殺していいのはワタシだけ
「何か盗んだのですか」
「何も? 家主がいない間に侵入はしないよ。僕の欲しいのは君の技術だもの。ここにあるもの盗んだってなんにもならないよ」
ビワは言いながら微笑んだ。場違いな笑みだった。
「刀を構えるのはやめたまえ。僕を殺せやしないよおっと」
チカゲは迷わず斬りかかった。ところが彼は刀を避け、目にも止まらぬ速さで自らも抜いたかと思うと、次にはその刃で、チカゲの刀を弾き飛ばしたのだ。
「なっ」
「ね? だから言ったでしょ。チカゲ、僕と来てくれないかな」
チカゲは呆気に取られるあまり気づかなかった。弾き飛ばされた刀にリオンが近づき、どうにか縄を切ろうとしていることに。
「アナタは、何者ですか」
「何者と言われても。陰陽師とか魔法使いとか錬金術師とか、色々いるだろ。僕はんー、幻術が得意なんだ。王国の魔法と帝国で言う妖術を両方習得したっていう感じかな。だから特に呼び名はないんじゃない?」
「じゃあなんと呼べば」
「だからビワだって。覚えやすいでしょ。ちなみにそこの娘、竜の血はおそらくひいているけれど、その心臓を取ったところで、賢者の石の材料にはならないよ」
「な、なぜ」
「神の力を持つ者の心臓。それが最後の材料だったね。竜は確かに、信仰されていたなら神ではあったのかもしれないけれど、どちらかというと精霊に近いんじゃない? それにもう信仰する人がいなくなったから――ほら銀竜村の人全員、そこの娘を除いて死んだでしょ? 例え神だったとしても、もうそうじゃないよ」
「試してみないと分からないではないですか」
「頑なだね。試してみれば? 賢者の石の材料に、信仰のない存在の血を引く心臓を使ったところで、失敗するだけだよ。普通に考えれば当然の摂理だよ」
「では何が、」
「適切な心臓かって? 僕知ってるよ。知りたい?」
チカゲは思わず歩み寄ろうとした。それを止めるものがあった。
ぜいぜいと肩で息をしながら、リオンが這いつくばったまま、縄の解けた腕で、チカゲの着物の裾を掴んでいるのであった。
「チカゲさんっ、その人普通じゃないっ、話を聞いちゃだめ!」
ビワはつまらなそうにリオンを見た。
「君、邪魔だね」
リオンは鋭く睨み返す。
「チカゲさんに何するつもりですかっ」
「君には分からない崇高な仕事を頼むだけ。チカゲ、賢者の石が欲しいんだろう。僕はこの世の中にうんざりしていてね。――ツクヨミの事を聞いたよ。随分昔の事のようだけど、お悔やみ申し上げるよ」
真面目に告げたビワに、チカゲの赤い目が燃え上がった。
「アナタに何が分かる――!!」
「さあね、君のことなぞ話に聞いただけだ。君が故郷の村で迫害され、ツクヨミに拾われたって話をね。君の師匠は理不尽に殺された。それから人が変わったようになったと聞いたよ。――この世界が憎いんでしょ。分かるよ」
チカゲはめらめらと燃える目でビワを睨んだ。
「ワタシにそれを言ってどうしたいんですか」
「君の目的を手伝うと言ってるんだ」
「…………」
「僕と来なよ、君の技術が必要なんだ。材料は僕が集めるから。君が探し回ってる三つのうち、二つは手元にある。あとは心臓だけだ。悪くない話でしょ?」
「っ、二つも? しかし賢者の石が完成したところで、アナタが奪うのでは?」
「僕はね――僕はね、チカゲ、そんな不粋なことはしないよ。この世界にうんざりしたんだ。君もおんなじ。だから奇跡が見たいだけ。このクソみたいな世の中の理をねじ曲げる、それほどの奇跡を――この目で見たいだけなんだ」
「アナタ、おかしいですよ」
「あはは、君にだけは言われたくないね!」
ビワはやはり場違いに笑っていた。
チカゲは葛藤していた。
材料である心臓がリオンのものではないのなら、一体誰のものなのか。
この男は知っている。チカゲがたどり着けなかった真実を手に入れている。二つの材料も揃っていると言う。その情報が、それが欲しい。
