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4.夕暮れの中、姫は

 その日、珪己けいき定莉ていりと日が暮れるまで稽古をした。思いきり動いて、汗をかいて、珪己は自分の体が隅々まで浄化されたような気がした。休憩時には同期ともいえるその他の新人武官とも仲良くなれたし、久しぶりに大きな声で笑ったような気がする。鍛練場を後にし、後宮の自室に戻って女官姿に装い直しても、昼間の熱い経験で珪己の体と心はほてっていた。


 このまま室内に篭っている気分にはなれず、珪己は自室に面する庭園へと足を運んだ。西のほうに見える夕焼け空と、東のほうに立ち上る藍色の夜空が入り交りあい、空は不思議な色合いを帯びている。少し冷えた風が巨大な池の水面を走り庭園を通り抜けていく。その冷気が今の珪己には心地よかった。


(人のいないところで正拳や蹴りの練習でもしようかしら……)


 今日の稽古では攻撃をよけることのみに専念したが、いつまでも珪己の側から攻撃しないのもおかしい。それに、珪己自身も、定莉のように攻撃できるようになりたいという思いが芽生えている。姫の護衛の時にもきっと役に立つはずだ。


 ふと、こんもりとしたつつじの木の陰に、珪己は人の気配を感じた。足を止め注意深く観察すると、その気配は幼児のものだった。後宮に暮らす幼児といえば、現在、菊花以外にはいない。


 そっとのぞくと、そこには豪奢な衣装を着た幼女がいた。勝ち気そうに見えるややつり上がった瞳は、夢中で地面上の何かを眺めている。その手は土で汚れ、衣装の裾も薄茶色に染まっている。趣向を凝らして着飾り合う女官らを歯牙にかけないほどの衣が安物のごとく扱われているというわけだ。その小さな頭の上、結い上げられた髪もまた、つつじの枝にかかったのか乱れて髪紐がほどけかかっている。


 菊花がのぞくものに目をむけると、そこには無数のだんご虫がいた。つん、つん、と、だんご虫をつつき丸めるその横顔は、高貴な姫にしてはやんちゃな、けれど市井では普通にみかける七歳の女児そのものだった。


(……姫って本当に虫が好きなのね)


 そこではたと気づいた。


(もしかして、あの百足をつかまえたのは姫ご自身なんじゃない? でもって私以外の女官にも贈ったことがあるんじゃないかしら? 自分が好きなものだから相手も気に入る……そう思って)


(だけど上品な女官の方々には気味悪がられるに決まっているし、今日の百足はお鉢が私に回ってきただけなんじゃないかしら。でももしそうなら、せっかく捕まえた虫を喜んでもらえなくて悲しかったのかもしれない……)


 すると、ぱっと脳裏に名案が浮かんだ。


 珪己は菊花に気づかれないように静かにその場を後にした。そして自室に戻り急いで筆をとると、はやる胸をおさえて文を一つ作成した。完成したそれを簡素な黒塗りの文箱にしまうや、廊下に行き交う女童の一人をつかまえてそれを押し付けた。


「これを急いで枢密副使すうみつふくしにお渡しして。今すぐよ!」

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