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夏祭りの夜

お金を払い、店員から受け取ろうとして、ちょっと躊躇してしまった。白いうさぎのぬいぐるみを持っていたせいだ。おまけにもう片方の手は金魚で塞がっている。

チカゲが無言で代わりに受け取った。

「随分と染色された代物ですね、人にぶつかると大変です」

言いながら少し人気のない方へ行く。染色がなんだの、お店の人の前で言う方がまずいと思うが。まあ店から離れたのだからそれでいい。

「ありがとうございます。えっと……」

うさぎが汚れてしまうのを危惧したリオンは、どうやって受け取ろうか考えあぐねていた。

「面倒な方ですね。うさぎを汚したくないのでしょう。このまま食べたらどうです?」

「え?」

本気で言ってる? と思ったがチカゲはいつにない真顔で見下ろしてくる。

「セザールともたこ焼き一緒に食べたんですよね? ワタシが食べさせてやると言ってるのにそれは嫌なんですか?」

なんだこの人。もしかして妬いてくれてるのか? いやそんな都合のいい解釈をしては駄目だ、と思いつつも、うさぎを汚したくなくて――チカゲの手ずからの飴を食べてみたくて――勇気を出してしゃくりと齧った。

「…………」

「…………」

リオンは急激に恥ずかしくなった。

「や、やっぱり自分で」

「うさぎを染めたいならどうぞ」

真顔。美人の真顔というのは圧がある。それにリオンはうさぎを汚したくなかった。そしてまた、この男の気まぐれに付き合わされて少しだけ癪だったけれど、ときめいていた。

ずるい人だ。きっとわたしが好きなのをわかっていてわざとやっているのだ。

でも馬鹿にされないだけマシだ。

リオンは食べた。しゃくり、しゃくりとチカゲの手からりんご飴を。だんだん自分の顔が熱くなってくる。知り合いは今近くにいないはずだけど、誰かに見られたらどうしよう。そう思いながらも、飴はいつになく甘美に感じられた。

甘い。甘い。――あまい。


真っ赤になって食べるリオンをチカゲはひたすら真顔で見ていた。


「あ」

だんだん溶け出したりんご飴の前で躊躇すれば、彼が目を細めて見下ろしてくる。何も言わない。

「え、えと」

「アナタが買ったんでしょう。最後まで食べたらどうですか」

「…………」

リオンは必死にぺろりと舐めた。チカゲの指は溶けた汁でべとべとだ。さすがに赤くなって目を逸らした。

彼は飴のなくなった棒を片手に移すと、指を差し出してきた。

やはり見事なまでの真顔だった。

「アナタのおかげで汚れました。きちんと綺麗にしてください」

「え、と、正気ですか」

「正気ですが何か」

チカゲのことは好きだが、リオンはさすがにそこまで非常識ではない。恥ずかしくて泣きそうになったが、どうもこの圧から逃げられそうになかった。

勇気を出してちろ、と指を舐めた。

びく、と彼が肩を揺らした。暗にもうやめようと涙目で訴えたが、彼は黙って指を差しだすだけだ。その目も少しだけ潤んでいるように見えたが、もう茹だる思考の中で、正常な判断ができそうになかった。

「ん、……ん」

ぺろ、ぺろと差し出された指を舐めた。りんご飴が溶けてべとべとになった彼の指。恥ずかしくて涙目のリオンは、自分もりんご飴みたいに真っ赤になりながら、一生懸命舐めた。


「……ご、ご、ごちそーさま、でした」

なんとかかんとか綺麗にした、たぶん。恥ずかしさを堪えながら、もう終わりでいいだろうと必死に見上げれば、また目を逸らされた。なんなんだ一体。

「……お味はどうでした?」

「あ、味? えと、わかんない……」

「分からない?」

「いや、あの、あ、甘かったです……」

「……そうですか……」


それっきり二人は無言だった。無言で喧騒の中を歩いた。明るいざわめきの中で、ひとりぼっち、ではなく、二人きり別世界にいるみたいだった。身体が熱い。彼の方を見られない。

