その男、凶暴に憑き
「いやはや、こりゃ珍しいですなあ」
医者が目を丸くするのを見て、妻の顔が強張るのが横からでも分かった。普段の平静さをかなぐり捨て、妻が今にも医者の胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで唾を飛ばした。
「教えてください! 先生、息子は……やっぱり息子は病気なんですね!? 達也は一体何の病気なんですか!?」
「お奥さん、おお落ち着いて……!」
その後、実際に胸ぐらを掴まれてしまった医者は、首をボブルヘッド人形のようにガクガク揺らした。
「やっぱり……おかしいと思ってたわ! あの子、何を言っても言葉遣いが妙で……!」
「おお奥さん。おおおお奥ささん。奥さんんおおお落ち落ち着いててて」
「何を聞いても、『かわヨ』だとか『【悲報】』だとか……!」
「おおおお奥さん。おおおお奥奥さおおんお奥さおさん奥奥さん」
「『親に向かって何ですかそのネットスラングは!』って怒っても……『草』ですって。やっぱり! 病気だったんだわあの子!」
それから妻はワンワンと泣き出した。ボブルヘッド人形が首の位置を元に戻しながら咳払いした。
「ゴホン。良いですか、落ち着いてください奥さん。それは現代人の流行語みたいなもんで、別に病気でも何でもありません」
「え……?」
「もっとも、構文や定型文でしか会話できなくなっている分、現代人は著しく自己表現力が低下しているとも言えます。問題はそこなんですよ奥さん。息子さんは恐らく『憑き物』です」
「ツキモノ?」
聞き慣れない単語を耳にし、私も妻も思わず首をかしげた。
「何ですかそれは? 先生?」
「ええ。お二人とも、狐憑きや犬神憑きと言ったものは聞いたことがあるでしょう?」
「嗚呼……嗚呼」
妻が力強く鼻を啜った。
「お2人とも見てご覧なさい。息子さんのこのだらしない顔! 緩み切った表情、虚ろな目……」
「それは元からです」
「他人になりすます、自分じゃない誰かの皮を被る、周りの目を気にして当たり障りのないことを言う……現代人は我を失い意思虚弱になった分、憑かれやすい体になってしまった。妖の類にはこりゃ都合のいい世の中ですわな。息子さんはきっと、何かに取り憑かれたんでしょう」
「でも……一体何に?」
「さぁ、それが分からんのです」
ボブルヘッド人形が困ったように首を揺らした。
「今までも同じような症状の患者はおったが……」
そう言うと、人形はパソコンを動かし、机の上のモニターに映像を写し出した。
「これは『札憑き』です」
「フダツキ!」
妻がひっくり返った。モニターには、この顔を見たら110番、という文字とともに、あからさまに人相の悪い男が映し出されている。そういえばどっかで見たような顔だ。
「『札憑き』に取り憑かれた者は、悪事を働かずにはいられない。本人は『迷惑系』などと嘯いておるが、やっていることは歴とした犯罪です」
「嗚呼……そんな!」
妻が椅子から転げ落ちた。
「息子が犯罪者に! 信じられない! 先生、うちの子に限って、まさか『札憑き』じゃないでしょう!?」
「まだ何とも言えませんな。どんな善人だろうとね。自覚のあるなしに関わらず、人は誰だって犯罪を犯す可能性がある。中には『嘘憑き』やら『曰く憑き』と言う奴もいまして、こう言う奴がどうかすると、数ヶ月後に『札憑き』に変わっていたりする」
今や診察室は妻の涙で大洪水が起こっていた。
「他にも『苛憑き』と言うのもいまして……」
「先生、それは?」
「こいつはまぁ、憑き物としては珍しくない、比較的危険の少ない方ですよ。日常的に散見される。しかし長時間憑き纏われると、精神を病んでしまうのでご注意」
「他にはどんな憑き物が? その、危険な奴は?」
「そうですなぁ……『御手憑き』『生まれ憑き』『一念発憑き』『寝憑き』『極め憑き』『ビデオデ憑き』『防弾チョ憑き』『管弦楽憑き』『絵日憑き』『ぼ憑き』『さんげ憑き』『生ジョ憑き』『オマケ憑き』『三日憑き』『餅憑き』『喜びも悲しみも幾歳憑き』……」
モニターに次々と禍々しい『憑き物』の画像が現れた。果たして『ビデオデ憑き』に取り憑かれた日にはどんな危険が待ち構えているのだろうか。妻が震え上がった。
「先生……どうか、どうか」
「わかりました。憑き物の正体が分かれば対処のしようもある。出来るだけやってみましょう」
それから医者はさまざまな方法で息子を検査した。目に光を当てたり、血を取ったり、胃カメラを使ったり……しかし息子は、うんともすんとも言わない。何をされても表情ひとつ変えず、まるで無反応だった。
「それで先生……どうでした?」
「いやあ奥さん」
医者は随分とツカレタ様子だったが、
「中々難儀な憑き物だったが、ようやく正体が分かりましたよ」
やがて息子を指差して、顔をぱあっと明るくさせた。
「見てください。このオチツキよう」