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2.武官の稽古

 珪己けいきは自室で武官の服に身を包むと、昨日に引き続き武殿ぶでんの鍛練場へと向かった。後宮では今日もやるべきことは残されておらず、そうなると、不可解な侑生ゆうせいの指示に従うほかなかったのである。


 とはいえ、昨日の今日では平常心でいられるわけもない。あれほどの闘気を向けられ、あわや身を斬られるかもと本気で覚悟したのだから。道場での稽古とは全く違った一瞬は、珪己をあらたな次元へ、究極の武芸者へと高めようとしている――本人はいたって無自覚ではあるが。


 それでも、鍛練を積む武官の輪に入る度胸もきっかけもなく、珪己はまたも柱の陰で小さくかかんでいるしかなかった。傍目から見れば、物欲しげに稽古の様を眺めるその姿は憐憫の情を抱かせたことだろう。仲間に入りたいのに「入れて」というただその一言を口に出せない幼児そのもののように。


 ふと、背後から覚えのある気配を感じた。


「お前はその柱がずいぶんと気に入っているようだな」


 振り返るまでもなく、そこにえん仁威じんいがいる――。


 けれど逃げるわけにはいかない。


 ためらいながらも振り向くと、やはり近衛軍第一隊隊長である仁威が仁王立ちで珪己を見下ろしていた。


(昨日と同じ状況だわ……)


 少しの間、二人は見つめあった。

 ここに来た覚悟を試されている、と珪己は感じた。


(私は……強くなるためにここに来たんだ!)


 見返す珪己の瞳に強い意志の光が浮かんだ。

 表情を見定め、仁威が一つうなずいた。


「よし、来い。新人はあちらで鍛練をつけている」




 連れて行かれた先は鍛練場の隅であった。そこでは比較的年若い武官が十名程度、休憩中なのか、ある者は汗をぬぐいながら、ある者は床に座って楽しげに歓談していた。彼らは近づく隊長の姿に一斉に立ち上がると頭を垂れた。


「昨日付でお前達と同じ近衛軍に配属された楊……下の名はなんだったか?」


 問われ、珪己はあらかじめ玄徳と侑生との間で取り決めていた名をあらためて告げた。


よう珪信けいしん、と申します」

「……とのことだ。これからよろしく頼む。楊珪信、お前はこのしゅう定莉ていりと稽古をしろ」


 周定莉と呼ばれた一際小柄で幼さの残る武官が、珪己と目が合うと軽く頭を下げた。


しゅうはお前と同じ第一隊所属だ。数日後には武挙ぶきょを受けてもらうからそのつもりで励め。よし、それでは稽古を再開しろ」


 隊長の鋭い一声によって新人武官の集団は即座に解散した。と、背を向けて一人去ろうとした仁威が、ついと足を止めて振り返った。


「周定莉。この男は地方の貴族のぼんぼん息子でしかも体も弱いらしいから、手加減してやってくれ」


 そう言い捨てると、今度こそ本当に新人武官の輪から離れていった。

 むむむっと仁威の背中をにらみ続ける珪己に、周定莉は気づいたのかどうか。


「珪信さん、周定莉です。これからよろしくお願いします」


 珪己があわてて振り向くと、そこには無邪気に笑う定莉の顔があった。


「昨日の袁隊長との立会い、見ていましたよ。隊長と刃を向き合わせるなんて、僕には一生かかっても無理です。勇気があるんですね」

「あー……。忘れてください。自分の馬鹿さ加減にあきれているくらいなんですから。もう二度とあんなことはしません……」

「でもかっこよかったですよ?」

「もう、からかわないでください! それより、定莉殿。私のことは珪信と呼んでください。私が一番の新人なんですから」

「いえ、入軍した時期は僕たちたいして違わないんですよ? それに年上の方にそのような失礼はできません」


 聞くと、定莉は齢十三という。驚く珪己に、定莉は頭をかいて苦笑した。


「今は武官が軽視される時代ですからね。武官になろうと思う人は減っているし、当然武官の質も下がってきています。なので僕みたいな若さでも、ある程度の腕があれば採用してもらえるんですよね」


 そこまで話して、定莉はあわてたように付け加えた。


「でも僕は不純な気持ちで武官となったわけではありませんよ? 僕の家は代々武官を排出しているのですが、僕はそのことに誇りを持っているんです。平和に思える今の世でも、武官は絶対に必要なんだって、そう僕は思っています」


 年相応らしい、可愛らしさすら感じさせる定莉の話し方に、珪己はくすりと笑っていた。ここに来るまでの緊張がゆるくほどけていくのを感じる。道場の同じ年頃の生徒たちのことがふとなつかしく思い出された。みな純真で、まっすぐで、可愛くて――。


優しいほほ笑みを浮かべた珪己に、定莉の頬がうっすらと赤く染まった。


 定莉はますますあわてた様子で珪己から目をそらした。


「そ、それでは始めましょうか!」

「今日は何をするんだ?」


 珪己は定莉の動揺には気づいていなかった。

 その口調は同僚という気兼ねもあってすっかりくだけている。


「体術です」

「体術?」

「はい。新人は必ず初めに体術を学ぶんですよ。最低限の業を習得しない限り正式な武官としては認められません。なので僕たちは本当はまだ見習い扱いなんです」


 話をすることで定莉は落ち着きを取り戻していった。

 対照的に、珪己は思案深い表情となっている。


「珪信さん、どうしたんですか?」

「いえ……、いや、なんでもない」

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