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呪(まじな)いと幼子(おさなご)

リオンは不気味な暗い岩山のそばをチカゲと共に進んでいた。

「さっきのひしゃくのお化け怖かったね」

「そうですね――まあ人間の方が余程怖いですが」

生真面目な声でチカゲが言うのでリオンは言葉に詰まった。その気持ちはまあ分かる。

過去にリオンは恐ろしい人間達を見てきた。チカゲも見てきたのだろうけれど、聞けなかった。



しばらく歩いていると、岩陰の途中から光が漏れているのが見えた。

「ここ……洞窟になってますよチカゲさん!」

「……隠れ家にはもってこいでしょうね」


「隊長達との合流を待つべきで……チカゲさん?」

気づけば彼は煮えたぎった瞳で、焚き火の上に吊るされた黒い鳥を見ていた。恐らくクロサギだ。

「またあんな真似を……」

赤い瞳がぐらぐらと揺れている。珍しいことだ。

クロサギは鳥の姿のまま逆さ吊りにされて、呻きながらぽたぽたと涙を落としていた。

「チカゲさん待っ……」

リオンが止める間もなく、チカゲは岩陰から岩陰へ、移るようにして焚き火に忍び寄り、クロサギを抑えて縄を切った。

「あ、あんた……」

「ワタシのせいですか?」

「え」

「ワタシが逃げたせいで吊るされていたのかと聞いています」

リオンは用心深く辺りを見回しながら、チカゲ達に近づいた。

クロサギは呆気に取られていたが、慌ててチカゲの手から離れると近くの岩の上に止まった。

「あんたのせいで罰を受けたのは、ええと、結構前の話で、この前は皿を割った罰、今回は俺が式神に気づけなかった罰」

「細かい罰則があるんですね」

冷たい瞳でチカゲが言う。

「そ、そうなんだ。酷いよね? シラサギは食らったことないんだぜ。ああでも俺が不出来なせいで……」

「だあれと話してるのクロサギ?」

割って入った声音にヒッとクロサギが声を上げる。洞窟の奥に、蝋燭に囲まれてビワが立っていた。資料の山が置いてある。隣には美しい羽の生えた白髪の女もいる。シラサギだ。

「クロサギ、君は僕の眷属だ。逃げられやしないんだよ。さあ戻っておいで」

「い、い、いやだ!」

「どうしてシラサギはいい子なのに、君は反抗的なの? 悪い子にはお仕置きするよ?」

クロサギは半泣きでビワの肩に飛んでいき、降り立った。

「いい子だ」

その喉元をビワが撫でる。クロサギはガタガタと震えていた。

リオンも流石に頭にきた。チカゲも何か思うところがあるらしく、珍しく憎悪の目を向けている。


「君ら、よくここを見つけたね。……式神を飛ばしたお仲間がいるはずだ。――シラサギ、そいつらの相手をしてやれ」

「かしこまりました、ビワ様」

途端にシラサギが白い鳥の姿になり、洞窟の外に飛んでいってしまった。


「これで増援は諦めた方がいい。さてと、チカゲにリオン――久しぶりだね? チカゲ……もしかして戻ってくる気になったの?」

先に刀を抜いたのはリオンだった。

「あなたにされた仕打ちは覚えています。わたしを庇ってチカゲさんが酷い怪我を負ったことも」

「ああ、あれか。あの時は馬鹿な選択をしたねチカゲ? 君の目的と僕の目的は一致している。そう睨まないでくれるかな。こちらへおいで。賢者の石を完成させるには君の技術が必要なんだよ」

