転生した少女
「空が青いねえ」
王都から遥か遠く、豊かな森に囲まれたひなびた農村。
青い空を見上げて少女―セレスティアは今日ものどかな暮らしに感謝していた。
セレスティアは銀に近い金髪に、青い瞳を持つ、美しい十五歳の娘だった。
小さな輪郭に目の覚めるような青い虹彩が目立ち、細い鼻にすっきりした口元という、どこか貴族めいた顔立ちだったが、よく見れば色の白い人にまま見られるうすいそばかすがあり、質素な衣服も相まって彼女が深窓にこもる姫君ではないことを示してもいた。
彼女はただの村娘であり、父母も豊かな暮らしをしている生まれではなかったが、自分の生まれた村のことは好きだった。美しい風景と見知った幾人かの村人たち―百にも満たない小さな村であるが、一緒に育った友達もいる彼女の世界のすべてである。
数年に一度の凶作の折りの腹の空き具合を別にすれば、であったが。
それでも食べるものに事欠いてさえいなければ、山のかなたの絢爛ながら物騒な話も伝え聞く王都の暮らしに憧れることはなかったのである。
さて、彼女は自分がこの世界の人間ではないことを知っている。
(生まれ変わりって…前世の記憶があるだけだけど。しかもこれが、この記憶が私の妄想でないなんて誰も証明できない)
正確に言えばセレスティアの現在の肉体は、もちろんこの世界の父母から与えられたものだ。
しかし彼女の魂は地球、それも現代日本で不運な死を遂げた女性の生まれ変わりである。その名は瀬戸玲といって、ごくごく平凡な、質素な暮らしをしていた妙齢の女。
地方自治体の図書館で司書として勤め、専門職でありながら一人暮らしにはカツカツというレベルの賃金を、家賃三万八千円の古い小さなアパートに暮らして必死にやりくりしていた。
彼女のお世辞にも美人とはいえない容姿のせいなのか、はたまた地味すぎる性格ゆえか、長く独り身で静かで先の見えない暮らしだった。中々に辛い日々だった。
そんな最中、健診で病が見つかり予想外に早逝してしまった―。
セレスティアは振り返る。
他人と比べて辛いことの多かった日本での社会人としての暮らし。
(あの頃が楽しかったかどうか、今となってはわからないな…。あっちのお父さんとお母さんには申し訳なかったけど…)
湿った土と草のまじった匂いのする、ふきわたる風と木々の中を歩く。
(ここは異世界だ。日本人から見れば)
彼女が瀬戸玲という人間であった最終盤の、息を引き取る間際に病院のベッドにて、ああこれで最後か、と眠るように意識がかき消えたのを覚えている。
そのあとは、暗闇の中でひどく長く眠っていたような気がする。
いつしか暖かい所へ来た。
夢うつつに長い月日をまどろんでいると、やがてまばゆい光が彼女のひさしく開けてない目を撃った。
眼が刺されたような突然のまぶしさに、動揺して、彼女は己の姿すら見えなかった。
全身の痛みと極度の疲労、肺へ無理やり入ってきた気体に、彼女は訳も分からず癇癪を起していた。
ずっと快と不快のジェットコースターの中で、泣きわめくか眠るかしかしていない日々で、あるとき彼女ははたと自我を取り戻した。
そこは、石を塗り重ねて作られた、農村と見える小さな小屋だった。
彼女は寝台らしき台の上にガサガサの布にくるまれておかれていた。
(ん…何これ。どういう状況?どこなの?私はいったい何がどうなった?)
もんどりうとうとして寝返りすら打てないことに絶望をしかけ、気づいた。
そもそも全身がずんぐりむっくりして重心もおかしい。視界に移る、見える世界との縮尺もおかしい。必死に手を動かして、やっと視界に小さなぷよぷよした手指が見えた。
(わたし、赤ちゃんじゃん)
己が赤子になったことを彼女は悟った。
視線が定まったのか、どうやらこの世界の母となったらしい女性を判別することができるようになったのだが―。
違和感しかなかった。
現代日本人と似ても似つかぬ顔立ちに、淡い髪色。いたんだ布地でできたシャツとスカート。彼女はいつも嬉しそうに話しかけ、あやし抱き上げてくれた。
「セレスティア、ティア、●×▼?」
女の声に、どうやら自分の名前はセレスティア、性別は女の子らしいと彼女は認識した。素朴そうな親のわりにずいぶん豪勢な響きの名前である。セレスティアは新しい名を気に入った。
ふと、前世の母を思い出して涙ぐむと、心配した今生の母に慌てておしめを変えられそうになった。
彼女は気を引き締めなおした。
(いけない、あまり泣かないようにしよう)
ということで、瀬戸玲ことセレスティアは、当初は全く言語がまったくわからなかった。
当然赤ちゃんとして人生をスタートしたばかりであったからだ。しかし赤ちゃんの脳の可塑性は素晴らしく、彼女はどんどん言語を吸収した。
セレスティアは赤ちゃんの頃、やることがないので注意深く周りを観察し、長ずるにつれここが地球ではないことに気づいた。
文化レベルが明らかに現代と異なっていたし、
不思議なことにここではテレビもインターネットもスマートフォンもなく、誰も家電を持っておらず、ロハスやスローライフというにはあまりにも非効率的で、根源的な生活をしていた。
今時どんな少数民族の人もスマホをもっているというのに――そのようなニュースを彼女は見たことがあった。
ここはいったいどこなんだろう?
星も月も太陽も、地球のようでいて何かが違うと思った。ここは地球によく似た別の星なのだろうと彼女は結論付けた。
成長しても、しばらくは彼女は自分の顔を見たことがなかった。家に鏡がなかったからである。水に映るぼんやりとした自分を見て、素朴な顔立ちの母を見て、まあこんなものだろうと思っていた。
村の同じ年ごろの子供らも、みんな朴訥とした人の好さそうな顔で、上気してりんごのような頬をしていた。
(りんごといえば、この異世界にもあって、セレスティアは好んで食べていた)
ところが村の行く先々で老若男女からかわいいとほめちぎられて育った。
彼女は驚いた。前世ではまるで容姿を褒められたことがなかったからである。
しかも、今世での彼女は容姿をほうりっぱなしだった。かわいい女児服があるでもなし、さぞや荒れた肌にぼさぼさの髪でひどいありさまであろうと思っていた。
ある日、村に隊商の人が来て、村一番の金持ちの奥様に細工物の高価な鏡を納めていったとき、村の若い子供たちは興味津々で鏡を見に行った。
「セレスティア、鏡って知ってる?自分の顔が見られるんだよ!見に行こう」
「へーぇ、この世界でも金属の加工技術あるんだねえ」
などとのんきに会話しながら御呼ばれしていった。
セレスティアも期待せずに鏡を見せてもらった。それは金属にガラスを貼った現代の鏡ほどの精度ではなかったが、生まれて初めて見る自分の姿だった。
そこに映るのは驚くばかりの美少女だった。
人形のような顔につやつやした陶器のようなきめ細かい肌、青い瞳に、絹のような薄い金髪がゆるく顔にかかっていた。