商人ダリウス
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ダリウスは少しだけうんざりしていた。というのもチカゲとはそこそこの付き合いであったし、リオンともよく話す間柄であるが、見るたびに彼らは喧嘩しているようだったから。痴話喧嘩とかならまだ良かった。どうもそうではないらしい。
チカゲは見目のいい男だ。よく村で女に話しかけられて、美しい笑みで対応しているのを見かけることがある。まあ貼り付けたような笑みなのだが、彼女らがそれに気づくことはそうそうない。リオンは付き合いがそこそこあるためか、それに気づくらしかった。
チカゲはよく森で錬金術の材料を探しているようだったが、村周りの見張りを任されているリオンと活動範囲が被るのだ。そう言うわけで、リオンが派遣されてきたのは四ヶ月前だが、二人が会話をしている場面はそこそこみかけたことがある。最初は他の女にするような対応をしていたチカゲも、なんとなく素の部分を見せるようになった。これがまた厄介なものだった。
チカゲは基本的に人間を信用していない。詳しいことは分からないが、昔大事な師匠を亡くしたらしい。そのせいか性格がだいぶ捻くれている。そして嫌なら関係を断てばいいものを、リオンの相手をしているのは、何か企んでいるように見えるのだった。実際、チカゲは残念ながらそういう男だった。
「お前、リオンになんの目的で近づいてる」
「はあ? なんのことか分かりかねますが」
「すっとぼけても無駄。最初俺に仲良くしましょーとか言ってた時、俺を鑑定屋か何かと勘違いしてただろ。違うと知った時のあの落差。まあ俺はいいけどね、嬢ちゃんに何か下心があって近づいてるなら怒るぞ」
「下心って、つまりあんなことやこんなことですか?」
「違うだろ。お前何か企んでる。そういう顔してる」
「ひっどいですね。ワタシ顔だけはいいと言われるのに」
そう言いながら、チカゲが自分の目が嫌いだとぼやいていたのをダリウスは聞いたことがあった。チカゲはなぜか、接しているうちにダリウスには多少本心を話してくれるようになったのだ。
アケボノ村には様々な人間がいるが、彼の故郷の遠い村では、赤い目が気味悪がられていたそうだ。そのせいで、自分の目が嫌いなのだと。顔がいいと自負しているらしいが、その一方で彼は他人だけでなく、自分自身すらも嫌っていた。彼にとっては顔さえも他人と接する時の利用手段に過ぎないらしかった。
ダリウスは目を細めた。
「――お前、嬢ちゃんに故郷について尋ねたそうだな。もしかしてお前の故郷とリオンの故郷、同じなのか?」
「なわけないでしょう。彼女は唯一の生き残り。銀竜村は幻想を追い求める者の浪漫ってだけです。まあ本人に言ったらシバかれそうですが」
相も変わらず、チカゲはつまらなそうな顔をしていた。ダリウスは静かに彼を見る。
「嬢ちゃんを傷つけるなよ」
「ワタシには関係ないことです」
「何があったのかは知らない。他人に傷つけられたからと言って、それを他人にしていい理由にはならない」
「っ、そんなことは一言も言ってない!」
怒鳴るチカゲは珍しい。通りの人が不思議そうに二人を見てはいそいそと去っていく。チカゲがこほん、と息をついた。
「まあとにかく、アナタは勘違いしてますよ。あの娘はね、ワタシを監視してるんです。それとなく錬金術の内容について聞かれますからね。おそらくあっちの王、なんて言ったかな、アーノルドから派遣された警備隊ですから、この村だけでなくワタシの身辺調査をしてるんでしょう」
「もしそれなら関係を断てばいい話だ。いつものお前ならそうするだろ?」
ダリウスはチカゲとはもう四年の付き合いである。彼が他人に深入りされる前にばっさばっさと人間関係を切ってきたのは当たり前のように見てきた。切られてないのは自分と――最近来たリオンぐらいである。
「あの娘に何か仕返しでもしたいのか? やめておけ。傷つけるなら離れろ」
「アナタに指図される謂れはないんですが。なぜそこまでリオンさんを庇うんです?」
「年端もいかない少女が、こんな小さな村に派遣されて、懸命に刀を振るってるんだ。村人のために。あいつはいい子だ。心配しない方がおかしい」
「アナタはお人よしなんですよ。でもそれなら、ご心配には及びません」
チカゲはにっこりと笑った。
「ワタシは彼女とオトモダチになりたいだけでーす。仲良くしたいのでご心配なく。それでは!」
そう言ってにこにこしながらどこかへ行ってしまった。明らかに何か良くないことを考えている。だが彼の考えていることなんて、ダリウスには微塵も分からない。ただため息をついて荷物をまとめる作業に取り掛かるより他になかった。
*
リオンは部屋で髪を梳いていた。頭に浮かぶのはあの腹立たしい男のことだった。彼の真名を知られれば何か違うのだろうか。そう思ったが分からないものは分からなかった。
東雲大陸の住人は、特別な力というか、本能のようなものがある。生まれ持って授かったもの。それは名前を呼ばれた時、本質を呼ばれているかどうか分かるものだ。
親は子に、例えば凛音というように文字をつける。そして発音だけが一般社会で使われる。リオン。人々は自分をそう呼ぶ。凛音は言い換えれば真名なのだ。
信用した相手には真名を教えることが多い。恋人や家族がその例だ。母はよくリオンを凛音と呼んだ。呼ばれると分かるのだ。そこには確かな愛がこもっていた。父も同じだった。リオンは母も父も大好きだった。あの村で起こった惨劇も思い出すと、気がおかしくなりそうになることもある。だから思い出すのは、基本的にやさしい思い出だけにしている。
それが心を保つ方法だ。
――凛音、わたしのかわいい凛音。
生きていたら、まだ母は髪を梳いてくれただろうか。リオンは今年十六になる。髪を梳いて欲しいなんて子どもっぽいだろうか。でも想像するくらい許されるだろう。
それに今は充実している。すべてを失ったあの頃とは違って。
リオンは畳の床に仰向けに寝転がった。黒髪が乱れて広がる。
木造の天井を見つめた。
――――チカゲさんの真名はなんだろう。
当て字をすることはいくらでもできる。でもそんなのは意味がない。なぜ知りたいんだろう。ああそうだ、知ったらきっと、あの錬金術師の心を開くことができて、秘密を探ることができるから。――いいや、違う。
リオンはただ知りたかった。チカゲの本心を。何を考えているのか分からないのに、胡散臭い笑みが好きではないのに、なぜか知りたいと思った。