恋する少女の嫌がらせ
*
次に目を覚ましたのは医療所のベッドの上だった。
「おや目を覚ましたようだな。俺が分かるか? リオンの上司だ」
見上げればつまらなそうな顔のブレッドがいた。
「あの、ここは……」
「医療所だ。怪我人は例え捕縛対象でも治療しなければ証言は聞けない」
チカゲは痛む頭でブレッドを見た。
「あの、リオンさんは……」
「気になるか?」
酷くつまらなさそうに彼が言う。少しの躊躇の後、チカゲは頷く。ブレッドは言った。
「毒を飲まされていたそうだな。解毒しようとしたが――遅効性だったことに気づかなかった。じわじわと侵食されて、気づいた時には手遅れだった」
「なっ」
「あいつは……もういない」
チカゲはがばりと身を起こした。
「待ってくださっ、それじゃ彼女は、」
「嘘だ」
チカゲは深く息を吐いた。ブレッドが眉を吊り上げる。
「なぜこんな嘘をついたか分かるか?」
彼は酷く不機嫌そうな目をしていた。
「俺の部下はお前を探して毎日毎日あちこちを渡り歩いた。二ヶ月だ。知っているだろう、お前に懸想している。それをお前は訳の分からん研究に打ち込んで、よく分からん妖の手に――」
「ビワは妖術を使いますが妖ではありません」
「揚げ足を取るんじゃない! つまり俺は! 怒ってるんだよ! 陛下へも報告したが、実害がない上、研究の証拠も残ってないお前は――ただの監視対象に逆戻りだ! あんなに騒ぎを起こしておいて!」
「ワタシがそんなに騒ぎを?」
「リオンのことだと言っている! 俺の部下は実際毒を飲まされたんだ! あの後俺がお前を背負って、あいつは自分の足でふらふらになりながら帰ったんだぞ!」
「そうよ!」
間髪入れずに声をかける者があった。白い髪の少女だが、シラサギではない。肩につくかつかないくらいかの癖っ毛だ。琥珀の目をしたその娘は、瞳を吊り上げてチカゲを睨んだ。
「あなたのせいでリオンがどれだけ大変な目に遭ったと思うの! ねえ隊長、証拠不十分でも捕まえちゃいましょうよ! こんなやつ王都へ護送して牢屋に放り込めばいいんです!」
「それは無理だ。分かってるだろうシフォン。まあ腹が立つのは非常にわかるが、一旦落ち着け」
なんなんだこの二人は。チカゲは思ったものの、とりあえず大人しくしておくことにした。腹には包帯が巻かれていて逃げられない。少女はかなり機嫌が悪そうだった。
「あーサイアク。こんな訳のわかんない男にリオンが惚れたなんて。どこがいいんだか」
チカゲの目元がぴくりと揺れた。
「失礼じゃないですか?」
「は? リオンを追い詰めておいてよく言う! 好きでもないんでしょ? さっさとリオンから離れてよ!」
「知りませんよ、あの娘が勝手に追いかけてくるだけです」
「この――っ」
丁度その時、扉が開いてリオンが入ってきた。チカゲがほっとしたように目元を和らげたのに、ブレッドとシフォンは気づいたけれど、本人は気づかなかった。
「無事でしたか」
「解毒薬を飲まされて、ゆっくり毒を抜かれました。もうヘーキです。あなたこそご無事なようで何より。目を覚まさないんじゃないかと心配したんですからね!」
その心情には自分も覚えがあった。この部屋で同じように、しかしただ一人、死んだように眠るリオンの横で、うなだれた日があったことを。
それを思い出すと罰が悪くなって、チカゲは息をついた。
「アナタは愚かですね。ワタシに関わるからこうなるんです」
「残念ですね。証拠不十分で捕縛対象でなくなったにせよ、あなたは監視対象であることには変わりありません。あなたは危険人物です。だから止めに行っただけです」
「それだけではありませんよね?」
チカゲがちらりと見やれば、リオンは分かりやすく怒った目をした。
「そうです分かっているなら尚更――! あなたって本当に嫌な人!」
「その嫌な人に惚れたのはアナタでしょう。ワタシは自分でも自分がキライでしてね、アナタの思考が理解できませんよ」
リオンが言葉に詰まる。少し眉を顰めていたものの、静かにそばに寄ってきた。
「傷、まだ痛む?」
「アナタには関係ないでしょう」
「わたしを庇ってくれたでしょう。その時にできた傷だよ。関係あるよ」
「…………」
チカゲはリオンを見た。彼女のあまりに真摯な、労わるような瞳に、嫌味を言う気にもなれず、まだ痛むと正直に言うこともできず、結局何も返せなかった。
背後ではブレッドが難しい顔をしているし、シフォンがイラついた、しかしこれまた度し難い表情をしている。彼らが何を考えているかなど分からない。
ブレッドが口を開いた。
「リオン、お前の言ったことは本当らしいな」
「そうですよ、この人、口は悪いけどわたしを庇ってくれたんです。陛下が捕縛対象から外したのも、恐らくそこが要です」
「ややこしい関係だな。まあ分かった、お前が嘘の報告をしている訳ではないことが。万が一、事実と違うことを言っていたなら話は違ったが――考えすぎか。シフォン行こう。一旦席を外そう」
「ええ? なんでですか? なんでリオンと彼を二人きりにさせなきゃいけないんですか!」
