瑪瑙の館
*
とある日、リオンの元に依頼が舞い込んだ。これがなかなか厄介なものだった。リオンは村の人々に、一応村の見回り役のように思われていた。実際間違っていない。リオンはアケボノ村の秩序を守るためと、例の錬金術師の調査のためにここにいる。
そしてその立場ゆえか、依頼が来たのだ。娼館で殺人事件が起きているから、犯人を始末してほしいと。
娼館はこの村では何軒かあった。依頼が来たのは「瑪瑙の館」という店だ。まだ被害は出ていないが他の店では既に五人が殺されていると。とりあえず犯人の情報を抑えなければと聞き込みをしているうちに、なんとなくチカゲの話題になり、女の人から彼が昔通っていたと聞いてしまった。知りたくなかった情報だ。リオンはしょぼくれた。そりゃ二十七の男なら通っていておかしくないだろう。でも切なさとやりきれない思いが胸を満たしただけだった。まだ通い続けているのかと暗に尋ねれば、最近は見かけないが分からないとしか帰ってこなかった。
そんなことをしているうちにだんだんリオンは吹っ切れてきた。彼にとってはこんな小娘どうってことなかったのだ。そりゃ反応にも困るわけだ。
次会ったら少し娼館通いのことをつついてやろうかと思った。
だが残念ながら、次の見回りの日にはチカゲはいつもの場所にいなかった。少し早めに来てしまったせいかもしれないが、もしかしたら先日のことが気まずくて現れるのをやめたのかもしれない。リオンは落ち込んだものの、なんなら出てくるまで待ち続けてやろうかなと思うぐらいにはなっていた。
やけ食いのように昼飯のおにぎりを食べていると、ダリウスが通りがかった。
「あ、リオンか。なんだその食べ方は。喉につまらせるぞ」
「ご心配なく――けほっこほっ」
お手本のようにむせるリオンを見てダリウスが呆れた顔をした。なりふり構わなくなってきたリオンは、水筒から水をがぶがぶ飲んだ。
「はあーっはあっ。ほらもう大丈夫」
困惑した顔をされた。それはそうだ。
「大丈夫かよ。ヤケになってるんじゃねえの? あれからチカゲに相談すると言ってたな。――言っちゃ悪いが、その、」
「はいご想像の通り玉砕です」
ご想像の通り半ばヤケになっているリオンは言った。
「わたし失恋して傷心中なんです。でも考えてるのも阿保らしくなってきました。あの人娼館通いとかしてたんですね」
「おいおい失恋したからって身辺調査はほどほどにしとけ。プライバシーってもんがあるだろ」
「そうだけどそうじゃなくて。わたしだってこんなこと知りたくなかったし。娼館で殺人事件が起きてるって話がありましてね。――犯人を殺してほしいとの依頼が入ったんです。聞き込みしてるうちに知っちゃったんですよ」
ダリウスが青ざめた。
「ええっと、娼館で? 犯人を殺すってその、まさかとは思うが」
「人相はわかってます。やり口も調べたので。先払いの店ではきちんと払うんだそうです。で次の朝妓女の遺体だけが見つかって、本人はいなくなってるんだとか。問題は次にどこに現れるか分からないこと。で、依頼してきたのはとある娼館の女将です」
リオンは立て続けに喋った。なんとなくヤケになったまま。
たださすがに娼館の情報は喋らなかった。「瑪瑙の館」という娼館の女将が依頼主だ。妓女達が殺しを怖がっていて、仕事にも支障が出るとのことだった。
「依頼人もわたしも理解しています。確実に殺すためにはわたしが潜入して指名されるのが一番です」
「ば、馬鹿言うんじゃねえよ! お前まだ十六だぞ?」
「も、もっと早い歳で客を取っている方もいると聞きましたが?」
ちょっと声が震えそうになるのを堪えた。なんとか凛と言い切ることができた。仕事だ、相手は自分を抱こうとするかもしれないが、人相は分かっているのだからその前に殺してしまえばいい話だ。それならどうにかなるとリオンは確信していた。
一方でダリウスはやはり顔色を失っていた。
「本気か?」
「本気です。ダリウスさん色々な物を売っていますよね。口紅もあったはずです」
「…………」
「売ってください」
別に他の店にだって売っている。そもそも娼館で貸して貰えばいい話。でもここで買ってしまえばいい。その方が覚悟がつくから。
