ひしゃくをよこせ
*
次の日、リオンはいつもの仕事に戻った。仕事帰りに、例の如く商売をするダリウスと、そのそばで話し込んでいるチカゲに会ったので、上機嫌に近づいたものの――チカゲは昨日の首飾りをしていなかった。
見るからに視線を落とすリオンに、チカゲは目を細めた。
「なんです」
「いや、あの、首飾り――」
「あれですか。捨ててませんよ」
「な、ならいいんです」
少し落ち込みながらも、肩を落として家に入るリオンの背中をダリウスが見つめた。ちらりとその視線がチカゲに移る。
「素直に言ってやれよ」
「…………」
「隠してつけてんだろ。まったく」
「な、」
「胸の辺りを時折無意識に握ってる。目敏いやつなら分かる。隠したいなら気をつけな」
チカゲは息を吐いた。彼の言う通りだった。重ねた着物の内側に、隠すようにして首飾りをつけている。留め金の長さが変えられるのをいいことに、こっそりつけておくことにしたのだ。堂々とつけるのは――恥ずかしかったから。自分らしくもない。
「手のかかるやつ」
そう言いながら笑うダリウスは、仕方のない子どもを見るような目をしていて、チカゲは罰が悪くなった。
*
リオンは隊長のブレッドから、いつもと違う任務だと呼び出され、説明を受けていた。
なぜかその場にはチカゲもいて、お祭りの時にいたカガリもいた。
シフォンはカガリに立腹であった。
「あたしに近づいてリオンの情報聞き出そうとしたでしょ。乙女心を利用して。ほんっと許せない!」
「ごめんって」
反省してるのかしてないのかよく分からない様子で、飄々とした男は言った。
「あんたを楽しませようとはちゃんと思ってたよ。一応きちんと、あーそっちの国でなんて言うんだっけ? エスコートもしたろ?」
「別の下心があっちゃ意味ないの!」
シフォンはかんかんであった。
ブレッドが半目になる。
「カガリ、お前の目的を説明しろ。リオンの何を知ろうとしたって?」
「彼女の出身を」
リオンはむっとしながら声を上げた。
「わたしの出身は銀竜村です。それは前教えたじゃないですか」
「あはは……それだけじゃなくて、あー、あんたの母親の名前をだな、」
リオンは思い切り睨みつけた。
「なんなんですか一体」
「言ったじゃないか、アヤメという女を探してるって。死んだと言ってたけど、本当にそれ以外知らないのか? あんたの母親と知り合いだったとか、ない?」
そう言えばそんなことを聞かれた気もする。そして母の名はアヤメだ。だからと言ってこの男に話す義理も理由もない。亡き母に執着されるのも気分が悪かった。
「知りませんっ」
「ああそう……」
まいったとばかりに彼は肩を落とす。まともな人かと思っていたが、こうしてみると怪しいこと極まりない。帝都から来たと隊長は言っていた。帝都とは東雲大陸の中枢だ。こんな僻地のアケボノ村にわざわざ何をしに来たのだろう。アヤメの情報を探しに? 一体なんのため?
チカゲがリオンの心臓を過去に狙っていた件もある。それを考えるとアヤメ――自分の母がすでに亡くなっているとは言え、カガリにわざわざ娘ですと名乗り出る気にもならなかった。
ブレッドは鋭い目でカガリを見た。
「その女の情報を知ってどうするつもりだった?」
「ああいやえっと、どうするつもりも……」
「嘘をつけ」
「嘘も何も」
「くだらねえ。シフォンに謝れ」
隊長がばんとカガリの背を押した。
「あっ、えと……王都から来た嬢ちゃん……シフォン、すまなかった」
「ふんっ」
ぷいっとシフォンがそっぽを向いた。当然の反応である。
チカゲがつまらなそうな目で言った。
「それでなぜワタシまでここに召集されたんですか? ワタシは警備隊ではありませんが」
「ビワの所在の情報を手に入れた」
リオンもチカゲもはっとした。
「チカゲ、お前は今怪しい動きはしていないが、以前のことも含め監視対象になっている。ビワを呼び出すための囮になってもらうぞ」
「そんなっ」
声を上げたのはリオンだ。
「チカゲさんは変わろうと……たぶん、してます。変われるはずです。今の彼をビワに近づけるのは反対です」