「いいから行くぞ」
シフォンはぎゃんぎゃん文句を言っていたけれど、結局ブレッドと共に出て行った。
余計な気遣いを……とチカゲは思ったが、なぜかリオンを見るとほっとしてしまって、余計言葉は出てこなかった。
「チカゲさん」
リオンの声は澄み渡る水のように凛としていた。
「わたし、とても――ほっとしてるけど、怒ってる。理由は分かるよね?」
「アナタを危険に晒したからでしょう」
「違います!! よく分からない研究に没頭して消えた上、わたしを庇ってこんな大怪我を!!」
「よく分からない研究とはなんですか? ビワのやり方は気に食わないところがありましたが、あの研究自体は崇高な――」
そこまで言ってチカゲはわずかに目を見開いた。リオンがゾッとするような目をしていたから。
「死んだ人は蘇らないんだよ。チカゲさん」
それはチカゲの地雷だった。
「っ、」
思いきり睨みつけて掴み掛かろうにも、腹の傷が痛んで呻くことしかできなかった。
リオンは少し冷たい目で言った。
「……無様ですね」
座敷牢にリオンが閉じ込められた時に、チカゲが言った言葉だった。
「あなたは愚かです」
ぎりりとチカゲはリオンを睨む。
「いいですか、チカゲさん。今回は運が良かっただけです。ビワは危険な相手でした。話によればクロサギが隊長を呼んだとか。そうでなければ隊長はあの結界に入れなかったでしょう。今頃クロサギは罰を受けているかもしれません」
「そうですか」
知ったことか、とチカゲは思ったが、あの無垢な黒い鳥を――囲炉裏の上に吊るされ、ぽろりぽろりと涙をこぼしていた鳥を思い出すと、胸が少し痛んだ。しかし顔には出さなかった。
リオンは続ける。
「ビワはあなたをこれからも利用しようとするでしょう。また接触するでしょう。そうしたらあなたはついていくの?」
「さあね。奴はいけすかない相手ですが、賢者の石の材料を二つ持っている。まああそこに戻りたくはないので、別の方法を考えますが――」
「それですそれ! よくもこんな状況になって諦めずにいられますね! いい加減賢者の石は諦めてください! でないとわたしは!!」
リオンは泣きそうな目をして、けれど怒鳴るように叫んだ。
「あなたが本気で石を作ろうとするなら、いずれ、いつかわたしは、あなたを殺さなきゃいけなくなる!!」
「今殺したらどうですか。ワタシは逃げられないので、丁度いいのでは」
真顔で言うと平手打ちされた。痛い。
「わたしの気持ちを知っていてよくもぬけぬけと――」
その言葉にチカゲも思わず叫んだ。
「アナタの気持ち? ワタシを狂人と呼ぶのなら、アナタも狂人では? ワタシのどこに惚れたんですか? 馬鹿なんですか? ワタシの事は放っといて下さい! アナタが追いかけてくるのはワタシを止めるためだけじゃない、惚れているからでしょう? はっきり言っていい迷惑です!!」
「ああそうですか。言っておくけど、もしまた消えたら地の果てまで追いかけますよ」
「このクソガキッ」
リオンが目を細めた。
「あなたを二ヶ月探しました。あなたの言う通り、捕縛対象だったからだけじゃない。愛しているから」
「だ、からなんですか!」
「わたしはあなたが思ってるより子どもではありません」
真顔でリオンがチカゲの顎を持ち上げた。
「動けない今が殺すチャンスと言いましたね? 殺したくないんですよ、好きだから。代わりにキスしても構いませんか?」
「は?」
思わず怒鳴ってやろうと思ったのに言葉が出てこない。
「ふふ、あなたがあんまり残酷なのでこっちも嫌がらせです。どうです? 逃げられなくて残念ですね」
「何考えて――っ」
影が落ちる。至近距離で彼女に覗き込まれる。よく分からない緊張が全身に走った。
にこ、とリオンは笑った。ちょっと緊張した雰囲気だったが、チカゲは気づかなかった。
「ねえチカゲさん、口づけしたいんですよ、あなたを想い続けて、二ヶ月探したわたしにご褒美があっても良くないですか?」
「っ、」
「嫌でしょうね? 今回わたしを困らせた罰としてしてあげましょうか?」
「やめ、ろ」
「そう、これはただの嫌がらせです」
ちゅ、と唇が落ちた。
口ではなく、額に。
「っ……」
「今日は、これ、で勘弁して、あげます」
ちょっと言葉に詰まりながら、赤くなってリオンは笑った。
「…………」
「クソガキに嫌がらせされて、大変ですね? 好きですよ、チカゲさん」
「で、出ていけ」
よく分からないなりに、全身が熱くて、チカゲは叫んだ。よく分からないけれど今の顔を見られてはいけないと思った。
「出て行け!!」
いつか同じように叫んだことがあった気がする。娼館に潜入した時のことだろうか。混乱してよく思い出せない。
とにかく必死に叫ぶチカゲを見て、リオンは少し悲しげに微笑んで、去ってしまった。
体が熱い。最悪だ。額にそっと触れた瞬間、ぶわっと顔が熱くなった。
「あ、いつ」
許さない、赦さない。馬鹿にしやがって。シーツを握りしめたけれど、あの真摯な青い瞳が思い出されて、体の熱は引かなくて、どうしようもなかった。