立ち尽くした彼の背後から、静かにチカゲがやってきた。平静を装っているようだったが、どこか顔が強張っていた。
「それはアナタがやらねばならない仕事なのですか?」
「わたしの仕事は、――ええ、そうです。誰かさんの監視と、この村を守ることです。この仕事はわたしが適任です」
「やめてください」
珍しく真剣な声でチカゲが言った。
「危険すぎます」
「チカゲさんわたしの剣の腕知ってますよね? 依頼人は人相書きを持っています。相手をするフリしてその前に殺しちゃえばいいだけです」
「やめろと言ってるんです!」
険しい声で彼が言った。
「そんな男別の場所で探して殺せばいい話じゃないですか。ワタシが探します」
「チカゲさん」
リオンは真剣な目になって言った。
「被害者は五人ですよ、五人。それに昼間は身を隠してるらしいし。流暢なことしてる間にまた一人誰か殺されるかもしれないんですよ」
彼は言葉を失った。
リオンはダリウスに向き直った。
「さ、ダリウスさん、口紅を売ってください」
「嫌だ。そんなことのために売りたくはねえ。お前を――娘のように思う時だってある。心配する俺の気持ちがわからないか?」
真剣なダリウスの声音に、少しだけ救われた気がした。だがそれとこれとは別だ。
「ありがとうございます。でもわたしじゃなきゃこの仕事は務まりません」
「ワタシが行きます」
なぜかチカゲが告げた。
「ワタシが用心棒としてついて行きますから」
「依頼人の方から男は来させるなと言われてあります。犯人に警戒されるので」
「なら女になります」
頑なにチカゲが言った。意味が分からなかったが、彼は続けて言うのだった。
「ワタシが女のフリすれば問題ないでしょう。アナタがどうしてもやると言うならワタシもついていきます」
リオンは少し絶句したが、ダリウスは複雑な顔をしていた。
「チカゲ、それはまあ――お前なら女装してもバレなさそうだけど、いや……俺は正直、お前ら二人とも危ない目に遭ってほしくないんだよ」
リオンは少しだけ困ったが、真剣にダリウスを見た。これは真面目で危険な仕事だった。
「なら尚更です。チカゲさんを巻き込むつもりはありません。一人でやれます。口紅ありますよね? 売ってください」
「いいえワタシに売って下さい」
ダリウスが非常に嫌そうな顔をした。
「ダリウスさん」
声が被る。リオンはチカゲを睨んだし、チカゲはリオンを睨んだ。
「あー分かった分かった。勝手にしろ。半額で二人に売ってやるよ。あーあ、サイアクな気分」
ダリウスは仕方なさそうに口紅を売った。
「面倒見てきた子ども二人を売り飛ばすような気分だよ」
リオンはそこまで心配してくれることを、少しだけ嬉しく思った。
一方のチカゲは相変わらずであった。
「アナタの子どもになった覚えはありませんが?」
「俺が勝手にそう思ってるだけだから。今も反抗期の息子見てる気分」
「やめて下さい。ワタシの家族はとうに死んでいます。父親ヅラしないで下さい」
「そうだな、お前の家族ヅラしていいのは、ツクヨミ様とやらだけだったな。まあなんでリオンをそこまで気にかけるのかは知らないが」
ぐっとチカゲは言葉に詰まった。
「……口紅ドーモありがとうございます」
「あっそ。こちらこそお買い上げどうも。嬉しくないけど」
言いながらダリウスは二人をそれぞれ見た。
「……お前らほんとに気をつけろよ? 俺既に後悔し始めてるんだけど」
彼はやさしい人だ。改めてリオンは思い、微笑んで告げた。
「ご安心を。わたし刀には自信がありますので。大丈夫ですよ」
そう告げても、ダリウスはひたすら心配の目を向けてくるだけだった。
*
その日、リオンは明るいうちに「瑪瑙の館」へと向かった。一人で行くと行っているのに、チカゲは勝手に着いてくる。まあ心配してくれているのだろうが、彼を巻き込みたくはないのだ。
「帰って下さい。わたし一人で平気です。刀があるんですよ」
「万が一という言葉を知らないのですか?」
「あなたは大人しく客でもしてればいいんですよ」
心にもないことを言ってしまうが、チカゲは眉を顰めただけだった。
「はあ、今そんな気分になれるとでも?」
結局チカゲを追い払うことはできなかった。二人は裏口からその娼館に入った。「瑪瑙の館」は村でも中堅くらいの館だ。
