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洞窟の二人


リオンはその後も、たびたびチカゲと顔を合わせることがあった。まず例の事件でもらった賃金の半分を渡した。いらないと言われたので無理矢理押し付けた。

チカゲは終始つまらなさそうな顔をしているだけであった。


「リオンさんは――なぜそうも能天気でいられるのですか?」

ある日森の中で聞かれたことがある。

「能天気かなぁ」

「だと思いますけど。先日の依頼だって、普通の娘じゃ受けませんよ」

「……わたし、普通にはなれないし」

リオンはぽつりと言った。チカゲがじっとこちらを見る。

「意味を測りかねます」

「さんざん馬鹿にしているあなたなら分かるくせに」

「そうですね。アナタは料理は下手くそ、女らしい立ち居振る舞いもできない、――そしてまあ、男みたいに刀を振るっていて――悪夢に酷くうなされていた」

ぎくりとリオンは肩を揺らした。

「あ、あ、悪夢?」

「覚えていないのでしょうね。アナタがワタシに抱きついて同衾した夜のことですよ」

「だから言い方!」

その件はリオンも反省はしている。添い寝のお願いはしたが、あの後気づかぬうちにぴったりと抱きついてしまったのだから。だが悪夢を見た覚えはない。いや家では時折見るけれど、誰にも話したことはなかった。内容は大体似たようなものだった。もう過去のことだ。

「わ、わたし悪夢を見た覚えは……」

「アナタはあの日、うなされていましたよ」

チカゲが顔色一つ変えず、じっとこちらを見ながら言った。

「寝言で謝っていました」

今度こそ目を見開きそうになる。リオンは自分の弱みを他人に知られたくなかった。なんの得にもならないから。それに人前では、笑顔で明るい、頼れる警備隊員でありたかった。

「あ、謝った覚えは」

「ワタシは確かに聞きました。――顔に出やすいですねアナタ。あの日のことは覚えてなくとも、悪夢に関しては身に覚えがあるのでは?」

「さ、さあ。考えすぎじゃないの」

ちろりとチカゲが赤い目でこちらを見た。

「――誰に謝っていたんですか」

リオンは目を伏せた。

「言う義理はないです」

「ああそうですか監視役殿。ワタシの身辺調査を担っていながら、自分のことは話せないと」

そんなことを言われてしまえば、リオンに反論する術はなかった。

「……誰に謝ってたかって……そんなのわかんない。この世のすべてに」


お父さん、お母さん、ごめんなさい。リオンは夢の中でよく泣きながら走っていた。子どもの姿のまま。そして王国の人間を全員殺してやると息巻いて、こっそりアルジェント大陸へ向かう船に乗るのだ。実際に起きた出来事だった。そして短くて長い人生の中で気づくのだ。王都の関係ない人間に刃物を向け、それが間違っていたことに。復讐が何も生まないことに。


だからきっと、その夢の中では無意識に謝っていたんだろう。この世界のすべてに。


チカゲは眉を顰めた。

「――過去のことをお聞きしても?」

「前に話しました。あれ以上話すことはありませんが」

「そうですか」

チカゲは何かを待っているようだった。その瞳に何かを湛えて。それが何かリオンにはわからない。やっぱり理解ができない人だ。それでも好きな事には変わらない。何かを企んだような目で、それでも一抹の切なさを孕んだ瞳をする彼を、見つめ返さずにはいられない。


「何が、知りたいんですか」

「そうですね、アナタのお父上と母上のこと」

「知ってどうなるんですか」

「アナタの悪夢の原因でしょう? 話せば少しは楽になるかもしれません」

善意で言っているのかはよくわからない。けれど彼が珍しく真面目な顔をしている。

リオンは一つ息を吐いた。

「母は――綺麗な人でしたよ。父は――時折家からいなくなっていましたが、必ず帰ってきました」

「いなくなっていた?」

「浮気とかじゃないですよ。銀竜村には湖があったんです。湖に行くのが趣味だったようで――小さいわたしにはよくわかりませんでしたけど、祠があったから、拝みに行っていたんじゃないかな。気がついたらいなくなっているような人だった。でも必ず帰ってきてくれた」

