第二話 桃仙郷
とりあえず、僕はあやめを一階のリビングへと案内した。
朝ご飯を食べながら話をしようと思ったからだ。
「ここ座って」
「……うん」
椅子を引くと、あやめは行儀よくちょこんとそこに腰かけた。僕は台所へ行き、冷蔵庫から先日の残り物を出してテーブルに並べると、テーブルを挟んで向かい合うように椅子に座った。
「さて、食べようか。いただきますっと」
箸を手に取り、から揚げに手を伸ばしたところで、あやめの様子に気がついた。戸惑っているのか、箸も手にしないままあやめはじっと料理を見つめていた。
「食べないの?」
「見たことない料理ばっかり……」
どうやら妖怪の食文化と人間の食文化は随分違うらしい。
「食べてみてよ。夕飯の残り物だけど、そこそこおいしいと思うよ」
僕は小さめのから揚げを箸で刺し、あやめの口元に運んでみた。
おずおずとした様子のあやめだったが、から揚げをかじった途端、目がコロッと丸くなった。
「どうよ」
「お……おいひい」
あやめは目を輝かせながらもぐもぐと咀嚼し、そのままから揚げを飲み込んだ。
「これ……ゆずきが作ったの?」
「そうだよ。揚げ物は得意なんだ」
僕は腕まくりをして、得意げにガッツポーズをして見せた。両親も妹も海外暮らしで、ここ五年間はずっと一人暮らしをしていた。そのおかげとでもいうべきか、家事は得意だった。自慢じゃないが、その辺の主婦には負けないくらいの主夫力はあると自負している。
「もう一個……食べてもいい?」
「いいよ、いくつでも食べな」
またから揚げに箸を刺し、彼女の口元へと運んだ。それをパクリと口に入れ、再びあやめが幸せそうな顔になる。上機嫌なのか、ふわふわの尻尾が軽快に揺れている。
ほんと、おいしそうに食べるな。嬉しいね――って、呑気にそんなこと考えている場合じゃなかった。あやめに聞きたいことがたくさんあるんだった。
「なあ、あやめ。いくつか質問してもいいか」
「……いいよ」
あやめはから揚げを飲み込んでから、コクンと頷いた。
「あの手紙はいつ読んだの?」
「記憶を失って……二年くらい経ってから。お部屋に隠してあったのを偶然みつけたの」
二年……。きっとお父さんに見つからないように念入りに隠したんだろうな。
「見つけた時、どんな気持ちだった?」
「最初は驚いたし……戸惑ったよ。でも、ずっと心に穴が開いたみたいな気がしてたから……読み終えた頃にはすごく自然に納得できたかも」
「そっか」
「本当はすぐにでもゆずきに会いに行きたかったけど、名前しかわからなくて……」
「ああ、そういえば手紙にはゆずきとしか書かれてなかったもんな。写真もないんじゃ苦労しただろう。よく僕にたどり着けたな」
「うん。調べているうちに、昔わたしが来たのはこのあたりだってやっとわかったんだ。それからは、こっそり抜け出しては、歳の近そうな男の人を訪ねて……回ったの」
なるほど。それで、いろんな人の家を渡り歩いていたのか。この周辺地域で歳の近い男子。そりゃ、うちの学校で噂にもなるはずだ。
「抜け出してって、あやめはどこに住んでいたんだ?」
「……桃仙郷」
「とうせんきょう?」
「そう。こことは……少しだけズレた世界」
妖怪の世界――的な感じか。予想はしていたけど、やっぱりそういうのってあるんだな。
「桃仙郷ねえ。当然、お前のお父さんもそこにいるんだよな?」
「うん。だから、もう……桃仙郷には帰れない。何度でも好きになればいいって言ったけど……できることなら、やっぱりゆずきのこと忘れたくないから」
確かにそうだな。忘れなくていいにこしたことはない。
けれど、この状況は少しマズイ気がした。
「でもさ、それ平気なのか? いずれは、あやめを連れ戻しにくるんじゃないか?」
「平気。お父さんは桃仙郷から出られないから……」
「そ、そうなのか?」
「うん。お父さん、力が強すぎるから、こっちの世界に影響出ちゃうって言ってた。だから……たぶん来ない」
「ふうん。そうか」
そうなると、やっぱりこの方法が一番いいか。
僕は考えていたひとつの案を提案することにした。
「あのさ、あやめ。ここで一緒に暮らさないか?」
「……えっ!?」
「桃仙郷に帰れないのなら、こっちの世界に住む場所が必要だろ」
「そうだけど……。でも……いいの?」
あやめが申し訳なさそうな顔をする。
気を使わないで良いように、僕は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。優しくするって約束しただろ」
「……ありがとう、ゆずき」
そう言ったあやめの表情はとても嬉しそうで、かわいらしく見えた。
思わず、僕の胸が小さく跳ねるほどに――
「い、いや、こちらこそありがとう。おかげで聞きたいことは大体聞けたよ。中断して悪かったね。さあ食べよう」
慌てて話題を逸らし、ご飯を口の中にかき込む。喉に詰まりかけて麦茶を一気飲みしたところで、あることに気がついた。あやめが食べずにじっと箸を見つめていたのである。
「もしかして、桃仙郷には箸とか無かった?」
「これ、はしっていうの?」
やっぱりか。
予想通り、あやめは箸の存在を知らなかった。
「箸は慣れが必要だからな……。ちょっと待ってろ。何か別のを用意するから」
僕は席を立ち、食器棚を漁った。
おっ、あったあった。こっちの方が食べやすいだろ。
取り出したのは、先が尖っている子供用のスプーンだった。席に戻って、それをあやめへと差し出す。
「これ使って食べるといいよ」
言いながら、スプーンを掴んで食べる仕草をして見せた。
「……ありがとう」
あやめは子供みたいにグーでスプーンを掴み、パクパクと食べ始めた。食べ物を口に入れる度に幸せそうに笑うものだから、僕は自分が食べるのも忘れてその姿に魅入ってしまった。
ああ。なんだかお父さんになった気分だな。
なんて、そんなことを想いながら――