追放された雑用係と神の休憩室
「リアム、お前は今日でクビだ」
ダンジョンの踏破を祝う酒場の喧騒の中、リーダーである勇者アレクサンダーの言葉だけが、やけにクリアに俺の耳に届いた。
俺、リアムはこのパーティ『深紅の流星』で、いわゆる雑用係を務めてきた。荷物持ち、野営の準備、料理、武具の手入れ、夜の見張り、ポーションの在庫管理……戦闘以外のすべてが俺の仕事だった。
「……え?」
「だから、クビだと言ったんだ。聞こえなかったのか?」
アレクサンダーは苛立たしげに金髪をかき上げる。その整った顔には、俺への配慮など微塵も浮かんでいない。
「どうして……ですか? 俺、何かミスをしましたか?」
「ミスとかそういう次元の話じゃない。お前は戦闘ができないだろう。お前がいるだけで、俺たちのレベルアップの効率が落ちる。もうお前のサポートがなくても、俺たちはやっていけるレベルになった。……いや、むしろいない方が強くなれるんだ」
その言葉に、パーティの他のメンバーも同意するように頷いた。
高火力の魔法を操る魔法使いのエリザは、つまらなそうに爪を眺めている。
「ごめんなさいね、リアム。でも、私たちも先を急いでるの」
パーティの盾である大柄な戦士ゴードンは、目を合わせずにジョッキの酒を呷るだけ。
「ま、そういうことだ。悪く思うなよ」
回復役の神官セラは、申し訳なさそうに眉を下げてはいるが、何も言わなかった。
誰も、俺を必要としていなかった。
俺が毎朝早く起きて朝食を準備したことも、夜遅くまで皆の武具を磨いていたことも、彼らの体調を気遣って薬草を調合したことも、すべては「効率」の一言で切り捨てられる程度のものだったらしい。
「これ、お前が管理してた鍵束だ。もういらないだろう。それと、これが今までの報酬の一部だ。餞別だと思って受け取れ」
アレクサンダーがテーブルに放り投げたのは、ずしりと重い鍵束と、したたるほどの金貨が入った袋。追い出す者にしては、気前のいい金額だったのかもしれない。だが、それは俺の心をさらに惨めにさせた。
俺は何も言い返せず、それらを掴んで立ち上がった。
誰一人として、俺を引き留める者はいなかった。
酒場の扉を閉めると、背後で再び陽気な笑い声が響く。まるで、俺という異物が取り除かれたのを祝うかのように。
こうして俺は、三年間尽くしてきたパーティを、あまりにもあっけなく追放されたのだった。
宿を引き払い、行く当てもなく街を彷徨う。
冒険者としての俺の価値は「雑用係」であり、戦闘能力は皆無だ。他のパーティが雇ってくれる見込みはないだろう。
日が暮れ始め、俺は公園のベンチに腰を下ろして、ため息をついた。手の中には、先ほど渡された鍵束が冷たく食い込む。様々な倉庫や宝箱の鍵に混じって、見慣れない一本の鍵があった。古びた、何の変哲もない真鍮の鍵だ。
ぼんやりと公園を見渡すと、茂みの奥に小さな小屋がひっそりと建っているのが目に入った。蔦が絡まり、壁はところどころ朽ちかけている。物置か何かだろうか。扉には、ちょうど俺が持っているような古いタイプの鍵穴がついていた。
何かに導かれるように、俺は立ち上がり、その小屋へと近づいた。
そして、まるで憑かれたかのように、手の中の古びた真鍮の鍵を鍵穴に差し込んでみた。
――カチリ。
驚くほど軽い音を立てて、錠が開いた。
ぎぃ、と軋む音を立てて扉を開ける。てっきり、中はカビ臭い物置だと思っていた。
しかし、俺の目に飛び込んできたのは、想像とはまったく違う光景だった。
外の古びた見た目からは信じられないほど、そこは清潔で、温かい光に満ちた空間だった。
部屋の中央には、柔らかな絨毯が敷かれ、その上には上質な木材で作られたテーブルと、ふかふかのソファが置かれている。壁際には暖炉があり、パチパチと心地よい音を立てて炎が揺らめいていた。部屋の隅には小さなキッチンがあり、棚には様々な種類の茶葉が収められた瓶が並んでいる。
呆然と立ち尽くす俺の目に、壁に掛けられた一枚のプレートが留まった。