チカゲが苛々したように目を細める。ビワはさらに告げた。

「君がクロサギに執着する理由もなんとなく分かった。ほらこれ」

ヒラヒラと緑の本をビワが振る。途端にチカゲの目つきが変わった。

「それは……!」

「あの日、火事の中から唯一持ち出した本。君が大切そうにしてたからね。ツクヨミ様とやらの日記だ。まあ色々書いてあるね」

「よくも……!」

「小さい時に友達にしていたカラスを殺されたって? それとこのお馬鹿な使い鳥を重ねているのかな?」

「黙れッ、その本を返せ……!」

「おいでチカゲ。こちらにくればいつでも返してあげるよ」

ビワが手を差し出した。リオンはハッとする。チカゲの目が揺らいでいたから。

「僕と手を組めばツクヨミ様にもう一度会える。必ずだ。約束する。必ず会わせてあげる」

一歩、踏み出したチカゲにリオンは叫んだ。

「チカゲさんだめ!」

「黙れ小娘!!」

ビワがナイフを投げてくる。リオンは間一髪でそれを避けた。恐ろしい相手だ。

「クロサギ? ガタガタ震えてないでその娘をなんとかしろ。できるだろう?」

「び、ビワ、いやだ」

「ご主人様に敬語も使えないのかこの出来損ないが! いいから早くしろ!」

クロサギは肩から降りると人の姿になり、リオンを見た。その背には黒い翼が生えている。

「リ、リオンごめん」

途端に突風が吹いてきて、黒い羽が矢のように飛んできた。一瞬瞳を見開いたリオンは、しかし素早く刀を抜き放ち、次々と羽根を防ぐ。カチンカチンと羽根が当たっては落ちていく音。

しかしこれでは前に進めない。


突風の向こう――黒い羽根の降る先で、チカゲに手を伸ばすビワの姿が見える。

「さあおいで、哀れなチカゲ。君は寂しくてたまらないんだ。なぜなら君は誰も信用していないから。できるのはツクヨミ様だけ。そのツクヨミ様をこの世界は奪った。憎いだろう? 悲しいだろう」

チカゲがどこか奥歯を噛み締めるようにして言った。

「あの方の日記を……返してください」

「こっちへくれば返してあげる。日記だけじゃなく、生者として。――その手伝いをして欲しいだけなんだ。君が必要なんだよ。行き場もないだろ? 僕は君を必要としてあげる」