「なぜ誘いに乗ってくれないのさ。君を手伝うと言っているのに」
「素性の知れないアナタをどうやって信用しろと」
そう、チカゲは基本的に人間不信であった。突然降って沸いたかのようなこの男を信じろなんて、土台無理な話だ。
「んー来てくれないなら、強硬手段をとるしかなさそうだね」
彼は何かを取り出しびしゃりと地面にまいた。
チカゲはぞっとした。
「それは――」
「油だよ」
ここには山のような資料がある。賢者の石を探すために作り上げた資料が。――机の上にはあちこちの土地や、化合物からの液体の抽出方法を記した資料。そしてツクヨミ様の――
「矛盾してると思ってる?」
マッチに火をつけ、彼は言った。
「それは間違いというものさ。言っただろ、僕は最初の二つの材料は手に入れてるんだ、本当だよ。だから君さえ頷いてくれれば、ここの資料燃やしても問題ないんだ。重要なのは君が共に来てくれるかということだけ」
「つ、ツクヨミ様っ」
足元のリオンも目に入らず、チカゲは緑の本に手を伸ばした。
「ああこれ、大切な書物なの? じゃあこれだけとっておこうか」
ビワはそう言って、緑の本をあっさりと横取りした。
「アナタはっ」
「なんだい?」
ビワはそのままマッチを落とした。ごうっと辺りが燃え上がる。
「ひっ、」
慌てて立ち上がったのはリオンだ。だがチカゲは混乱していた。長年の研究資料が燃えていく。ふざけた話だ。こんなことあっていいはずがない。
「じゃあね、君がその気になるのはきっとすぐだ。待ってるからね」
ビワは颯爽と行ってしまった。
「ち、チカゲさっ、げほっごほっ」
火の回りが早い。当たり前だ。油が撒かれている上、辺りには紙の資料が積まれている。
ツクヨミの本は奪われてしまった。特別なものなのに。
それにチカゲは、ビワに従う気になれなかった。それがどんなに非合理なことは分かっている。それでも研究資料があればできるはずだ。きっと、きっと――何年かかったとしても。
「何してるの! 奥へ行っちゃだめ!」
リオンが腕を掴んでくる。
「邪魔です離して下さい。あれはワタシの――」
「自分が死んじゃったらげほっ、意味ないよっねえチカゲさんっおねがい正気に戻って!」
「ワタシは正気です――!!」
火の中を進んで行こうとした。ツクヨミ様を蘇らせるためなら、酷い火傷を負おうと構わなかった。
「お願い、お願いやめて、行かないでっ」
リオンが叫ぶ。
「邪魔だクソガキ退け!!」
本気で怒って離そうとするも、リオンも腕を離さない。どんどん炎は回ってくる。
煙を吸い込んで頭がくらくらした。資料に火が燃え移っていく。嘘みたいな光景だ。積み上げた努力が燃えていく。
腕を振り払おうにも少女の力は思ったよりも強かった。いや泣きそうに、けれども真摯な瞳で、必死でチカゲを抑えているのであった。
「行っちゃだめ、行かないでください、おねがっ」
咳き込みながらも少女は腕を掴んで離さない。
ごうっと恐ろしい音がした。
炎の先で、大切な資料が黒焦げになって、めらめらと燃えていく。
「っ」
そこでようやく、諦めるしかないと悟った。そして自分の頭がくらくらするだけでなく、少女が大量の煙を吸い込んでいることにも。
仕方なく出口へ歩き出したチカゲは、自分でも分からないくらい、煙を吸い込んでいたらしく、ふらついていた。そんなチカゲを、これまたふらつくリオンが支えながら、外へ向かった。
酷い火の海だった。
死んでしまおうかな、と一瞬思った。何もかもが水の泡。ツクヨミの本は取られてしまった。長年の研究資料は燃えた。リオンは探していた心臓の持ち主ではない。
一瞬止まった足に、リオンが泣きそうな目をして叫ぶ。
「なにしてるの歩いて下さい! 死にたいの!?」
「…………」
ただでさえ顔色が悪かったリオンの顔面が蒼白になる。彼女は泣きそうになりながら、チカゲを叱咤した。
