧迫するような息苦しさを感じた。


 このような場にいると、八年前、寝台の下に潜んでいた時のことがどうしても思い出されてしまう。暗くて狭いところにいると、むこうにあの日の鬼がいるような錯覚が生じてしまうのだ……。


 まだ明るい時間であるため、木々や葉の隙間から白く柔らかい日差しが入るのが救いだ。だが、珪己はこれ以上この空間にいることに抵抗を感じた。また両手両膝をついて木の下からにじりでていく。


 と、珪己の目の前に色鮮やかな衣装が突如現れた。


 鮮烈にも感じるまぶしさに、珪己は一瞬目をくらませた。


 見上げると、そこにはあの幼女――菊花の顔があった。初めて真正面から向き合う菊花の目はぱっちりとつり上がり気味で、普段は勝ち気に満ちているのだろうが、今はやや心許なげに揺れていた。


「そなたが珪己か?」


 珪己はその場で正座をし背筋を伸ばした。


「はい、私が珪己です。お初にお目にかかります、姫様」

「……なぜわらわにこれをくれた?」


 菊花の指すほうには御伽草子と籠があった。御伽草子は虫が主人公のもの、籠は虫籠である。


「姫様は虫がお好きなんでしょう? ですから喜ばれるかと思って」


 菊花の頬がうっすらと赤く染まった。ぽつりと「ありがとう」とつぶやく。照れたような仕草は可愛らしく、珪己はあっというまにこの姫のことが好きになった。


「喜んでいただけて光栄です。……そうだ! せっかくですから、今から虫をつかまえに行きませんか?」

「虫をつかまえる?」

「この季節だと蝶なんてどうですか? 蝶はお好きですか?」

「あのように飛んでいるものをどうやって捕まえるのだ?」


 菊花の目が好奇心に見開かれ、珪己は破顔した。


「蝶をつかまえるにはこつがいるんですよ。私がお教えします」

「うむ、頼む」


 きらきらと輝きだした菊花の瞳は、無垢であるがゆえの輝きに満ち溢れていた。


(姫はきっといい子だわ)


 珪己はそう確信した。

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