1.姫からの贈り物、ふたたび
翌朝、恒例となりつつある菊花へのお目見えに向かう途中、江春はつき従う珪己の抱える箱に目をとめた。
「珪己殿、その箱はなんですか?」
「これですか? 姫への贈り物です」
「……まさか、昨日のあてつけに虫など入ってはいないでしょうね。そのような真似をしたら本当に命が危ういですよ」
「違いますよ、大丈夫です。あ、でも全然違うわけでもないんですけど」
にっこりと、不敵にすら思える珪己の笑顔に、江春が不安気に眉をひそめた。とはいえ、二人はあと十歩ほどで姫の部屋にたどりつくところまで来ている。珪己は江春にかまわず、すたすたと目的の部屋の扉の前に立った。後からあわてて江春が追ってくる。
珪己は努めて明るく声をはりあげた。
「姫様、おはようございます。珪己です。昨日は贈り物をありがとうございました」
するとそこに、細く開けた扉をぬって、昨日のやつれた女官が姿を現した。
「姫があなたにまた贈り物を授けるとのことです。お受け取りください」
心底嫌そうに、小ぶりな箱が珪己に突き出される。それを珪己が受け取ると、女官は急いで箱から手を離し、胸元の手ぬぐいでこするように両手を拭った。
その場で箱の蓋を小さく開けてみると、案の定というか、中身は珪己が予想したとおりのもので思わず笑みがこぼれた。
(だんご虫がいっぱいだわ)
中身を知っているであろう、その女官は蓋を開けた珪己から飛ぶように離れていった。貴族の娘であれば虫は恐怖の対象といっても過言ではないのだ。触れば穢れるとでも思っているのかもしれない。けれど子供の多くは虫を好むものだ。珪己は道場で下は五歳の少年を生徒に持っているため、必然、生徒を理解するうえでも虫に対して耐性を持っていた。それに建て付け悪く隙間の多い道場では、入り込んでくる虫どもに平気にならずして稽古などできはしないのだ。
「姫様、今日もありがとうございます」
珪己は努めて明るく声をかけた。
「実は、今日は私も姫様に贈り物を持参しております。どうかお受け取りいただけないでしょうか」
数拍の後、扉の向こうから幼女のやや高い声が届いた。
「……ゆるす」
昨夜、侑生から受け取った朱塗りの豪奢な箱を、今も警戒して距離をとっている女官に手渡す。だがこの女官、珪己が小脇に抱えるだんご虫の小箱がよほど気になるようで、その荷を奪うとすぐさま扉の内側に姿を消した。
「姫様、よろしければあとで私と遊びませんか? この小箱の贈り物をお手にとられたあたりでお待ちしております」
珪己はそれだけ告げると扉の前から退いた。
*
「あれには何が入っているのですか?」
連れ立つ江春が珪己に尋ねた。
「御伽草子です。それと籠を一つ」
「御伽草子に籠……? 珪己殿、姫はこの国で最も美しく装飾された御伽草子も、宝玉を入れるにふさわしい籠もお持ちですよ。それに姫はそのようなものを好まれません」
「そうでしょうね」
珪己がうなずくのを、江春は不可思議な面持ちで見た。
「まあ、何か策がおありなのかもしれませんけれど……。首尾よく事が運ぶことをお祈りします」
気のなさそうに言うと江春はそばから離れていった。