チカゲがわずかに、ほんのわずかに目を細めた。

「酷なことを承知でお尋ねしますが――お父上を最後に見たのは?」

「さあ。あの日も、――父は湖に行っていたようですから。た、たぶん、そこで、きっと今は――」


湖の底に。


最後まで言えなかった。気がつけばリオンの呼吸はかすかに浅くなっていた。チカゲが切ない目でこちらを見て、肩に手を置いて覗き込んできた。

「失礼しました。無粋な質問を」

「え、ええ。本当にね」

「もう質問はこれきりにします」

「ほんとかなぁ」

チカゲは肩をすくめて、リオンの頭を撫でた。

「申し訳ありませんでした」

ずるい。リオンはチカゲに頭を撫でられるのが好きだった。ぽんぽんとやさしく叩かれるようなものも、こうして労わるように撫でられるのも、好きだった。胸がきゅうと締め付けられる。

「なぜあなたを好きになってしまったんでしょう」

思わずこぼした言葉に、一瞬頭を撫でる手が止まったが、またそれはゆっくりと動いた。

「さあ、こっちが聞きたいんですが」

そういうところだ。文句を言いながらやさしく撫でられると困ってしまう。卑怯だ。

リオンは泣きたくなった。

「好きですよ」

「そりゃどうも」

「本気だと思ってないですね」

「まさか」

彼は真顔でリオンを撫でていた。どこか底冷えした、それでいて切ない目をしているものだから、一層リオンは訳がわからなくなって、胸を掻きむしりたいような感情に襲われるのだった。



ある日のことだった。二人の盗賊を討伐したリオンは、不意に降ってきた大雨に、慌てて避難場所を探した。

いつもならどうにかやり過ごすのだが、あいにく奥深い場所にいた上、酷い土砂降りだった。崖崩れが起こった事例もあるくらいのものだ。森から続く山岳地帯とも言える場所にいたリオンは、必死になって安全な場所を探した。

途中、奇妙な茂みを見つけた。明らかに人が通った跡がある。それが隠蔽されたようなものだ。しかし土砂降りで足跡は消えかけ、何人が通ったのかわからなかった。

もしこの先にいるのが、安全な人間ならいいのだが――仮に盗賊の隠れ家だったら、とんでもないことである。多くて相手にできるのは五人だし、それ以上が待っているかもしれない。ましてやこの大雨。山奥で殺されても事故に見せかけられるだろう。

リオンは首を振ってその場から立ち去った。場所だけ覚えておこう。突入するのは今ではない。最悪の場合、助っ人が必要かもしれない。

そんなことを思いながら、その場を立ち去り、走り続けた。

土砂降りはひどくなるばかり。雷鳴まで聞こえ始めた。ピカっと光り、それから空を割るような轟音が続く。リオンは息を切らして走り続けた。

途中見覚えのない盗賊の死体が崩れた崖の下に見えた。崖崩れに巻き込まれたのだ。

自分もあんな事になっては大変だと走り続けたが、疲れ切ってしまった。村までは距離があり、この土砂降りの中ではたどり着けそうにはない。

どこかで休まなければならないものの、ぬかるんだ道と容赦ない雨が体力を奪っていく。

しばらく走り続けて、ようやく休めそうな洞窟を見つけた。

へとへとになって中に入れば、焚き火が揺れていた。

ハッとして刀を構える。けれどよく見れば、奥にいたのはチカゲだった。

「――アナタいつもすぐ抜きますねえ。まあ用心に越したことはありませんが」

チカゲは顔色一つ変えず洞窟の奥に座っていた。彼はほぼ濡れている様子はない。いや早い段階で避難したらしく、もう乾いたのかもしれない。焚き火にゆらゆらと揺れ、洞窟に彼の影が映っていた。