【神の休憩室】
「……神の、休憩室?」
意味が分からなかった。だが、この空間が醸し出す不思議な安らぎに、俺は抗うことができなかった。追放されてから張り詰めていた心が、ふっと軽くなるのを感じる。
俺は吸い寄せられるようにソファに腰を下ろした。体が沈み込むような、極上の座り心地だ。
テーブルの上には、なぜかティーセットが一式用意されている。まるで、俺が来るのを待っていたかのように。
「……お茶でも、淹れてみるか」
独り言を呟き、キッチンに向かう。棚には「リラックス効果」「疲労回復」「集中力アップ」など、効能が書かれた茶葉がずらりと並んでいた。俺は一番ベーシックな「疲労回復」の茶葉を選び、手際よく紅茶を淹れた。長年の雑用係としての経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
温かい湯気の立つカップを手に、再びソファへ。
一口飲むと、芳醇な香りが鼻に抜け、優しい甘みが口の中に広がった。今まで飲んだどんな高級な紅茶よりも、格段に美味しい。
そして、紅茶が喉を通り過ぎるたびに、体の奥からじんわりと疲労が溶けていくのが分かった。
「はぁ……なんだか、体が軽い……」
気のせいではなかった。明らかに、体力が回復し、思考がクリアになっていく。まるで、高ランクの回復ポーションを飲んだかのようだ。
これが、この部屋の力なのだろうか。
紅茶を飲み干し、カップを置いた俺は、追放された時のことを思い出していた。
悔しさと、悲しさと、虚しさが再び胸にこみ上げてくる。
「ちくしょう……なんだってんだよ……」
思わず、愚痴がこぼれた。誰もいないこの空間だからこそ、素直な気持ちが口をついて出る。
「アレクサンダーの奴、いつも無茶な突撃ばっかりで、俺がどれだけヒヤヒヤしながら回復アイテムの準備をしてたと思ってるんだ……。おかげで、あいつの攻撃パターンなんて全部覚えちまったよ」
「エリザだってそうだ。MPの管理が甘すぎるんだよ。いっつもここぞという時にガス欠になるから、俺がエーテルをどのタイミングで渡すか、必死で考えてたってのに」
「ゴードンも、もっとスタミナ配分を考えろってんだ。大振りが多すぎて、すぐバテる。だから俺が食事で体力増強の工夫をしてたんだろうが……」
「セラも……いつも無理して気丈に振る舞ってたけど、本当は精神的に脆いんだ。だから、夜はゆっくり休めるように、俺が見張りを代わってたんじゃないか……」
次から次へと言葉が溢れ出す。
それは、彼らを貶めるための悪口ではなかった。ただ、分かってほしかった。俺が、どれだけ彼らのことを考え、サポートしてきたか。その事実が、誰にも認められずに終わってしまったことが、ただただ悲しかった。
ひとしきり愚痴を吐き出すと、少しだけ気分が晴れた。
俺はソファに深く体を預け、暖炉の炎を眺めながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
一方、リアムを追放した『深紅の流星』は、かつてないほどの不調に陥っていた。
「おい、ポーションはまだか!」
「ご、ごめんなさい! 在庫が……もうないみたい!」
ダンジョンの奥深くで、セラの悲鳴が響く。ゴードンがモンスターの痛撃を受け、深手を負っていた。いつもなら、リアムが絶妙なタイミングで回復薬を投げてくれる場面だ。
「クソッ! なんでこんな時に限って在庫がないんだ!」
アレクサンダーが悪態をつく。ポーションの管理は、追放してからはエリザが担当していた。しかし、彼女は戦闘で使う魔導書や触媒の管理で手一杯で、消耗品の在庫まで気が回っていなかったのだ。
「私のせいじゃないわよ! リアムみたいに、何でもかんでもできるわけないでしょ!」
「うるさい! 言い訳するな!」
パーティの雰囲気は最悪だった。
リアムがいなくなってから、すべてが上手くいかなくなっていた。
