第三話 嫁
「がっこう……?」
「そう、学校。同じくらいの年の子が集まって勉強する場所だよ」
僕はネクタイを絞めながらあやめに返事をした。丁度、学校へ行く時間になったのだ。
「わたしも……がっこう行きたい」
「だめだよ。学校は生徒しか入れないんだ。あやめはここで待っていてくれ」
「でも……」
「学校が終わったらすぐに帰ってくるから。そうしたら、これからの話をしよう」
「……うん。わかった、待ってる」
僕の言葉に、あやめは寂しそうに肩を落とした。
ううっ。なんだか物凄く悪いことしてる気分になるな……。でも、んなこと言ってられない、か。
「ごめんな。じゃあ、行ってくるよ」
「……いってらっしゃい」
小さく手を振るあやめに手を振り返し、僕は学校へと向かった。
*
「嗚呼、心配だ……」
学校に着いて早々、僕は頭を抱えた。
よく考えたら、あやめを家に一人で残すのは危険なんじゃないか? あやめは大丈夫と言っていたけど、お父さんが人間界への影響を無視してあやめを連れ戻しに来る可能性もなくはない。もしくは、別の誰かに頼んで連れ戻そうとするんじゃないだろうか。
そうなれば、また僕らは記憶を消される。もう一度会える保証なんてどこにもない。今回のことをきっかけに、二度と会えないように手を打たれることだって十分に考えられる。
そうしたら、もうあやめのことを思い出すこともできなくなるのか? 今までみたいに、まるで、最初から出会っていなかったかのように――
「そんなの、嫌だ!」
考え出したら、いてもたってもいられなくなった。
早退しよう。今日はあやめの傍にいた方がいい気がする。先生には、一応連絡した方がいいよな。
僕は決心し、職員室へ向かうために席を立った。
その時──
「ゆずき……見つけた!」
「って、あやめ!?」
心臓が飛び出るぐらい驚いた。何故か目の前にあやめがいたのだ。その反面、彼女の顔をみてホッとした自分もいた。とりあえず、僕の留守中に連れ戻されたりはしなかったようだ。
「ここ、面白いね。みんな……同じ格好」
「ああ。あれは制服だよ。生徒はみんな服装を揃えるのさ」
「制服? 私も……制服着れる?」
それは是非とも見たい! けど──
「無理だよ。生徒以外は着れないんだ」
「そっか……残念」
しょんぼりとするあやめは、また可愛らしかった。
しかし、あやめの制服姿かあ。似合うだろうな。うちの女子の制服、可愛いし。
「――って、違あう! 何故あやめがここにいるんだ!?」
「……?」
なにそのキョトンとした顔!?
意図が上手く伝わっていないのだろう。とてつもない暖簾に腕押し感。
事態を飲み込んでくれないあやめに戸惑っていると、背後から友人に声を掛けられた。
「なんだ、神流手。その不思議ちゃん、お前の知り合いか?」
「え!? えっと……」
言葉に詰まった。
そして、声を掛けられて初めて、教室中の視線を集めていることに気がついた。よく見ると、廊下から覗いてる人までいる。
不味い。これは非常に不味い。素性だけなら親戚とかいくらでも誤魔化せるけど、この狐耳と尻尾はどう説明しよう……。
「なになに、神流手君の妹さんかなにか?」
「わあ。なにこの格好、狐みたーい」
「それにちっちゃくて超可愛いんだけど」
考えもまとまらないうちに、クラスメイトの女子数名が興味津々といった顔で寄ってきた。そんな女子たちの言葉に引っかかるものがあったのか、珍しくあやめの表情が曇る。挙げ句、
「狐みたい、じゃないよ。本物の……稲荷狐!」
と、胸を張って言った。言いやがった。
たちまち教室のざわめきが大きくなる。
そりゃそうだよね。今の発言だけならまだいい。加えてこれ見よがしに、狐耳と尻尾をピョコピョコフリフリと動かすんだもの。
「あやめ、こっちに来い!」
「へっ……?」
僕は彼女の手を握り、一目散にその場から逃げ出した。
*
「ハァハァ……。な、なにを考えてるんだ! そんな格好で現れたら妖怪ってバレるだろ!」
僕は呼吸も整えないまま、屋上で声を荒げた。
あやめは幾秒かキョトンとした後、表情を曇らせた。
「だって……本当の狐なんだもん」
拗ねた!?