「濡れ鼠さん、火にあたりたいですか?」

「え、ええ」

「……まあいいでしょう。一つ貸しですよ」

「貸しって……」

言いながらもリオンは火の側に寄った。

「あーあったか……」

びしょびしょのリオンを見て彼は眉をこれでもかと顰めた。

「こんな山奥まで見回りですか。ご苦労なことです」

明らかな皮肉だった。なんなんだこの人は。

「仕事ですから」

リオンは憮然としながらもおにぎりの包みを取り出した。まあ少し濡れて形が崩れていたが、とりあえず火のそばに近づけた。

「食べたいですか? いいですよ分けてあげても」

「貴重な食糧でしょう。結構です」

珍しいこともあるものだ。リオンは目をぱちくりさせた。

「形が気に入らない?」

「そんなことは言ってません、人の厚意を無駄にしないことです」

「好意!?」

思わず嬉しさに頬を緩ませたリオンを、彼は苦虫を噛み潰したような顔で見た。

「違います。親切の方の厚意ですよクソが。大体なんでこんなところに……」

後半は口が悪くなっている。しかしリオンもこの男が、たまに口が悪くなる事に気づいていたから、触れないでおいた。

「しょーがないでしょ。見回りなんだから。現に山奥に来たから盗賊二人倒せましたよ。この服着てると女とバレにくくてやりやすいです」

この前の娼館のような出来事はごめんだ。リオンが思い返しながら話していると、チカゲがこちらを見てひどく不愉快そうに顔を顰めた。

「今では女とバレるかもしれませんね」

よく見れば、びしょびしょの服が肌にぴったり吸い付いて、まあ体の形が見えるようになっていた。

チカゲが目を逸らして息を吐いた。

「あなたのそういう迂闊なところが不愉快です」

「そんなこと言われても」

じゃあ鎧を着れとでも言うのか。リオンは試しにまとったことがあるが、戦いにくくてダメだった。それにかつての嫌な思い出を彷彿とさせるからあまり好きではなかった。銀竜村を襲った男たちは、王国産の鎧を着ていた。


リオンはため息をついた。

「こんなのすぐに乾きますよ……ほら、マシになってきた」

嘘ではなかった。火のおかげで、装束は少しずつ乾き始めてきた。

「今日は収穫があったんですよ。盗賊の隠れ家みたいなところを見つけました。流石にこの土砂降りの中、一人で突入はしませんでしたけど」

「へぇ」

リオンはおにぎりを頬張りながら、チカゲを見た。

「本当にいらない? お腹空いてないの?」

「ワタシも非常食はあるので」

「じゃあいつもなんでわたしのおにぎり欲しがるの?」

「アナタがうるさいくらい反応するので」

それはいいことなのか悪いことなのかよく分からない。ちょっとだけ勇気を出して踏み込んでみた。できるだけふざけている風を装って。

「それってつまり、わたしのことが好きってこと?」

「違います、嫌がらせです」

なんてことだ。

「わたし嫌われるようなこと、したっけ」

「しましたねえ。色々と」

なんとなく棘のある言い方に、リオンは苦い気持ちになった。ちょっとした冗談を、冷たい槍で刺された気分だった。

「ええと」

「楽しいですか?」

「え」

「ワタシがアナタを困らせるのは、アナタがワタシを困らせるから。――ワタシを困らせて、楽しいですか?」

不意に冷たい口調で尋ねられ、ゾッとした。少なくともこの男とは友達であったはずだ。だから嫌われてはいないと思っていた。皮肉ばかりで、だけどお互いに軽口も叩く中だとばかり――そう思っていたのは自分だけだったのだろうか。