「歩いて下さい。お願い! 置いて行かないで!!」
よく分からない。アナタが歩いていくなら置いていくのはそちじゃないのか。そう思いながらも、咳き込みながらチカゲは促されるまま歩いた。
抜け殻みたいになったチカゲを少女が懸命に引っ張る。洞窟の外までようやく出たものの、火はちらちらと外へ広がろうとしていた。
「はあっはあっ、あなたって、ほんとに手のかかる――っ」
告げる少女がちょっと泣いていることに気づいた。煙のせいだけではないようだった。
「なぜ泣くのですか」
「あなた、一瞬死のうとしてた?」
「まさか」
当たり前のようにするりと嘘が出た。本当は死んでしまった方が楽だと、ついさっき思ったのだ。
それを見抜いたようにリオンが声を上げる。
「あなたをげほっごほっ、死なせはしません! 勝手に死んだら許さない!!」
まだ火の手が追ってくる。いつしか辺りの木々をめらめらと舐め始め、覆い尽くそうとしていた。
「ほらチカゲさん、走って!」
引っ張られるまま、どうにかチカゲは我に帰り、走った。あの洞窟には自分の努力のすべてが詰まっていた。何もかも遠ざかっていく気がした。ツクヨミ様が遠ざかっていく気がしたのだ。
足元は昨日の土砂降りでぬかるんでいた。火の手を避けるために崖のそばを走るしかなかった。
チカゲは促されるまま、とりあえず走った。抜け殻のような自分に、生きている意味があるのかよく分からなかったが、リオンが声を荒げるので、とにかく駆けた。彼女に叱咤されるのは癪だ。その怒りに似た感情が自分を動かしているとも気づかず、走った。
「あっ」
少女の声が聞こえた。
がらがらと崖が崩れる嫌な音。
ハッとしてそちらを見た。リオンのいた場所が足元から崩れたのだ。
チカゲは無意識のうちに手を伸ばしていた。
落ちていくリオンに向かって。
「リオンさ――」
少女が救いを得たような、酷く切ない目をして、笑った。けれどチカゲの手は届かず、宙を掴んだ。
とさ、と遠くで音がした。
「リオンさん!!」
冷や水を浴びせられた気分だった。訳のわからない酷い焦燥感と激情が、チカゲを蝕んだ。
どうにか見下ろしたが、リオンは崖下で気を失っているようだった。赤に染まって見える。
背後には炎が迫っている。
ワタシのせいだ。ワタシのせい。ワタシの――
いいや、何を考えているのだろう。元々殺す予定だった少女に。
けれどもチカゲは必死に走り出した。幸い村の方へ火が回ることはないだろう。途中に大きな河があるし、距離も遠い。だが崖下の少女の元へ、いつか炎は届くだろう。
炎から逃げるように、少女に向かうように、チカゲは走った。急勾配の崖を降り、どうにか少女の元へと辿り着いた。
少女の鬱陶しい笑みも声も、今はない。死んだように彼女は気絶している。血に塗れている。心の底からゾッとした。
「リオンさん!!」
必死に包帯を取り出し、止血をした。その間にも炎が上の方から迫ってくる。だが血を止めなければどちらにせよ助からない。なんとか止血をする頃には、辺りはぱちぱちと炎の音が聞こえていた。
分かっている。全部自分のせいだ。
だからと言って、ツクヨミ様を蘇らせるという信念は変わらない。
この少女を助けるのは――理由は分からない。そう、きっと今後利用できるから。いいや違う。それは建前だ。とにかく死なれるのは嫌だった。何もかも矛盾している。
チカゲはリオンをおぶったまま、森の中を歩いた。本当は走りたかったが、彼女の命の重みと、既に走り続けた体力と、吸い込んだ煙によって厳しかったのだ。
特に煙が問題だった。頭がくらくらする中、森の中をチカゲは歩いた。
背後に炎が迫る。ばきりばきりと木が倒れていく。背中のリオンは苦しげに浅い呼吸をしていた。
チカゲはもうろうとする意識の中、どこか鬼気迫る様子で、必死に一歩、また一歩と足を踏み出した。
死なせるものか。この娘は殺させやしない。――殺していいのはワタシだけ。