「利用されてるだけです!!」

黒い羽根を捌きながら必死にリオンは叫んだ。

「ついて行っちゃ駄目!!」

「ワタシは……ワタシは、」

チカゲはぐっと赤い瞳でビワを睨んだ。

「アナタのやり方が気に食わない! でもアナタしか頼れる相手がいない!」

「ああ、ああそうだね! 可哀想に! 君のことを誰も理解してくれない! うんざりだよね? 僕なら理解してあげられる。君の辛さも悲しみも」

チカゲの目がやっぱり揺らいだ。迷子の子どもみたいな目をしていた。

「アナタが嫌いだ。でもツクヨミ様に会うには、アナタを頼るしか……」


恐れていたことが起ころうとしている。リオンはクロサギに叫んだ。

「クロサギやめて! あなたを殺したくない!」

ビクッとして攻撃が弱まった隙をつき、リオンは羽根を捌きながらチカゲの元へと駆け寄った。

そして後ろから羽交締めにして――その首に刀を突きつけた。

チカゲは虚を突かれた目をしたが、やがって嘲笑するように言った。

「はは……リオンさん、そうですか、それが答えですか」

「答えも何も最初から言ったよね? あなたがビワについていくなら止めるしかないって。あなたが裏切るなら殺すのはわたしだって」


「ほら見たことか!」

ビワが嗤った。

「友達ごっこは楽しかったかいチカゲ? 命を賭して助けたその娘はお前を殺そうとしてる! そういうことだよ! この世は欺瞞で出来てるんだ!」

チカゲの瞳が泣きそうに揺れた。

ツクヨミ様、と彼が呟くのを、リオンは確かに聞いた。迷子の子どもが助けを求めるような声だった。

刃を彼の首に当てながら、リオンは耳元で告げた。

「わたしにあなたを殺させないで。ツクヨミ様の代わりにはなれないけど。殺したくないの。お願いだから……お願い」

いつしかリオンの視界に涙が滲んだ。手は震えない。決心してしまっているから。

「愛してるの。愛しています。行かないで。殺させないで。わたしのチカゲさん」

「…………」

チカゲの唇が泣きそうに震えた。

「ワタシは……アナタのものではありません」

一瞬の隙をつき、無理矢理リオンの手を退けたチカゲは、ビワをも睨みつけ、激昂したように叫んだ。

「ワタシは誰のものでもない! お前のものでもない!! 消えろビワ!! さっさと消えろ!!」


その時ガタガタと洞窟の入り口から何かが崩れ落ちるような音がした。

シラサギが倒れ込んでいる。

「申し訳ありません、ビワ様……あの陰陽師、ただものではありません……力が及ばず……」

続いてブレッドとシフォンが駆け込んでくる。

「チカゲ! リオン! 無事か!」

「リオン!? 何が起きてるの!?」

後ろからカラタチがにこやかに現れた。

「ビワ、こちらの力を見誤りましたね? チカゲの勧誘も失敗に終わったようですが、まだ足掻く気ですか?」


いつのまにかクロサギの攻撃は止んでいる。ぼうっと突っ立っているだけだ。

「クソ! シラサギは果敢に戦ったと言うのにお前と来たら!」

クロサギがハッと顔を上げる。ビワが叫んだ。

「撤退だ!」

「や、いやだ、行きたくな――」

「これは置き土産だ!」

ビワがリオンに何かを放った。妖術だ。

「っ!?」

リオンは意識を失いかける。

その次の瞬間、ビワと二羽の妖は消えてしまった。跡形もなく。


「あ、ぁ、あ!?」

視界がチカチカする。

「リオン!」

チカゲがそう叫ぶのが聞こえた気がした。それを最後にリオンの意識は飛んだ。



チカゲはため息を吐いた。辺りは蝋燭だけが残っている。山のように積まれた資料も消えている。ビワと二羽の手下は消えた。

そして――辺りにはブレッドとシフォン、陰陽師のカラタチと――どう見ても子どもになったリオンがいた。


「こ、こ、ここは!?」

混乱したようにリオンが叫ぶ。幼くなった彼女はまだ五、六歳程度に見えた。落ちていたナイフを拾い、動揺した目で告げる。

「な、なんなのここ。わたし攫われたの? カヌレさんは!? カヌレさんはどこ!!」

ブレッドが肩をすくめてカラタチを見た。

「妖術とやらを使われたんだろ。なんとかしろ」

「無理です、この手の術は私の管轄ではありません」

「じゃあ永遠にこのままだと言うのか!!」

びくっとリオンは肩を揺らした。

「あ、あなたは、け、警備隊長……さん?」

「ああそうだ」

ぎょっとした様子でリオンは身を縮こませた。まるでいつもと違う様子だ。

「あの、お尋ねしますが、カヌレさんを、見かけませんでしたでしょうか」

困惑した様子でブレッドは答えた。

「悪いが見てない、最近は」

リオンの瞳が揺れた。

「す、捨てられたんだ……捨てられた……」

がくりと膝をついたリオンに、シフォンが近づいた。

「あーえっと、リオン? ちっちゃくてかわいー……じゃなかった、あたしのことは覚えてる?」

「ご、ごめんなさい、どなたですか」

「…………」

シフォンが不満げな目になる。おろおろとリオンは辺りを見渡した。

「こ、ここはどこですか。東雲大陸ですか、アルジェント王国ですか」

「東雲大陸ですよ」

にこりとカラタチが微笑んだ途端、リオンが絶望したように声を震わせた。

「す、捨てられたんだ!! カヌレさんに捨てられた!!」

膝をついたまま泣きそうに目を見開くリオンに、チカゲは苛ついた。かつての自分を見ているようで。そして残念ながらチカゲは子どもの相手が壊滅的に下手だった。

「うるさいガキですね。みっともなく喚くのをやめたらどうですか」

「っ……」

リオンはどうにか気丈に立ち上がり、そのままチカゲを睨みつけたが、やがて周りを見渡すと、にこーっと馬鹿みたいに笑ってみせた。

「じょ、状況は大体わかりました! 警備隊長さん、カヌレさんにわたしをここまで捨ててくるよう言われたんですね。よくもこんな遠くまで! お疲れ様です! あの人魔法を使えば一瞬なのに!」

痛々しい笑顔にシフォンとブレッドの顔が引き攣った。カラタチは微妙な顔をしているし、チカゲは真顔だった。

リオンは健気に笑っていた。

「それで、おねーさんは服からして隊長さんのお供ですか? 烏帽子のおにーさんは? こっちの黒い着物のおにーさんは?」

「私はカラタチと申します。あなたを救えず申し訳……ありませんでした」

何やらしゃがみ込んで深々と頭を下げるものだからさすがに他の三人もびっくりした。リオンも困惑している。


カラタチは静かに告げた。

「元に戻れないなら、いっそのこと人生子どもからやり直しますか? 私の推察が合っていれば、あなたの親族を知っています」

「そんなはずないよ! お父さんとお母さんは死んじゃったんだよ!」

「…………」

カラタチはなぜかリオンを抱きしめた。ひっとリオンが声を上げる。

「さ、触んないで!」

「……申し訳ありません。私が至らないばかりに……本当に……申し訳ありません……」

そう言ってすぐに身を離す。ちょっと泣きそうになっているカラタチを見て意味不明だとチカゲは思った。忘れられているらしいシフォンはショックを受けているようだし、何故か記憶に残されているらしい隊長は言葉に詰まっていた。