朝は、ぱさぱさの固いパンと干し肉をかじるだけ。リアムが作ってくれた、温かくて栄養バランスの取れたスープが恋しかった。
武具は手入れが行き届かず、ゴードンの愛剣にはうっすらと錆が浮き、エリザのローブは泥で汚れ放題だった。
夜の見張りは当番制になったが、誰もが疲労を隠せず、翌日の戦闘に支障をきたしていた。
さらに、不可解な現象が彼らを襲っていた。
なぜか、アレクサンダーの剣筋が鈍り、クリティカルヒットが全く出なくなった。
エリザの魔法は、時折不発に終わるようになった。
ゴードンは、以前にも増してすぐに息が上がるようになり、自慢の剛腕を振るえなくなった。
セラの回復魔法は、効果が半減しているように感じられた。
彼らはまだ知らない。
それらの不運が、遠く離れた街の公園の小さな小屋で、一人の男がこぼした愚痴によってもたらされていることなど、知る由もなかった。
「もう限界だ……。一度、街に戻ろう」
アレクサンダーは、苦渋の決断を下した。
かつて、リアムがいた頃には考えられなかった、ダンジョン攻略の途中撤退だった。
彼らの心には、初めて「後悔」という二文字が、重くのしかかっていた。
俺が「神の休憩室」の主となってから、一週間が経った。
毎日、休憩室で様々なお茶を楽しみ、のんびりと過ごす。それだけで、俺の身体には絶え間なく力がみなぎり、コンディションは常に最高潮を維持していた。これが、休憩室がもたらす「バフ」の効果なのだと、俺は気づき始めていた。
時々、元仲間たちのことを思い出しては愚痴をこぼしたが、それも最初の数日だけ。穏やかな時間を過ごすうちに、彼らへの怒りや悲しみは、不思議と薄れていった。
この小屋は、どうやら俺にしか入れないらしい。何度か他の人が扉を開けようとしているのを見かけたが、びくともしないようだった。この鍵が、俺を選んだのだろうか。
そんなある日、街で冒険者たちの噂話を耳にした。
「おい、聞いたか? あの『深紅の流星』が、格下のダンジョンで半壊したらしいぜ」
「ああ、なんでも連携がガタガタで、リーダーの勇者も大怪我を負ったとか」
「雑用係を追い出した途端にこれだ。笑えるよな」
その言葉に、俺の心はざわついた。
あんなに自信満々だった彼らが、半壊?
俺を追い出した罰が当たったのだと、笑うべきなのかもしれない。だが、俺の心に湧き上がってきたのは、ざまぁみろという感情ではなく、純粋な心配だった。
三年間、苦楽を共にした仲間だ。どんなに酷い仕打ちを受けたとしても、彼らがボロボロになっていると聞いて、胸が痛んだ。
俺は休憩室に戻ると、棚から一番効果の高い「完全回復のハーブティー」を取り出し、水筒にたっぷりと淹れた。
そして、鍵束からもう一本、別の鍵を取り出す。それは、彼らが挑んでいたダンジョンの隠し通路を開けるための鍵だった。俺が管理していたから、俺だけがその存在を知っている。
「……お節介、だよな」
自嘲しながらも、俺の足はダンジョンへと向かっていた。
隠し通路を使い、ダンジョンの深部へと進む。
血の匂いを頼りに進んだ先で、俺は彼らを発見した。
壁を背に、全員が満身創痍で座り込んでいる。アレクサンダーは肩から血を流し、エリザは魔力欠乏でぐったりとしている。ゴードンは盾を失い、セラは涙を流しながら、効果の薄い回復魔法を唱え続けていた。
「……みんな」
俺が声をかけると、四人が弾かれたように顔を上げた。
その顔には、驚きと、困惑と、そしてわずかな安堵の色が浮かんでいた。
「リ、リアム……? なぜ、ここに……」
か細い声で尋ねたのは、アレクサンダーだった。
俺は彼らの前に歩み寄り、水筒を差し出した。
「話は後だ。とりあえず、これを飲んで休んで」
俺の言葉に、誰もが戸惑っていた。
そんな彼らに、俺は構わずカップにハーブティーを注いで手渡していく。
「さあ、温かいうちに」
最初に口をつけたのは、一番消耗の激しかったセラだった。
一口飲んだ瞬間、彼女の目が大きく見開かれる。
