一口で、恋に落ちた。
一口で、恋に落ちた
屋上は好きだ。意外と人も来ない。空を眺めて、雲が動いているのを見ていれば、一瞬だけ空が近くなって現実から離れられる気がする。
「セラ」
聞こえて来た声は意外だけど意外じゃない。まさか本当に来るとは。
「レオくん」
「昼はもう食べたのか?」
「うん、食べたよ。レオくんは?」
「俺も食った。ここで何してるんだ?」
「うーん、空を見てボーッとしてる。」
「楽しいか?」
「楽しさは求めてないかなあ。」
「....お前が空を眺めていると本当に飛んでいってしまいそうだ。」
「人を何だと思ってるの?私は紙じゃないよ。」
「分かってるよ。例えだ。」
そう言いながらレオは隣に腰を下ろした。もっとうるさいタイプかと思っていたのだが隣にいる彼は意外にも静かだ。
「ピアノ弾くんだって?」
「うん、まあ....」
「なんだ、言いたくないのか?」
「なんか恥ずかしいじゃない。」
「そうか?聴いてみたいけどな。」
「もし機会があったらね。レオくんは楽器は.....」
「やらんな。」
「だよね。イメージと違う」
「姉貴がやってたけどな。よく発表会に連れて行かれた。」
「お姉さんいるの?」
「俺とそっくりのな。同族嫌悪だ。妹は可愛いが。」
「兄妹って不思議よね。近すぎてどうしていいか分かんない気がする。」
「お前もいるのか?」
「私は妹と弟がいるよ。」
「仲良いのか?」
「どうかなあ...弟はいいけど、妹の方は微妙かも。」
「性格的に?」
「あんまりにも似てないからかな。妹は愛嬌あるしね。」
「お前もあるだろ。」
「私のどこに愛嬌なんてあるのよ。」
「お前は十分可愛いと思うが。」
....これだから学園の王子様とやらは怖い。こうやって何人の女を落として来たんだ。
「.....眼科行く?」
「何でそうなる。お前自分が高嶺の花だって言われてるの分かってないのか。」
「全員おかしいんじゃないの。私はそこら辺の雑草よ。」
「....お前自己評価が滅茶苦茶だぞ。」
「何とでも言って。私は本と漫画で平和に生きてるから。あ、そうだ。」
いつもは1人で食べるのだが折角来てくれたからにはお裾分けしてあげよう。
「これ、食べる?」
少し高いが美味しいチョコレート菓子だ。屋上に来た時だけ食べる密やかなご褒美だった。
「食べるって....お前、誰に向かって言ってるか分かってんのか?」
「誰って....レオくん以外いないじゃない。」
「その菓子はうちの会社が作ってる菓子だ。」
「へ?そうなの?」
それはなんと間抜けなことをしたのだろう。なんだか恥ずかしくなってしまう。
「....好きなのか?」
「....屋上来る時だけの贅沢品なの。本当に美味しいよ。発案してくれた人に感謝しといて。」
「そう言っておこう。なんだ、好きならいくらでも持って来てやるのに。」
「それはダメ。」
「なんで?」
「こういうのは特別だから美味しいの。毎日食べたら有り難みが薄れちゃう。」
「何だよそれ....仕方ないな、ならこれから新作の味見はお前に頼むか。」
「ほんと!いいの!」
そんな役得、許されるのだろうかと思っても言葉は正直だ。
「なんだ、そんな顔できんのかよ」
そっくりそのまま返してあげたい程の優しい顔をしている。
「期待しとけよ。今度持って来てやるから。」
「うん、楽しみにしてる。」
溢れた笑顔に、レオの優しい目が残った。
顔が、赤くなってなかったか。
(まさかあんな顔するなんて思わないだろ...)
子供みたいな無邪気な顔。それもうちの菓子を気に入ってくれてるなんて。
チョコなんて分けてくれなくていいからあの顔をずっと分けていて欲しい。
「あれ、レオ顔赤いよ?」
「言うな。」
「何かあったの?セラと」
「そんな期待するようなことはない。ないはずだ。」
「なに、まさか笑顔見ただけでそんな顔になったなんて言わないでよ?」
「クシェル、黙れ....」
「学校一の色男がこんなに初心な顔するとは....流石は"高嶺の花"ってところかな?」
自分が、沼に落ちていく自覚があった。空を眺める横顔を綺麗だと思った。フラットに人も、物も捉える目は、レオにとって中々得られない物だった。妹の方が愛嬌がある。そう言った顔は少し傷ついていた。傷も含めて全部守ってやりたい――――
かつての女たちに湧いたことのない庇護欲が顔を出す。
『そこら辺の雑草よ。』
本気とも卑下とも取れるその言葉。俺にとったら。
やっと見つけたこの世に一輪の花だ。
あの日の後、レオは本当に新作らしいお菓子を持って来た。
「ほら、食べてみろ。」
柔らかいクッキー生地に硬いチョコ。絶妙な甘さでこれまたセラの好みを確実に突いている。
「美味しい.....!誰か制作担当に私の好みを知ってる人がいるの??」
「そんなわけあるか。....こんな顔が見れるなら毎日持ってくるのに。」
味わうのに夢中で最後の方は何を言っているのか聞き取れなかったがレオは嬉しそうだ。自分の会社のお菓子が喜ばれているのだから当然かもしれない。
「これ、ほんとに先食べていいの?私後でなんか請求されたりしない?」
「むしろ味見代を支払いたいくらいだな。もう一個いるか?」
「いる!」
何とも幸せだ。屋上で菓子を食べる時間がささやかな息抜きだったが、人がいても息抜きになるとは思わなかった。
「んー、美味しい。レオくんてもっとしんどいイメージだった。」
「?なんでだよ。」
「なんか...ごめん、偏見だ。思ったより楽だなってこと。」
「それならいいけど。お前こそ、誰にでもこんなに緩いのか?」
「いや?美味しい物食べると緩むよねえ。」
「酒でも飲んだみたいに....あんまり気抜くなよ。特に男の前で。」
「レオくん男じゃない。」
「俺はいいんだよ!他の男。簡単に手出してくるやつも多いんだから。」
「自分のこと棚に上げてない?」
「俺は合意の上でしか....っておい、言わせるな。」
「ははっ冗談だよ。心配してくれてありがとね。」
「はぁ.....ほら、最後食べろ。もうすぐ授業だろ。」
「うん。あ、でも味見ならちゃんとレポしなきゃだね。」
「お前のその反応が十分レポだから気にするな。」
「そう?」
美味しいお菓子は本当にお酒みたいだ。気が抜けて、ついつい喋ってしまう。レオはセラの言うことを否定しない。初日こそ少しイラッとしていたが、その後はあの優しいような困ったような顔でいてくれる。そのことに、どこか安心している自分がいた。