リオンはじっとチカゲを見た。

「それでおにーさんは?」

「たまたま居合わせただけです」

「わたし馬鹿じゃないよ? 何か企んでる? ああ……カヌレさん……信じてたのに……信じて、たのに……」

青い目は絶望に染まっている。


カヌレカヌレとうるさい。

いい加減苛ついてきたチカゲはブレッドに尋ねた。

「カヌレとは誰ですか」

「あー、名前聞いたことない? ちょっと厄介な魔女」

「名前は聞いたかもしれませんが……知りません。このガキを元に戻せるんですか」

「たぶんあいつなら、おそらくは」

「だそうですよ。アナタは捨てられてません。ハイ議論はおしまいです」

子どものリオンを見ているのは不愉快だった。なぜか昔の自分が重なって、大変に不愉快だ。


さっさと舟に乗り込もうとすると、シフォンがリオンに告げた。

「あの人相変わらず冷たくて酷いねー。あたしはシフォン。ね、そんな悲しい顔しないで。カヌレさんのことはよく知ってるよ。あなたを捨てたりなんてしてない。むしろ……ううん、とりあえず安全な場所へ行こう」

「おねーさんはやさしいね」

「ふふ、そう? 帰りの舟、あたしのお膝乗る?」

「……おねーさんが構わないなら」

そういうわけで帰りの舟でリオンは大人しくシフォンの膝に座っていた。少し緊張した面持ちだったが、シフォンはわかりやすくにこにこしている。

馬鹿げた光景だと思いながらチカゲは座っていたが、帰りにも例の妖が現れた。


一本の手がゆるゆると伸びてきて、言うのだった。

「ひしゃくをよこせえ」

「うわっまた出たっ」

真っ青になるシフォンをよそに、カラタチは澄まし顔だった。

「こんなこともあろうかと用意してありますので、」

「待って」

リオンがシフォンの膝から立ち上がり、カラタチを見た。

「あの手は何?」

「アレですか? 漁師の幽霊と言われていますが」

「水に落ちて、死んだの?」

「まあそういう噂です」

リオンは少し青ざめたが、ぐっと船縁に寄って、揺れる手に近づいた。

チカゲはハッと目を見開いた。幼いリオンは水面から伸びる手に向かって話しかけているのだった。

「お父さんと、お母さんを、知りませんか」


――――あのバカ。

チカゲは思ったものの、そのあまりにも無垢な光景にゾッとせずにはいられなかった。

「幽霊なら、お父さんと、お母さんがどこにいるか、しりませんか」

ゆうるりと手が手招きした。

ひっとシフォンが声を上げる。ブレッドが剣を携えて立ち上がる。

「知ってるの?」

身を乗り出したリオンに手がぐにゃりと伸びる。

「もしかして、会わせてくれるの?」

手はどんどん伸びてくる。まるでリオンを掴もうと――引き摺り込もうとするように。

咄嗟に立ち上がり、リオンを掴んだのはチカゲだった。

「このクソガキ!!」

「離して!! 離してよ!!」

じたばた暴れるリオンにチカゲは何故だか泣きそうになった。訳もわからず叫んだ。

「黙れ!! 二度とふざけた真似をするなこの小娘が!!」

「やだよ!! 二人に会えるかもしれないのに!! 離してよ!!」

カラタチが恐ろしい目をして手を睨みつけ、底の抜けたひしゃくを投げた。

途端に一斉にたくさんの手が現れて、また空のひしゃくで水を汲もうとする。シフォンはガタガタと震え、チカゲは激昂して叫んでいた。

「このガキが!! あの世へ逝きたいのか!!」

唐突に大声を上げてリオンは泣いた。訳もわからない様子でただただ泣いていた。その間もチカゲは憎々しげにリオンを掴んでいた。子どもにする掴み方ではない。動物にそうするようなやり方だ。ブレッドがどこか呆れたような、憐れみのような視線を向ける。

空のひしゃくで水を汲んでいたたくさんの手は、また諦めたようにいつのまにか沈んでいった。


霧の漂う湖に、リオンの泣きじゃくる声が響き渡る。

最初に口を開いたのはカラタチだった。

「チカゲ、子どもはそうやって持つものではありませんよ」

「知りませんよ、世話したことなんてないんですから」

「それじゃまるで犬じゃないですか。お尻と背中をそれぞれ支えるんですよ」

チカゲは憮然としながらも渋々持ち替えた。リオンはチカゲの着物をぐしゃりと握って馬鹿みたいに泣いている。

シフォンもちょっと泣いていた。ブレッドは哀愁の漂う目で見ているだけだった。



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