「た、たのしくなんか、ないよ」

リオンはいつになく口ごもった。いつもの雰囲気を装っていたが、心が氷のように冷たくなっていくのを感じた。

「ち、チカゲさんを困らせていたのは、謝るけど――あれは戯れだと――あなただって、分かってるはずだと、」

「迷惑です」

酷く冷たい目だった。

「アナタのふざけた態度のすべてが、迷惑なんです」

リオンは無言でおにぎりを食べ、水筒から水を飲んだ。

息を吐いて、火に当たりながら、じっとチカゲを見た。いつのまにか装束は乾き始めていた。

ふざけているフリをしていれば側にいられると思っていた。実際ふざけている時もあったかもしれない。そばにいられて幸せだったから。

「そ、それでも、わたしは、あなたが好きなんです」

彼の纒う空気が一層冷たくなった。

「ワタシは嫌いですよ」

泣きたくなるのを堪えた。堪えてどうにか、へらりと笑ってみせた。

「だ、だろうと思いましたよ」

もう心中はぼろぼろであった。チカゲはつまらなそうな目でこちらを見ていた。いや睨んでいると言った方が正しいかもしれない。

「外が土砂降りじゃなかったら、アナタを放り出していたところです」

「そうですか。おやさしーんですね」

泣きたくなるのを堪えて、笑ってみせる。

痛い。心が痛い。嫌いだと言われてしまったけれど、こんな時でも追い出さないで、焚き火に当たらせてくれる彼が好きだ。


土砂降りが終わってくれればよかった。けれど豪雨はひどくなるばかりだった。リオンの服も乾いてしまった。気まずい。

考える時間ができたせいで、彼がなぜこんなことを急に言い出したのかぐるぐる考え込む羽目になった。まあ普段我慢していたのが噴出した、と考えるのが一番の最適解だった。いつから嫌われていたのかを考え始めたら、もうどうしようもなくなって、リオンは唇を噛んだ。おにぎりを食べた彼の、骨が入っていると笑っていたあの笑顔は――少なくとも嘘じゃないと思っていた。

いつから嫌われていた。いつから?


もしかして――もしかしなくても――この土砂降りが終わったら、彼はこちらと関係を断つつもりではないのか? 消えてしまうつもりなんじゃないか?

そんなことを考えたら、急に指先が冷えたような気がした。

もう嫌われてるなら仕方ない。これが最後なら。――これ以上嫌われたって、変わらないはずだ。

リオンは立ち上がり、彼の隣に座った。

「なんなんですか」

冷たい声で言う彼の肩に寄りかかった。一瞬、彼の身体が固まったが、気づかないフリをした。どうも本気で嫌われているらしい。

「わたし、あなたに嫌われて傷心なので、しばらくこうさせて下さい」

泣きそうになるのを堪えて、馬鹿みたいに言ってのけた。

「気は確かですか?」

「確かです」

肩に擦り寄ると、彼の身がぴくりと強張った。

「や、めてください」

「嫌です。あなた、わたしと関係を断つつもりでしょ」

ハッとしたように彼がこちらを見た。それが答え。リオンは泣きたくなった。それでも気丈に、食えない顔で告げた。

「土砂降りが終わるまでです。お願い……」

彼は唇を引き結んだ。それ以上こちらを見ようともしない。

「迷惑だと言ったはずですが」

「ええ」

「嫌いだと」

「はい。あなたのおかげでわたし傷つきました。肩ぐらい貸してください」

「な、何言ってるのか全然――」

ぐり、と肩に顔を埋めた。

「ごめんなさい、好きです」

隣で息を詰める気配がした。

そうして息を詰めたような喉から、深く息を吐き出して、彼はどうにかといった体で口を開いた。

「アナタの言葉は羽より軽い」

「そうですか?」

リオンは悲しげに笑った。

「わたし、あなたが思ってるよりずっと、あなたのこと好きですよ」

「は、離れろ」

「嫌です」

ざあざあと雨が降り続いている。いつまでも降ればいい。置いて行かないでほしい。置いて行かないで、チカゲさん。

だんだんと景色が揺らいでいく。ああ、眠いのか、悲しいのか、両方だろうか。焚き火から上がる揺らいだ空気のせいにしたかった。もう何もかも溶けていく。ほろほろと、初恋が散っていく。

ぽろ、と涙をこぼして、少女は眠りについた。




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