空腹蜃気楼
「やっぱりこういう店って値段の割に量が少なくて困っちゃう。」と彼女は言って今日も肩をすくめた。
彼女を初めて見かけたのは大学の学食だった。ぼくが食券機で290円のざるそばのボタンを押す横で、財布の中の小銭を片づけるかのようにひたすら小銭を入れてた。ほっそりとした姿で、長い髪の毛を後ろでまとめただけの髪型は凛々しくて綺麗だった。女性には珍しく、おでこを大きく出しているのが印象的だった。手のひらから10円玉を淡々と入れている様は異様だった。授業が終わり続々と人が来ているのは全く視界に入らないようだ。
頼んだざるそばにぱらぱらとネギを振りかけ、つゆに浸して食べる。お腹が弱いので麺はあまりすすらないでせかせかと麺を口に運ぶ中、真正面に彼女が座った。顔よりも大きな器に大盛りになったカツカレーをガタンと置いて。うちの大学にこんなものがあったのか。名物にしても良いくらいのインパクトなのにメニューに載ってるのも頼んだ人を見たことが無かった。半ば呆然としてそのカツカレーを見ていたら、彼女は小首を傾げて
「他人の食べ物あまりじろじろと見ないで下さいよ…あげませんよ?」そういうことじゃない。
「ああごめんなさい、初対面なのに。いやそのカツカレーに圧倒してしまって…」
「あっ気づいちゃいました?これ私の為に学食のおばちゃんが考案したものなんですよー!」そう言いつつスプーンは皿と口をひたすら往復している。
「ああ、どうりで見かけたことがないと思ったら。」
「一応裏メニューじゃないんですよ。さっきあなた私が券売機でこれ買ってるの見てましたよね?」
「ごめんなさい。失礼でしたよね…」
「いや、別にいいんですよ、いつものことですし。気にしてないですよ。」
そう言うと、彼女はカランと音を立てて水を飲んだ。
「とりあえず、これは一応メニューにはあるんですよ。あまりにも量が多くておばちゃん達がよそるのに手間がかかるし、忙しい時間帯に注文されると面倒だから目立たないようにはしてありますけどね。」
「いや、十分今も忙しい時間帯だと思いますけどね…」携帯で時間を確認すると、針は一時半を指している。
「だから、おばちゃんが肩をすくめて笑っていたんですね…」福神漬けをスプーンで並盛かっさらいポリポリと音を立てて食べる。もう半分近く無くなっている。対して僕のざるそばはほとんど手が付けられていない。
「食欲無いんですか?私が食べましょうか?」
「いや…ありますよ。無かったら頼みませんし…」
「無理しない方がいいですよ?食べましょうか?」流石にカレーをひたすら食べ続けて飽きたのだろうか。
「じゃあ食べます?」そう言いつつテーブルの脇の入れ物から一膳割り箸を取る。
「流石に同じ箸は…」と言って差し出すと
「私そういうの気にしないんで大丈夫ですよ?環境に良くないですし…」つゆの入れ物の上に置いといた僕の箸をぱっと取る。
「ちょっ…!!!」
「もう…なんですか?」眉間に大きくしわを寄せ、軽く上目遣いで睨んでくる。
「いや…僕のほうが…色々とするんで…お願いします。」そう言いつつ、なんでこんな状態になっているんだろ…とふと思った。
「まあ別にいいです。」
「ありがとうございます。助かります。」
彼女は返事をするように軽く肩をすくめつつ、そばをずずっとすすった。
「いいですね。なんだか夏ってカンジがしますね。」
「一年中ありますけどね。」サヨナラ僕の昼ご飯。
流石に麺だと簡単に食べられるのか、あんなにカレーを平らげていたのに2,3分で空になった食器を返してきた。「ごちそうさまでした」という彼女の笑顔とともに。
昼食を物足りなさそうに平らげられもうこりごりだという気持ちと、対してまた今度も食事してみたいなあという気持ちが複雑に絡み合い、引きつったなんとも言えない笑顔しかできなかった。
まだ冷やし中華がメニューに並んでいない初夏のことだった。