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2.暴露

 珪己は江春と別れて一人になると、これも恒例となりつつある女官の語り場というべき大部屋へと足を運んだ。


 扉を開けた瞬間、こちらも予想通り、居並ぶ全ての女官がはっと振り向いた。だがそこからが違った。これまでと同様であるならこの後はひそひそ話や無視が始まるはずだが――珪己の存在に気がついた皆がなぜか一斉に珪己を取り囲んだのである。その数、十数人。これだけの美女揃い、しかも一様に頬を桃色に染め、きらきらとしたまなざし全てを一身に向けられた経験は、ここ湖国において、女人をよりどりみどりにできる皇帝以外にないだろう。武官にはない独特の迫力すら感じられる。


 そして全員が一斉にまくし立て始めた。


「ねえ! あなた昨夜、あの李副使と逢引きしていたんですって?」

「あのような出世頭の美青年と! うらやましいわあ!」

「いつからおつきあいされているの?」

「昨夜はお二人で甘い夜を過ごされましたの?」


 珪己が答える間もなく、わいのわいのと矢継ぎ早に質問されていくから、誰が何を言っているのか把握することもできない有様だ。


「ちょ、ちょっと待ってください。いったい何のことですか?」

「これを読めば分かりますわ!」


 一人の女官が示したのは壁に貼り付けられている紙。


 そこに記されている内容に珪己は驚愕した。


 そこには、李侑生から贈られた文箱のことや、昨夜の密会のことが書かれていた。束の間の逢瀬で笑い合っていたことや、珪己が目もくらまんばかりの豪華な贈り物を手渡されていたことまでも、だ。


 二人は恋人同士である。その壁紙はそう断言していた。証拠として、珪己が侑生に手を引かれて後宮に入ったことや、あまつさえ抱きしめ合っていたことまで挙げられていた。


「……これはなんですか?」

「新聞っていうのよ」


 割って入った声に振り向くと、そこには一人の美しくもひときわ快活そうな女官の姿があった。


「こうやって、その日にあったおもしろいことを書いて皆さんに教える紙のことを『新聞』というと、しんの国の商人に聞いて試していますのよ。皆さんが喜んでくれるからはりきっちゃって。でも今回の新聞がこれまでで一番皆さんを喜ばせているみたい。だって、花形官吏の李侑生様の熱愛の話題はこれが初めてですから。女官にとって恋愛話は最大の御馳走ですわ。あ、私は果鈴かりんといいます。これからも面白い話の提供をよろしくお願いしますね」

「ちょっとー! 悲しんでいる人だっているわよ!?」


 部屋の隅にいた女官がそれだけ叫んだかと思うと、机につっぷしておいおいと泣き始めた。その女官を数人の仲間がかわいそうにとなぐさめる。珪己も思わず「ごめんなさい」と声をかけたが、その女官は余計に激しく泣いてしまった。新聞を作ったという女官、果鈴があきれた顔をした。


「あーあ、火に油を注ぐようなことをしちゃって。敵に情けをかけられて喜ぶ馬鹿がいます?」


 恋愛にうとい珪己でも、道場での立会や仁威や定莉との稽古を思い出せば、さすがに自分の思慮のなさを理解できた。であれば……今すべきは事実無根であることを説明することのみだ。


「あの、私は李副使とはおつきあいはしてませんが……」

「じゃあここに書いてあることが嘘だっていうの?!」


 泣き伏せる女官以上に果鈴が強く反応を示した。


「あなた、私の情報収集能力をあなどらないでくださらない?」

「え、と、そういうわけでは」

「どこに嘘があるっていうの? あなた、李副使に文をもらったんでしょう?」

「も、もらいました……」

「二人で夜の庭でお会いしていたでしょう?」

「え、ええ」

「二人が笑い合う姿はまさに恋仲にしか見えなかったそうですわよ」

「わ、私、李副使の笑った声なんて聞いたことない……!」


 どこかで別の女官までもが泣き出し、それを言うなら私もよ、と奇妙なこだまのようにすすり泣きがいたるところで発生し出した。だが果鈴はかまわず珪己にずいっと近づいてきた。


「手をつないで歩いていた件については大勢の証言を得ていますわよ。石橋の上で抱き合っていたっていうのも事実ですよわね?」

「抱き合ってなんかいないわ! ただ、手を引っ張られたはずみでぶつかってしまっただけで……!」

「私も李副使に抱きつきたい……」


 すすり泣く声はこれでもかと増幅していった。そして、それとは逆に派手に喜ぶものも少数ではあるがいたりして、大部屋の中は阿鼻叫喚の有様となってきている。


(な、なんなのこれ?)


「そして、もう一つ。とっておきの話を聞いていますわ」


 果鈴の人差し指が珪己の腰のあたりにびしっとつきつけられる。


「その扇子ですわ。それ、李副使のものじゃなくて?」


 一瞬の間ののち、きゃー、とも、ぎゃー、ともいえぬ歓声、怒声、奇声が湧き上がった。


「本当だわ、それは李副使のものよ! いつも持ち歩いていらしたものだわ!」

「私も覚えていますわ! その扇子をお顔にあてて新雪の積もるお庭を眺める李副使は愁いをおびてため息ものでしたから!」

「ちょっと、それ私に貸してくださらない? ちょっとでいいから匂いをかがせて!」

「待って、私が先よ!」


 あっという間に、珪己はその場にいたさらなる大勢の女官に取り囲まれた。これだけ血気盛んな美女達を相手にして珪己の頭は真っ白になった。だがお役目のために必要な小道具であるはずの扇子を奪われるわけにはいかない。


 ぎゅっと自分自身を抱きしめることで抵抗する。この仕草が興奮する女達に火をつけた。


「やっぱり李副使のものじゃない……っ!」


 ――ようやく珪己が大部屋から逃げ出したのは半刻後のことだった。


 もともと体力のない女達では武芸の心得のある珪己を留め置くことなどできるはずもない。それでも途切れることのない美しくも切ない叫び声は、珪己が部屋を遠く離れてもいつまでも耳に届いた。

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