「お前が反対だろうがなんだろうが、こいつが過去にやらかしたのは変わんないの。ビワはチカゲの技術を欲しがっていた。ビワが万が一逃げようとした時、こっちにチカゲという手札があれば捕まえられるかもしれない」
至極真っ当な意見に、リオンは言い返す言葉が出てこない。おまけにチカゲはつまらなそうに言うのだった。
「仰る通りワタシは過去に色々しでかしましたので、どうぞお好きなように利用して下さい。――リオンさん、ワタシが変われるとお思いに? その根拠は? 馬鹿げた推察です。ワタシは賢者の石を諦めてはいません」
リオンは思い切りチカゲを睨み、そして隊長を見上げた。
「そ、それじゃ仮に、彼がビワと手を組むことを選んだらどうする気ですか隊長!」
「監視から捕縛対象に変わるだけだ。前と同じさ。その時は捕まえて王都に護送だ」
ブレッドが揺らぎのない声で言う。そんな簡単にいくものだろうか。その証拠にチカゲは動揺するそぶりも見せなかった。
リオンは息を吐いた。この期に及んで――いやチカゲが変わることなんてきっとないのだろう。花火で束の間掻き消えたと思った三日月は消えてはいない。彼の心に刻まれたまま。
ブレッドが静寂を割くように言った。
「でだ、情報の出所はコイツ」
カガリを示した。カガリはにっこり笑った。
「俺一応情報屋もやっててー、いつもは情報金で売るんだけどー」
「黙れ。とにかく、ビワの居所を教えてもらう代わりに、今回のことは不問にした」
「不問って……」
シフォンがぶつぶつ文句を言っている。
「そう怒るなよ嬢ちゃん。大体訴えられるほどのことしてないし。あんたと祭り過ごせて俺はそれなりに楽しかっあいたっ!」
シフォンが思い切り彼の靴を踏んづけた。リオンでも同じことをしただろう。女の敵である。
「そいでね、俺も刀が使えるから参戦してもいいよって、隊長さんに言ったんだけど信用してもらえなくてさ」
当たり前のことにリオンは半目になる。おまけに彼は妙なことを言い出した。
「それにビワの潜むのは村のはずれの湖、その中央の小島みたいなところなんだけど、ちょーっと危ないんだよねえ」
「濃霧の湖ですか?」
ゾッとしながらリオンは聞いた。妖が出ると聞いたことがある。
「それそれ、舟が軒並み行方不明になるって聞いたことない?」
ある。
海につながるその湖は、海に潜む妖が現れると噂もあった。何より霧が漂っていて、その湖に舟で乗り出したものは帰ってこないという。
「おかしくないですか? 帰って来た人がいないなら、ビワが中央の小島にいると知ることはできないのでは?」
「それができるんだよねえ。助っ人を呼んだから」
カガリがちらりと後ろを見ると、烏帽子を被った、長い黒髪の男が現れた。白い着物をまとっている。
「彼、陰陽師なんだ」
リオンはわずかに目を細め、シフォンは頭に疑問符を浮かべた。
「おんみょうじ?」
「シフォン、陰陽師ってのは、あーつまりカヌレさんみたいな人のこと」
「魔女?」
「まあ、そんな感じかな?」
「魔女と一緒にしないで頂きたいのですが。そもそもアルジェント王国と東雲大陸では文化が違うでしょう。自然に潜む存在も」
陰陽師は美しい所作で言った。
「私はカラタチ。式神を飛ばすことができます。相手の五行説を読み取ることも。カガリにビワの所在の在処を探すよう頼まれましてね、彼が危険人物だと知っていたので承知したわけです。式神を飛ばして確認したのでこの情報は確かですよ」
リオンは片眉を上げた。
「なぜ二人してビワの居所を探しているのですか? 仮に危険人物だと把握していたとして、二人が探す必要性は?」
「詳しくはお話しできませんが、我々はとある貴人に仕えておりまして、その方のためなのですよ」
カラタチは食えない笑みでにこりと笑った。
どうもこれ以上探るのは難しそうだ。カガリとはまた別の、独特の存在感のある男だ。
ブレッドが嫌そうに言った。
「コイツもあまり信用ならんが、妖が出てくるなら対処してもらうやつがいないと」
「まあ舟ごと沈められる可能性が高いでしょうね」
カラタチは澄ました顔で微笑んで見せた。
