走り出した夢、置き去りの不安
走り出した夢、置き去りの不安
朝、ご飯を食べているライに宣言をした。
「ライ、私やっぱりピアノやることにした。音大、目指すから。」
「ほんと!いつ言い出すかなって、待ってたよ。」
「ありがとう。」
皆待っていてくれたのだ。何も言わず、セラが気づけるように。そのことに、心から感謝の意が沸いた。
本屋に行った。多大な勇気を擁して電話を掛けたピアノの先生に大学進学を希望したいからレッスンを増やすと言うと、予想に反して大いに喜んでくれた。
もう、後戻りはできない。
『海、いつ行く?』
レオからのメッセージ。今週はエリシアたち、来週はシャッツェル……
『私、平日しか空いてないかも。』
『なら月末の平日に行くか。息抜きにいいだろ。』
『そうだね。そうしよ。』
一度集中すれば抜けられない。本と同じだ。始めたら止まれないセラは一日中ピアノと音楽の勉強に身を漬ける日々が始まった。
一週間近く家事以外の時間全てが音楽に変わると、見える景色まで変わるようで。まるで家事が息抜きのように楽しくさえ感じられた。
数日後、ロクに返信しないセラを見かねてかレオが家にやってきた。
「調子はどうだ?」
「やること多くて目が回りそう。でも、楽しいよ。」
「それならよかった。」
「セラ姉の家が防音室になっちゃった。」
「仕方ないのよ。あそこが一番落ち着くの。」
「なあ、今度なんか弾いてくれないか。」
「そう言ったもんね。レオはどんなのが好きなの?」
「俺音楽はよく分かんねえからなあ。映画音楽とか、ピアノで弾いたら綺麗なの、あるんじゃないか?」
「確かに。クラシックばっかだけど息抜きにいいかも。探しとくね。」
「ああ。じゃ、俺は帰るからな。夜はちゃんと寝ろよ。」
「もっと言ってください。夜中もあそこから出てきません。」
「ちょっとライまで……」
「あのな、身体まで壊したら意味ないだろ。集中すんのはいいけどちゃんと切り上げろ。また来るから。」
「はい……」
「じゃあな。お休み。」
「お休みなさーい」
焦って、いるのがバレたんだろうか。今まで逃げてきたツケがやると決めたら一気に回ってきた。そのことに、酷く焦りを感じていたのだ。土曜日のエリシアたちとの買い物をキャンセルしようかと思うほどに。
夜、防音室で弾いていると電話が鳴った。
「まだ弾いてるのか?」
「うん……」
「焦ってるのか?」
「正直……うん、焦ってる。」
「お前、何か勘違いしてないか。」
「え?」
「やると決めたイコール成功しろなわけじゃない。今年上手くいかなければ来年上手くいけばいい。」
「あ……」
「焦って、苦しんで楽しむことを忘れるなよ。」
「仰る通りです。」
「分かったならよろしい。」
焦りが少し、体内から抜け出たように声を出して笑った。
「ありがとう、レオ」
「いいから。また電話する。抜き打ち検査だな。」
「それは怖いな。」
「分ったなら今日は無理せず寝ろ。今週はエリシア
たちと買い物行くんだろ?」
「うん。」
「楽しんで来い。たまには俺が行った時も構ってくれよ。」
「うん。ライが帰ってくる前に来てね。」
「……そうだな。お休み、セラ。」
一瞬の間。ライもいたほうがレオにとったら心地いいのだろうか。
脳を掠める不安に、気づかないフリをした。