ちらりと見やれば彼はひたりと前を見据えていた。こちらをみる気配はなかった。


「おうい、お前ら一緒に回ってんの?」

静寂を破る者がいた。いつのまにか露天の端っこの方まで来てしまったらしい。

そこではダリウスがいつもの商品を広げているのだった。

チカゲが我に返ったように彼を見て、わずかに目を細めた。

「随分とその……目立たないところで商売をしていますね」

「あっちの方は場所代が結構かかるの! まあいいや――何その空気、なんかあった?」

リオンは真っ赤になって目を逸らす。チカゲは真顔で「なにも」と答えた。

ダリウスは何か察したようだったが深入りはしてこない。リオンはいたく感謝した。彼は雑談をしている。

「何お前、金魚そんなにとって。リオンは三匹かあ、まあわかるが」

「わ、わかるってなんですか!」

いつもの調子に戻ったリオンにダリウスが苦笑する。

「嬢ちゃんにも得意不得意があるだろ、それだけ。チカゲが金魚掬い得意とは知らなかったが」

チカゲは顔色も変えずに告げた。

「やったことありませんから」

「だろうな。そんなに掬って持って帰れるの? かわいそーだなこんないっぱい、袋に詰め込まれて」

チカゲが少しだけ困惑した顔をした。

「ワタシも少し……軽率だったかなと……何も考えず掬ってしまったので」

「めずらし。ていうかお祭りの金魚なんてすぐ死ぬよ」

え!? と大声を出したのはリオンであった。

「わたし三匹につける名前考えてるところだったんですが」

「あーあーやめとけ。予言しよう。三日以内に一匹死ぬ。運にもよるけど三匹ならうまく世話しないと一週間以内に全滅」

リオンは絶望した顔をした。かわいがろうと思っていたのに残酷な現実を突きつけられた気分だ。

「考えてもみなよ。露天の水槽の中に長時間押し込まれてさ。金魚にとっては負担だよ。だからお祭りの金魚は死にやすいの」

「そ、そんな……」

「チカゲ、お前は、あー何匹か知らんけどそんなに世話できんの? 仕事してくれるのはありがたいけど仕事に没頭して世話忘れたりしない?」

「思い至りませんでしたね。おそらくアナタの言うとおりになります」

申し訳なさそうにチカゲは金魚を見た。彼にしては珍しく、少し哀愁の混ざった目だった。

「リオンも遠出で家空けることあるだろ。そのうさぎのぬいぐるみはいいとしてさ、金魚の方はうまくお世話しないと厳しいぞ」

「……か、返してこよーかな」

「まあ、あー、店主は喜ぶかもな」

ダリウスの言葉にリオンは暗い顔をした。初めて掬った金魚だったのに。もうとっくに愛着が湧いていたのに。

でもお世話できないのに連れて帰るのは良くないことだ。

少し淀んだ空気を吹き飛ばすようにダリウスが言った。

「俺がもらってやろうか?」

「え?」

「こう見えて色々育ててきた。まあ長生きさせられるか分からんが――家を丸々空けることはあんまりないし、その金魚、面倒見てやるよ」

リオンはなんだかほっとしてしまった。

「いいんですか? ありがとうございます」

「チカゲは? 自分で育てる?」

「いいえ、死なせてしまう気がします。アナタに託していいのなら」

「言い方が重いんだよなー」

言いながらからりと笑ってダリウスは二つの袋を受け取った。

「まああんま期待すんな。ほどほどに面倒見るからさ」

リオンはそれでもありがたいと思った。ほどほどにと言いながら、彼はおそらくきちんと面倒を見てくれるのだろう。彼の目は金魚への労りが混じっていた。このおじさんの商人はやさしい。