「そういう訳だ。二つの舟に別れるが、できるだけ離れないように。俺とシフォン、そしてチカゲとリオンにおんみょーじで行く」
カガリが笑った。
「俺戦力になるよ。本当に連れて行かなくていいの?」
「信用ならん奴は一人で十分だ」
ブレッドが睨んだ。
そういうわけで、日も落ちる頃リオンは他の四人と共に二艘の小舟に乗り込んだ。
シフォンが珍しく駄々をこねる。
「あたし行きたくないー。お化けが出るかもしれないんでしょ? 隊長、あのカガリとかいう男に任せとけばいいじゃないですか!」
「いいかシフォン、カガリのあの態度、おそらく腕利きだ。舟上で陰陽師と組まれて暴れられたら俺達はどうなるかわからない」
「…………」
シフォンが仕方なくブレッドの隣に座り込む。
「リオンの隣が良かった!」
「うるさいな。少しは警備隊の自覚を持て」
言いながら櫂を漕ぎ出す。
もう一艘にリオンもチカゲとカラタチと共に乗り込んだ。
陰陽師のカラタチが口を開く。
「まったく信用がありませんねえ。疑うならこの錬金術師を疑ったらどうですか」
チカゲはリオンのそばで櫂を漕いでいたが、不愉快そうな顔をしていた。
「そもそもこんなところ来たくなかったんですが。ハァ……」
リオンもあまり来たくなかった。気味が悪い場所だ。怖さを隠すようにチカゲを見上げた。
「もしかしてチカゲさん怖いの?」
「別に。怖がってるのアナタでしょう」
「うっ」
二艘の舟は濃い霧の中でもはぐれないよう、できるだけそばで進んでいた。
男三人は落ち着いていた。露骨に怖がっているのはシフォンであった。
「霧が濃いよ〜小島の方向ってこっちであってるの? 帰りたい〜」
「少し黙れないのか? あそこに大岩みたいな影が見えるからこっちのはずだ」
カラタチがじっと薄暗い景色を見ていた。
「ええ、恐らく合っているでしょう。そして小島にたどり着いたのであれば、ビワもなんらかの方法でここを通ったはず。隠れ家にここを選ぶとは、聡いですね。まあ湖に何かいるのは間違いないのでしょうが」
その時だった。
「な、なんだ? 舟が動かないぞ?」
ブレッドが困惑した様子で櫂を動かそうとするが、阻まれているように舟は動かない。
「こちらも動きません」
困ったようにチカゲが言った。
「あーあ、だから面倒ごとは……」
その時、水面から手がにょろりと出て来た。あまりに不気味な光景だった。
「ひしゃくをよこせえ」
ひっとリオンは声を上げた。もう一つの舟から、ぎゃあとシフォンの声が聞こえる。
「ひしゃくをくれえ」
「ひしゃくをよこせえ」
あちこちから手が伸びてくる。
ブレッドが声を上げた。
「な、な、なんだこれは!」
目を細めたカラタチが告げた。
「死んだ漁師の幽霊だと聞いたことがあります。それにしても気味の悪い……」
「ひしゃくをくれえ」
「ひしゃくをよこせえ」
ブレッドが冷や汗をかきながら睨みつけた。
「ひ、ひしゃくってこれだろ! くれてやる!!」
「あ、いけません!」
カラタチが叫んだ時には遅かった。ブレッドの投げたひしゃくは水面に落ちる。次の瞬間、それぞれひしゃくを持った細長い手がたくさん伸びて来て、ブレッドとシフォンのいる舟に水を入れ始めたのだ。
「な、な、なんだ!?」
「隊長! 水を入れられてます!!」
シフォンが半泣きで叫んだ。
「もうやだぁ〜ここで死んじゃうんだあ!!」
リオンは慌てて叫んだ。
「二人ともこっちへ飛び乗って! そっちの舟、沈んじゃいます!」
その間もたくさんの手がどんどん片方の舟に水を入れていく。少なかった水はだんだん舟に溜まり、やがて舟は傾いていく。
ブレッドが珍しく焦った声を出した。
「そうは言ってもリオン! 少し距離があるんだ。その上どちらの舟も動かせないんだぞ」
「お二人ならできるでしょう! こっちは少しぐらい揺れても平気です! 飛び乗って!!」
ブレッドが飛んだ。どうにかこちらに飛び移る。
取り残されたシフォンは、沈みゆく舟の上で無惨に泣いていた。
「無理だよぉ、怖くて足が動かない、リオン、りおん、たすけて!!」
「っ」