「そもそも、どうして学校にいるんだ! 家で待っているって約束したじゃないか!」
「言ったけど……」
「なら、なんで──!?」
それ以上言葉を続けられなかった。あやめの瞳に、大粒の涙が溜まっていたからだ。
「急に……心配になったんだんだもん。もし、お父さんが人間界のことなんて無視してゆずきの所に行ったら、どうしようって……」
嗚呼、僕は馬鹿かよ。
「ごめんなさい……。わたし、悪い子だったね」
あやめはそう言って、ポロポロと泣き始めた。声もあげず、ただ静かにすすり泣いた。
そんな彼女に向かって、僕は勢いよく頭を下げた。
「ごめん!」
「……ゆずき?」
「実は僕も同じこと考えてた。あやめが連れ戻されたらどうしようって」
「そうなの……?」
「あやめは心配してくれたのに、一方的に言ったりして……本当にごめん」
暫くの間、そのまま頭を下げていた。すると、小さな手が僕の両頬にそっと添えられた。促されるままに顔を上げると、あやめの潤んだ藍色の瞳が、僕の目をじっと見据えていた。
そして、彼女の頭がゆっくりと左右に振れる。
「ううん。わたしの方こそごめんなさい。約束、破ったから……」
「あ、あやめは謝らなくていいんだよ。僕が最初から学校休めば、こんなことにはならなかったわけだし」
「ゆずき……やさしいね」
あやめは涙を拭ってにっこりと笑った。
「小さい頃の自分が、ゆずきを好きになった気持ち……わかる気がする」
「う……。そういうの、照れるから勘弁してくれ」
「顔赤いよ、ゆずき。……おもしろい」
クスクスと笑うあやめ。あまりの可愛さに、直視できなかった。
やばい。顔が熱い。
するとその時、ピンポンパンポンと呼び出し音が鳴り響き、スピーカーから校内アナウンスが流れだした。
『一年七組、神流手柚希。一緒にいる嫁を連れて、至急理事長室に来なさい。繰り返す――』
……ひどいアナウンスだな。
呆れてスピーカーを見上げていると、あやめが再びクスクスと笑いだした。どことなく、喜んでいるように見える。
「ど、どうしてそんな嬉しそうなの?」
「ふふっ。わたし……ゆずきのお嫁さんだって」
その理由は反則です!
嬉しいやら恥ずかしいやらで思わず両手で顔を覆う。そんな僕に、あやめは顔を赤らめながら、ポソポソと言葉を紡いだ。
「わたしね、ゆずきにやさしくされると、どきどきするの……。胸が、ポウッて温かくなるんだ」
「ど、どうも」
「ねえ、ゆずき。いつかわたしを……お嫁さんにしてくれる?」
「えっと、その…………はい」
うおおおっ! 頭真っ白で気の利いた言葉の一つも浮かばねえええええっ!
心臓がばっくんばっくんいって、平常心など保てやしなかった。
「よかった……。ありがとう」
心配をよそに、ただただ嬉しそうにハニカムあやめ。
僕の未来のお嫁さんは、天使のように可愛かった。
「じゃあ……一緒にいこ」
「行くってどこに?」
「えっと……りじちょーしつ?」
ああ、そっか。呼ばれてたんだっけ。
「そうだな。よし、行きますか!」
「うん……!」
僕はあやめの手を引いて、屋上を後にした。
向かう先は、この学園の最高責任者が待つ、理事長室――