「お前ら知ってる? このあと花火あるけど、いい場所は人で埋もれちゃうんだよね。裏山の方、穴場だぞ」

知っている。毎年、見回りの後いつも一人でこっそり眺めていたから。

そう答えようとした矢先、チカゲが真面目な顔で言った。

「知りませんでした、ありがとうございます。行ってみましょうかリオンさん」

当たり前のように誘う彼にリオンとダリウスは目をぱちくりさせた。リオンに至っては嬉しくて胸が疼いたが口には出さなかった。

「えっと、さ、先に行っててください! 森の入り口からですよね? わたしお買い物してから行きます。追いかけますから!」

「はぁ」

チカゲは少し訝しげな目をしたけれど行ってしまった。

リオンはふーっと息を吐いて胸を抑えた。

二人きりになったところでダリウスにこっそり告げた。

「今日のチカゲさん、少しおかしいんです」

「……そう」

「高圧的な……のはいつもですけど……なんかやさしいんですよ」

「良かったじゃん」

その言葉に、リオンは商品の一つを示してにこりと笑った。

「ダリウスさん、これください」

「金魚のお礼? それともお前の意志?」

「両方です」



リオンは森の入り口にたどり着いた。走っていけば一人歩くチカゲの姿が見えた。

こうして見るとお祭りと対照的に暗い森の山道を歩く男は、どこか哀愁が漂って見えた。

どこか毎年一人で見張りをしている、自分の姿に重なって見えた。


「チカゲさん!」

「……ああ」

彼は振り向き、少しだけ目元を和らげた、ように見えた。変人だけど、いつもに増して今日は不思議だ。

山道を歩きながらチカゲは言った。

「ダリウスさんは裏山と言いましたが、具体的にどことは言ってませんでしたね。聞けば良かった」

「わたし場所分かります! この先ですよ!」

「なぜわかるんです?」

「毎年――見回りが終わったら、ここで花火を見ていたの」

リオンが下手くそに笑うと彼はじっとこちらを見た。そしてまた歩き出した。

「お一人で。それはさぞや虚しかったでしょうね」

皮肉混じりの言葉に、リオンはついこぼしてしまった。

「ええ……でも、今年は一人じゃありません」

「……そのようですね」

二人は小高い丘のような場所に来た。辺りは森から続いていて、黒々とした木々が伸びていた。


倒木に腰掛けるようにして、二人は木々の間から景色を眺めた。祭りの様子が下の方でよく見える。明るい喧騒も微かに聞こえてくる。


「今日の月は満月ではないのですね」

三日月を見てチカゲが目を細める。また月だ。リオンはこの話題が好きではない。チカゲが月をツクヨミと重ねていることが分かるから。

彼はぽつりと言った。

「月にはうさぎが住んでいると言います。本当に住んでいたら、面白かったのに」

何もかも諦めた、けれど一抹の切なさをのせた瞳。リオンは思わずうさぎのぬいぐるみを抱く手に力を込めた。

「は、花火を見に来たんでしょう?」

「そうでしたね」

「わ、忘れろとは言いませんから、せめて今日は花火を楽しみませんか?」

「まあアナタが言うなら、考えても……」

その時、丁度花火が上がり出した。

派手な音と共に上空まで上がる光の花。それはいくつもいくつも華やかに弾けた。三日月も分からなくなってしまうくらい鮮やかだ。

アケボノ村の人達が歓声を上げるのがかすかに聞こえた。なるほど、村の見えやすそうな場所には人が集っている。

やはりここは確かに穴場だ。誰もいない。


リオンは花火に魅入り、ぽつりと告げた。

「綺麗ですね」

赤や青の花火が上がるたび、眺めるリオンの横顔も照らされた。その瞳に炎の花が映っては散っていく。

チカゲはそれを見て、ぱちりと瞬きをした後、酷く切なそうに呟いた。

「ええ、綺麗です……」

リオンはうっとり花火を眺めていた。視線を感じて見れば彼はこちらを眺めてばかりいる。