リオンは立ち上がって両手を伸ばした。
「おいでシフォン! わたしが受け止めてあげる! さあ飛んで! こっちに飛び乗って!!」
シフォンが泣きそうな顔をして、どうにか飛んだ。足りなさそうな距離を、リオンが思い切り引っ張る。
舟が大きく揺れたが、なんとか二人ともなだれ込むようにして乗ることができた。
「まったく、転覆しなくて良かったですよ」
そう告げたのはチカゲだ。ぐらぐら揺れる舟に表情一つ変えず、ただ気味悪そうに水面を見ているのだった。
「で、今度はこっちが標的になってるようですがどうするんですかアレ」
別の手が伸びては指を動かしている。
「ひしゃくをくれえ」
そう繰り返す手を見てシフォンはとうとう諦めたように泣き始めた。もともと芯の強い少女なのだが、相当怖かったのだろう。
「どなたか短剣はありますか」
そう告げたのはカラタチだ。チカゲが手渡したそれを眺めるカラタチのよそで、腕はゆらゆらと揺れていた。死人のように白い腕が、骨がないみたいに歪曲しながら揺れているのは実に不気味だった。
シフォンが泣きながらしがみついてくる。
「リオン、りおん、死んでも一緒だよ」
「馬鹿なこと言わないの。ああでも……どうしよう」
「ひしゃくをくれえ」
「ひしゃくをよこせえ」
繰り返す手を睨み、カラタチは言い放った。
「そら、くれてやる!」
「カラタチさん!!」
リオンは叫んだものの、ぱしゃんとひしゃくは水面に落ちた。
次の瞬間たくさんのひしゃくを持った手がざぁあっと伸びて来て、舟に水を入れようとする。
しかしひしゃくの底はすべて抜けていた。
カラタチが投げた最初のひしゃくは、短剣で底をくり抜いたものだったのだ。
手は繰り返し繰り返し水を入れようと伸びて来たものの、水を掬うこともできず、ひしゃくから水が落ちていくものだから、やがては静かになり、跡形もなく消えていった。
「――ひしゃくを欲しがる漁師の霊には、こう言った対処法が――皆さん大丈夫ですか?」
カラタチが目を細める。シフォンはわんわん泣きながらリオンにしがみついているし、リオンも怖くて泣きたかった。
ブレッドとチカゲも若干青ざめている。
「まあ良いです。ね? 私がいて正解だったでしょう?」
にこりと微笑むカラタチに、青ざめたブレッドが言った。
「あ、ああ。東雲大陸は恐ろしいところだ」
言いながら櫂を動かせば、今度こそ舟はちゃんと動いた。
やがて舟は小島に近づいて行った。小島だと思っていたが上陸するとそれなりの大きさだ。大きな岩山が佇んでいるような風体だが、霧が濃い暗闇の中、ビワがどこに潜んでいるのか見当もつかなかった。
ブレッドが言った。
「陰陽師、アレを使ってくれ、なんか使い魔みたいなやつでビワを見つけたんだろ」
「ああ、式神のことですか。残念ながら帰ってきた時にはこの姿でした」
彼はそう言って掌の上で不思議な形に切られた紙を見せた。丸焦げだ。リオンはゾッとした。
「私の技の一つのようなものだったんですが……帰ってきた時にはこの姿でして、ビワの居所を告げた後、動かなくなりました。つまりはまあ、ビワも偵察されていることには気づいているんです」
そう言ってしまい込む。
「また新しいものに術を吹き込んで飛ばすこともできますが、相手に我々の存在を勘づかせる可能性があります。流石に危険です」
カラタチの言い分はまあ尤もであった。ブレッドが目を鋭くさせる。
「仕方ない、二手に別れよう」
「ええ〜もうあたしお化けやだよう」
シフォンが泣きそうな声で訴える。
「では私はそちら側につきましょうか」
カラタチが告げると、ブレッドが目を細めてリオンを見た。
「リオン、チカゲと二人でヘーキか? お前コイツに情けをかけたりしないだろうな」
「しません。彼がビワに騙されて馬鹿な真似をしそうになったら止めます」
「馬鹿な真似とはなんですか」
不愉快そうにチカゲが言ったが、前科持ちであり変人である彼の言葉を誰も取り合わなかった。リオンも睨むだけだ。
かくしてブレッドはシフォンとカラタチと共に、リオンはチカゲと共に、島の北と南を別れてビワを探すことになった。