中は小綺麗な木造の屋敷だ。廊下にすら灯籠が置いてあって、夜には艶やかな雰囲気になることは間違いなかった。
リオンは聞かない方がいいと分かっていても、聞かずにはいられなかった。
「……ここに来たことは?」
「他の場所は何軒かありますが、ここはないですね」
「そうですか」
他の場所はやっぱりあるんだ。リオンは勝手に落ち込んだ。
「な、何度くらい?」
「……さあね、両手で数え切れるくらいですかね」
多くて十回くらいということか。リオンはやっぱり落ち込んだ。
「さ、最近は、い、いつ行ったんですか?」
「はあ? いい加減無粋じゃありませんかアナタ」
「無粋でもなんでも。そ、そもそも着いてくるなと言ったのにっ」
「――はぁ、最近ですか。記憶にあるのは二年前くらいが最後です」
「そ、そうですか」
なぜかほっとしてしまった。良かった、とため息をつけばチカゲはなぜか真顔になってしまった。
「なんなんですかアナタは」
「す、すきな人が、どれくらい、その、……そういう経験あるのか気になるじゃないですか」
「…………。ない方がよかったですか?」
「うん」
子どもみたいな返事をしてしまった。チカゲは少し困った顔をした後、肩をすくめただけだった。
「おあいにくさま。ワタシはアナタの恋人じゃないので。――また気が向けば行くでしょう。ま、もう飽きましたけど」
「あ、飽きた……?」
「通っていた時は、何か得られるものがないかと探していたんです。ここは美しくて……はりぼてのような場所ですよ」
リオンには意味がはっきりとは分からなかった。語るチカゲが自分より大層大人に見えたが、ダリウスは彼を子どものように言う。より一層チカゲという人間が分からなくなってきた。
「え、得られる、ものとは?」
「さあね。ツクヨミ様が亡くなったのは随分昔です。心に穴が空いた気分でしたよ。――それからあちこち放浪した挙句、色々試しました。酒も葉巻も。葉巻は身体に合いませんでした。酒は一時の間何もかも忘れられます。それだけです。美味しさを教えてくれたのはダリウスさんでした。でも空いた穴は埋まりません。娼館へ通っても、何をどうやっても」
「……その穴を、埋める物を探しましょうよ」
「は?」
チカゲの目に焔のようなものがちらついた。
「ツクヨミ様に代わる存在などこの世にはない」
「そ、そんなの探さなきゃ分からない――」
「探したんですよ、これ以上ないほどに! 見つからないんだ!!」
怒鳴るチカゲの目は殺意に満ちいている。普通じゃない時があるとダリウスが言っていたが、今がそうだ。それほどの人物――ツクヨミに会ってみたかったとリオンは思う。でももう彼はいない。
「ちょっとやだー。まだ明るいのになんで男がいるのよ」
チカゲの怒鳴り声を聞きつけたのか、一人の妓女らしき女がやってきてこちらを見た。
「そっちの子は男の子? んー、もしかして女の子?」
「あ、わたしリオンといいます。女将さんに話は通ってるはずです」
「ふうん、女の子なの。ちょっと待ってなさいね」
そう言って妓女が引っ込むと、少ししてから中年の女性が出てきた。女将だった。
「ああ、あなたがリオンね。来てくれてありがたいのだけど――男性同伴は禁止と伝えたはずよ」
「ごめんなさい、この人言うこと聞かなくて――」
「この人呼ばわりですか。ま、いいです。男なのが問題なのですよね? 女になれば問題ないでしょう?」
チカゲが口紅を取り出して見せれば、女将は少しだけ困った顔をした。じろじろとチカゲを見る。
「あー、なるほど。あなたならなれそうだけど――でも一人で十分かと」
「相手はすでに五人殺してると聞きました。念のためです」
珍しく真剣な声音に、女将は何か勘違いしたような目を向けた。
「……まあいいでしょう。賃金は変わらないわよ?」
構わないですよ、とリオンは伝えた。この男は勝手に着いてきただけだ。
かくして、二人は別々の部屋に通された。リオンは妓女の一人に慣れた手つきで着替えさせられ、美しい着物を着せられた。ただ露出も多く化粧もどこか艶のあるものだ。鏡台の前の自分が別人のように見えた。本当は着飾ってみたいという願いは前からあった。でもこんな形は正直嬉しくない。