「チカゲさんちゃんと花火見てるの?」

「見てますよ」

そう言って済ました顔をで空に視線を戻す。よく分からなかったが、彼が切ない目をしているものだから、リオンは少しだけそばに寄った。

「なんですか」

「お祭り終わっちゃいますね」

「うるさかったので丁度いいです。明日からまた平和になるでしょう」

「まったく、寂しいくせに」

「…………」

花火の音が鳴り響いている。

「わたしは正直寂しいです。せっかくのお祭りなんだからもっと長めにやればいいのに」

「出店の売り上げが立ち行かなくなるでしょう」

「現実的だなぁもう」

言いつつ、うさぎを抱っこしながら鞄から小さな装飾品を取り出した。

それを勇気を出してチカゲに差し出す。

「なんですかそれは」

「首飾りです」


小さな青い宝石のついた首飾り。人工宝石ではなく天然ものだ。代わりに粒は大きくないけれど。ダリウスのところで買ったものだ。


「あげます」

本当はとても緊張した。

リオンは彼から赤い髪紐をもらって酷く嬉しかったのだ。彼の目と同じ赤。

お礼に何かあげたくなった。どうせなら――まあ彼は喜ばないだろうが、こちらの瞳と同じ色のものを。

この首飾りは、人には言えない、独占欲の混じった代物だ。

チカゲはそんなことも知らず、目を細めて首飾りを見つめた。

「こういうのは女に渡すものでは?」

「わたしはフツーじゃないので。あなたもでしょ?」

前に言われた皮肉を返してやったが、心臓はどきどきと音を立てていた。冷たくあしらわれたらどうしよう。そんな思いがよぎった。

「――では、アナタの手でつけてください」

彼の言葉にリオンは目を丸くした。彼は罰が悪そうに続けた。

「いいですよもう、自分でつけますか、ら――」

リオンは立ち上がって彼の背後に回った。さらりとした灰白色の髪。時折銀色に見えるそれをそっと寄せて、震えそうな手で首飾りをつけた。

「これ、長さが調節できるんです……こうして……で、できた」

リオンは正面から彼を見た。うん、似合っている。ああ、抱きしめたい。怒られるだろうけど。

音を立てる花火が、時折ちらちらと彼の目に映り込んでいる。青い宝石をまとった彼は、今この瞬間だけ、自分のもののように思えた。人には言えない独占欲が首をもたげたけれど、もう今は彼がこうしてつけてくれているだけで充分だった。

「な、なんですかその目は」

「いえ」

充分だった、はずだが。

珍しく照れたのか、少し赤くなっている彼を見てしまったものだから、つい。


花火の下、二人の影が一瞬、一つになった。

ちゅ、とリオンは彼の頬にキスをした。

「好きですよ、チカゲさん」

恥ずかしさと、訳の分からない切なさで、なぜか泣きたくなった。

「だいすき」

「…………、一人に、してください」

片手で顔を覆ったチカゲが言った。

「お願いですから、……一人にしてください」

リオンは切ない目をして立ち上がった。そう、彼の答えなんて分かりきっていたのに。

「おやすみなさい。あなたとお祭りを回れて、わたし心から幸せでした」

そう告げるのが精一杯だった。次に紡がれる言葉を聞くのが怖かった。

だから――その場を急ぐようにして離れた。



リオンは知らなかった。

花火が終わり、祭りが片付けられる頃、チカゲが消えそうな三日月を、また見上げたことを。立ち上がり、縋るように眺めたことを。

「ツクヨミ様……ワタシはアナタを忘れるわけにはいかないんです。――到底、諦めることはできない」

首飾りを握りしめ、チカゲはどこか泣きそうな目で、訴えるようにこぼした。

「どうか……教えてください、どうしたらいいのですか。――どうしたら!」

月は答えない。死者が生者の問いかけに応える訳もなかった。



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