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Ep2:こだまする自己否定の谷

意識が戻った時、最初に感じたのは、不快な振動と、耳ざわりなささやき声だった。凍えるような冷たさは和らいだが、代わりに、じっとりとした湿気と、何かが腐ったような匂いが鼻をつく。


目を開けると、そこは赤黒い空におおわれた、薄暗い谷底のような場所だった。地面は不安定なぬかるみで、一歩踏み出すごとに足が沈み、嫌な音を立てる。まわりの岩はだには、苦しそうな顔にも見えるゆがんだ模様が浮かび、たえず形を変えている。そして、どこからともなく聞こえてくる、ささやき声。「ダメだ」「どうせ無理」「価値がない」「見捨てられる」……それは、間違いなく、私の心の奥底でずっと響いていた自分の声だった。


(やっぱり……私の心が、ここを呼んだんだ……)

第1章で感じた予感が、確信に変わる。ここは、私の心のヒビが作り出した、あるいは引き寄せた場所なのだ。


「……っ、なに、ここ……最悪……」

声が震える。自分の内面をそのまま見せつけられているようで、恐怖と同時に激しい嫌悪感がこみ上げてくる。


「あおいさん、大丈夫!?」

隣で、凪くんが私のうでをつかんだ。彼の顔も青白く、ひたいには脂汗がにじんでいる。彼にも、この不快な空気とささやき声は届いているらしい。だが、彼が聞いているささやきは、私に向けられているものとは少し違うようだ。彼の眉の間には、彼自身の、私には分からない深い苦しみの色が浮かんでいる。


「ワン……クゥーン……」

コロは完全におびえきって、ぬかるみに足を取られながら私の足元にすがりついてくる。しっぽは固く巻かれ、心細さを全身でうったえている。


『ようこそ、”内なる響きの谷”へ』

あの時と同じ、冷たく感情のない声が、頭の中に直接響いた。

『ここでは、お前たちが心の奥底におしこめている”本当の声”が、こだまする』


「本当の声……? やめてよ! こんなの、聞きたくない!」

私は耳を強くふさいだ。けれど、声は消えない。自分の内側から響いてくるのだから。ささやき声は、私の拒絶に反応するかのように、さらに大きく、はっきりと聞こえ始めた。


『逃げれば、声は大きくなる』

『否定すれば、谷は深くなる』

感情のない声が、淡々と告げる。

『向き合うしかないのだ。お前の、そして隣の男の、その抱えているものとやらにな』


「抱えているもの……?」

凪くんが、苦々しくつぶやいた。彼の視線は宙をさまよい、何か見えない敵と戦っているかのようだ。


私は、凪くんの顔を見ることができなかった。彼もまた、自分自身の弱さと向き合わされている。そして、私も。私たちが互いに抱える不安や不満、失望やあきらめが、この谷で増幅され、私たちを引き裂こうとしているのかもしれない。


「……やめて……もう、聞きたくない……」

ささやき声にたえきれず、私はその場にうずくまった。泥が服にしみこむ感覚も、もうどうでもよかった。ただ、この声から、自分の中から響いてくる否定の声から、逃れたかった。


「あおいさん!」

凪くんがかけ寄ろうとする。だが、彼の手が私にふれる寸前、二人の間の空間が強くゆがみ、まるで分厚いガラスがあるかのように、彼の手は私に届かない。


『ここでは、自分の弱さと向き合わないかぎり、他者にふれることすらゆるされぬ』

声が冷たく言いわたす。


絶望的な気分だった。逃げることも、なぐさめ合うこともゆるされず、ただ一人で、自分の心の闇と向き合えというのか。


ささやき声は、容赦なく続く。

「お前には無理だ」「愛される資格なんてない」「結局、一人になる」

それは、私が一番恐れていること。一番、認めたくない、私の心の奥底の声。


涙があふれて止まらなかった。ひび割れたビー玉は、私を救うどころか、最も残酷な形で、私自身と対決させようとしている。


「……どうすれば……いいの……?」

かすれた声でつぶやく。答えはない。ただ、私自身の否定の声だけが、この暗い谷底に重く響きわたっていた。この谷を抜けない限り、私たちは先に進めない。でも、どうやって……?

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