「こ、これは……! 体の奥から、力が……!」
その言葉に促されるように、他の三人もハーブティーを飲み始めた。
すると、みるみるうちに彼らの傷が癒え、顔色に生気が戻っていく。まるで、時を巻き戻したかのように、全員の体力が全快していくのだ。
「す、すごい……どんな高位ポーションよりも効果があるぞ……」
ゴードンが目を見開いて驚いている。
「リアム、これは一体……」
アレクサンダーの問いに、俺は静かに首を振った。
「いいから、今は休め。君たちは、休み方が下手すぎるんだ」
俺は戦闘には参加しない。代わりに、今まで培ってきた知識と経験で、彼らに的確な指示を出した。
「アレクサンダー、敵の攻撃パターンは三つだ。二回目の突進の後に大きな隙ができる」
「エリザ、あそこの岩陰なら魔力が溜まりやすい。少し休んでから最大魔法を」
「ゴードン、盾がないなら無理に庇うな。回避に専念してくれ」
「セラ、回復はゴードンを優先して。アレクサンダーはまだ耐えられる」
俺の言葉に、彼らは素直に従った。
そして、立て直した『深紅の流星』は、嘘のように安定した戦いぶりで、残りのモンスターを掃討し、無事にダンジョンを脱出したのだった。
街に戻った後、アレクサンダーたち四人は、俺の前に並んで深々と頭を下げた。
「リアム……すまなかった。俺たちは、お前の重要性を全く理解していなかった。どうか、もう一度パーティに……」
アレクサンダーの言葉を、俺は手で制した。
「もういいんだ、アレクサンダー。謝罪は受け取る。でも、パーティには戻らない」
「……そうか」
彼らは、それ以上何も言えなかった。
俺は彼らを、あの公園へと連れて行った。そして、例の小屋の前で立ち止まる。
「僕には、新しい仕事ができたんだ」
そう言って、俺が真鍮の鍵で扉を開ける。
中から、温かいオレンジ色の光と、心地よいお茶の香りがふわりと溢れ出した。
四人は、小屋の中の光景を見て、息を呑む。
「この部屋はね、『神の休憩室』って言うんだ。本当に頑張っている人が、少しだけ羽を休めるための場所みたいなんだ」
俺は微笑んで続けた。
「この鍵が僕を選んだ理由は、多分、僕が誰よりも『休むこと』の大切さを知っていたからだと思う。そして、頑張っている人を『休ませてあげたい』って、ずっと思ってたからかもしれない」
力だけを信じ、効率だけを追い求め、休息を疎かにしてきた彼らには、耳の痛い言葉だっただろう。
アレクサンダーが、悔しそうに顔を歪めた。
「俺たちは……間違っていた。力があれば、休息なんて不要だと思っていた。だが、本当に強くなるためには、正しく休むことが必要だったんだな……。お前が、ずっとそれを俺たちに与えてくれていたのに」
「だから、もうパーティには戻らない。ここが僕の新しい居場所だ」
俺はきっぱりと言った。そして、少し悪戯っぽく笑ってみせる。
「でも、君たちが本気で疲れて、どうしようもなくなったら、またおいでよ。とびきり美味しいお茶くらいなら、いつでもご馳走するからさ」
その言葉に、四人の顔がぱっと明るくなった。
彼らは、自分たちの冒険の仕方が間違っていたことに、ようやく気づいたのだ。
後日、『深紅の流星』は活動方針を大きく改めた。無茶なダンジョン攻略はせず、必ず十分な休息を取るようになった。すると不思議なことに、以前よりも安定して、効率的に成果を上げられるようになったという。
そして、彼らが本当に疲れ果てた時には、決まってあの公園の小屋を訪れる。
「やあ、いらっしゃい。今日はどのお茶にする?」
俺は『神の休憩室』の管理人として、今日も頑張る冒険者たちを、最高の一杯で癒やし続ける。
追放から始まった俺の新しい日常は、思ったよりもずっと、ほのぼのとしていて、温かいものだった。
こちらのチャンネルで短編作品が朗読動画として公開予定となっています!
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